ルーファス・アヴァロン(教え子)
今日は、これまでの人生で一番嬉しい日だった。
私の人生に最も影響を与えた人はと問われれば、迷わずザカライア先生を挙げる。この国で、おそらく最も多い回答ではないだろうか。
闇雲に体を苛め抜き、効果の見えない訓練に迷走していた幼い頃、あの人との出会いは衝撃的だった。
祖父と同世代なのに、どこまでも子供みたいな人だった。
国王すら頭が上がらないほどの高い地位にありながら、とにかく気さくで豪胆で大雑把。
明け透けでおせっかいでいたずら好きで型破りで非常識で懐が大きくて、なのにひどく合理的な思考をする明晰な頭脳の持ち主でもあった。
迷信や根性論を徹底的に否定し、詳細な理論の元に訓練内容を根底から変えてしまった。あまりに常識からかけ離れたその指示の結果は、目を見張るほど劇的なものだった。
それは今ではアヴァロン家の公式訓練メニューとなっている。
「君にビジョンはある?」
体は順調に作られつつあるものの、騎士としての方向性に迷った時に、先生に問われた。
「君の父親を目指すなら、何でもできる、歴代公爵並みの強くて器用な騎士になる。その道を外れ、得意の攻撃のみに特化するなら、後衛も防御も支援も平凡な代わり、歴代公爵最強と呼ばれる騎士になる。君は、どちらを選ぶ?」
当時6歳の私は、迷わず後者を選んだ。だから今の私は集団戦において、最前線以外の戦闘は未熟だ。そしてそれは、私の誇り。他の何ができなくとも、攻撃力だけは誰にも負けない。圧倒的な攻撃力で民を守る。できないことは、支えてくれる仲間に任せればいい。
その選択肢を示してくれた先生は、私と出会ってから、1年とたたずに亡くなった。
あれほど多くの人に影響を与え、愛された人はいなかったと思う。葬儀の席で、常に冷静沈着な彼の宰相の呆然とした表情が、幼心にもひどく印象的だった。
あれから11年、先生の教えを胸に、適度な弛まぬ鍛錬を続けてきた。
今日は、あのギディオン公とそれなりの戦闘ができるようになった自分を確認できた。
残念ながら負けてしまったが、全力は出し切れた。握手の時、ギディオン公が、お孫さんのグラディス嬢を示して言った。
「俺の孫、目が眩むほどの美少女だろう? お前の嫁にどうだ?」
丁重に、お茶を濁した。グラディス嬢の噂は、悪い話しか聞かない。嫁にもらったら身代を潰すなどとまことしやかに囁かれるほどだ。
確かに目を奪われるほどの美しい少女だが、アヴァロン家を潰すわけにはいかない。
しかしその評価は、すぐに覆ることになる。
対戦であまりいい結果を出せなかったエインズワース家のソニアを、従兄弟たちが連れ出していった。学園でもたまに見かけるが、彼らのソニアへの指導は少し度を越している。訓練は過酷なほど望ましいと思っていたころの自分のように。
気になって様子を見に行ったら、案の定だった。厳しいばかりじゃ人は育たず潰れてしまう。適度な栄養が大切だ、と言った恩師の言葉を思い返して、どう諫めようかと思案した時。
彼女が現れた。優雅な物腰、強い眼差し、圧倒的な存在感に、一瞬で空気が変わる。
不意に何かの既視感を覚えた。以前にも、こんな人を見たことがあるような気がする。
ただそこに現れただけで、人に影響を及ぼすほど強いパワーを持った人。台風のように周りの人間すべてを巻き込んでしまう存在。
結果は、お見事、の一言だった。
彼女は年上の少年たち相手に、貶して下げてから褒めて上げ、さらには彼らの内面に踏み込み斬り込んでから救済し、完全に掌の上でコントロールしてしまった。
正直、私より何枚も上手だ。本当に10歳かそこらの少女だろうか?
一人残された彼女を会場まで送りながら会話をする。たしかに装いこそ斬新だがよく似合っているし、話に聞いていたような我儘で高慢な振る舞いはなかった。むしろ利発で賢明な印象を受けた。
噂とは当てにならないものだ。
そして、その瞬間が訪れた。
かつて、毛虫に驚き恥も外聞もなく幼い自分にしがみついて大騒ぎした、子供みたいな人。
その人が、今目の前にいる。あんな人、他にいるわけがない。
永遠に喪失したと思っていた恩人に、再会できる日が来るとは!!!
去年、武道会で優勝した時よりもはるかに感動している。
先生の復活を知ったら、喜ぶ人は多い。国家にとっても有益なことだ。
けれど先生は、平穏な人生を望んでおられた。
もっともだと思った。ザカライア先生はたくさんの人を育て、救ってきた。多くの人に愛され、囲まれながら、それでもいつも一人だったように思う。誰でも大らかに受け入れるのに、最後の見えないほど薄い防衛線の先は、誰にも踏み込ませない。そんな壁を感じることがあった。
先生の隣に立てる人が、立場上も、多分精神的にも、誰もいなかった。
おそらくは大預言者として生きるために、諦めざるを得なかったもの。自ら意図的に断ち切って遮断してしまったもの。
きっと先生は、その壁を乗り越えられる相手、深い絆を欲しているのだろう。
何も返せないまま喪ってしまった、私の人生の恩師。私にできることなら、何でもしたい。先生が秘密を守れというなら、死んでも守る。
ただ一つ、困ったことがある。
先生、それを私に求めますか?
輝くような美少女が、グイグイ私に迫ってくる。でも、中身があのザカライア先生なんですよね。
そういえば、すっかり明るくなったトロイが『ギャップモエ』なるものを言っていた時、意味が分からなかったが、こういうことなのだろうか。
あのガサツなザカライア先生の言動も、この可憐な少女の姿で再現されると可愛らしく見えてしまうから恐ろしい。いや、騙されてはいけない! 中身はあの豪快でおっかないザカライア先生なんだ! しっかりしろ!
本当にやめてください。私は昔から先生の押しに弱いんです。
洗脳されないように、心を引き締めなければならない。引き摺られて道を踏み外したら最後、とんでもなく振り回される人生が確実に待っている。
外で戦って帰ってきた癒されるはずの家庭で、もっと巨大な魔物が待ち受けているなんて環境、なんとしても避けたいんです。シャレにならないです。
――だから、ザカライア先生。私を惑わせるのはやめてください。