ライナス・デリンジャー(担任教師)・1
先月、雪中行軍の演習準備で起こった突発的な事故。
そして今日の、大規模だが脅威度は低い魔物の襲来。
近々起こるだろうと予言されている魔物のスタンピードを前に、最高の訓練になった。
いや、この二件のトラブル自体、まるで事前に準備された、難易度の調整された試練かのようだった。
生徒に少しずつ段階を踏んで経験を積ませ、やがて来る最終的な実戦に臨むためには、理想的と言える展開だ。
ただの偶然で片付けるには、あまりにも都合が良すぎるほどに。
ふと、騎士団員時代を思い出す。あの頃は、こんなことがしばしばあった。久しぶりの感覚に、懐かしさすら覚える。
どんなに危険で無謀に思えても、作戦が針の穴を通すようにピタリとハマる。
逆にいつも通りの慣れた野外訓練のつもりでいたら、急にストップがかかって引き返し、大規模な災害がそこで起こったことを後で知る。
任務の成功を誰もが疑いもせずにいた時代があった。かつての騎士団では当たり前の日常。
大預言者ザカライア様がご存命の頃までのことだ。
式典などで遠くから見るだけの存在であったが、あの方が亡くなって以降、隊の損耗率が格段に増えた。危険な任務の多い騎士団員が、どれほどあの方一人に守られていたのかを、改めて認識したものだった。
そして俺自身、負傷で騎士団を退団した口だ。
今は奇しくも、そのザカライア様が三十年間心血を注いだ学園で、教壇に立っている。
いなくなって数年経ていてもなお、学園に残された革新的なシステムや雰囲気から、その影響力の大きさが感じ取れた。
特に彼女の薫陶を直接受けていた世代の教師陣の、揺るがぬ理念や肚の据わり方は、騎士団にも劣らぬものがある。
今年の冬の一大イベント雪中行軍などもそうだ。
イベント中の魔物の召喚が、預言者によって警告されており、その上、直前に強力な人型魔物の侵入を許していた事実も発覚したため、多方面から開催を危ぶむ声が集中していた。
学園の内外で相当数の批判があった中、学園上層部は一切ぶれることなく行事を強行した。
その判断は、結果を見れば大成功と言える。
よくもあれほどの反対をはねのけ、これだけの成果を上げたものだ。
かかっていたのは、多くの生徒の身の安全。己の危険の方がまだ気が楽というものだ。
校長たちの進退をかけた勇気と英断には、率直に感嘆を覚える。
今回の経験が、生徒たちにとってどれほどの財産となることか。安全が保障された数十回の訓練よりも、遥かに実りある演習となった。
「も~、これ、いつ終わるの!」
同行する班の生徒の愚痴が聞こえた。
雪中行軍の内容が、魔物の殲滅後変更されたためだ。
脅威は去ったということで、警備人員や協力者は最低限の数を残して解散となり、生徒は再び班ごとまとまって、学園中に散らばる魔物の回収を分担している。
その任務完遂をもって、イベント終了となる。
「やっと魔物が全部片付いたと思ったら、更にその片付けがあるなんて……」
疲れた体に鞭打って、回収用の袋に魔物の残骸を放り込んでいく生徒たち。
戦闘が終わればそこで終了となるほど、この学園は甘くない。事後処理も含めて、最後まで自分で経験させるのが教育というものだ。
数が多く、範囲も学園中に及ぶだけに、予定通り明日までの日程となるだろう。
俺が受け持っている8班の面々も、全員大きな怪我もなく、仕上げの仕事に当たっている。
「お祭りは、最後の片付けまでがお祭りなのよ」
班の中でただ一人、一切の疲れもうかがえない様子でおかしそうに言ったのは、グラディスだ。
一度は班からはぐれたが、下で一足先に保護されており、殲滅ミッション終了後、無事合流することができた。
彼女の発言のたびに、俺の斜め後ろから尋常でない気配が漂ってくるが、もはや気にしないことにした。イベント開始後、間もなく気が付いたが、俺の補助についているティナの目が、時々異様にギラギラするのだ。
見た目はいつも通りの冷静さを保っているが、合流してからのグラディスへのまなざしが、一層おかしくなっている。
突発的に生徒をかばってしまった行動は仕方なかったとしても、これ以上は職員としてぼろを出さないように、注視しておいた方がよさそうだ。正直、不気味さがある。
「お祭りって……そんないいもんじゃないだろ」
仲間の呆れたぼやきに、グラディスは笑顔で事もなげに言う。
「だって楽しかったでしょ?」
「「「「はあっ!!?」」」」
思いもよらない一言に、誰もが耳を疑って聞き返す。
バルフォア学園への魔物の襲来という、建国以来前代未聞の大事件を前に、まるで通常の学園イベントに対するような感想だ。
周囲のありえないと言いたげな反応に対し、逆に不思議そうな表情すら浮かべる。
「え? みんな、楽しくなかったの?」
真面目に問われ、全員それぞれに無言で顔を見合わせる。
それから一斉に噴き出した。
「そうだな。滅多にない、貴重な経験ができたな」
どこか吹っ切れたような笑みで代表して答えたのは、リーダーを務めたクライヴだ。
今回の件で、皆大きな成長を見せたが、特に彼の成長ぶりは著しい。真面目一辺倒ゆえに柔軟さに欠ける面が目立つエインズワース家だが、今回の経験で一皮むけたように見える。
初めはほぼ初対面同士だった他人が、すっかり一つの班として機能し、クライヴはそれをしっかりとまとめ上げている。
そしてそこに一人だけ、異質な人物がいる。
グラディス・ラングレー。
新入生としてクラスで会った初日から、すでに異彩を放つ存在だった。




