罠、反撃
そう、笑ってはいけない雪中行軍。
笑いの……じゃなくて、ドッキリ……でもなくて、試練の仕掛人!
それがバルフォア卒業生たちからなるボランティアさんの正体だ。
避難中に想定されうるあらゆるトラブルへの対応力を鍛えることが最大の目的。ある意味精神的修養の側面が強いイベントなのだ。
まだ社会に出ていない世間知らずの学生にとって、最も恐ろしいトラップの数々。危険はないのにひたすらメンタルが削られるイライラ度マックスの罠が、容赦なく襲い掛かってくる。
こういう予想外の、でも実際に十分遭遇し得るトラブルに直面させ、何とかして試練を乗り越える経験を若者に積ませるのが、ここでのボランティアさんの役割。
思い切り暴れられるお祭り色の強い他のイベントと違って、現実にはこのイベントの経験が、実社会では一番役に立つ。
それを先達として痛感しているからこそ、みなさんいやらしい精神攻撃にも身が入るというものだ。
私もザカライア時代は、それはもう迷惑でめんどくさいクレーマー役を演じさせてもらった。
「お腹すいた」「疲れた」「もう歩けない」「足が痛い」「おんぶして」「年寄りへの嫌がらせか、この税金泥棒」などのわがままや暴言から、水や食料をうっかり滅茶滅茶にしたり、罠を作動させて味方の足を散々引っ張ったり等々、災害映画でいかにも出てきそうな分かりやすいクレーマー系足手まとい避難民役を、全身全霊で演じてやったもんだ。
もちろん生徒を鍛えるため、心を鬼にしてやってたんだよ!? 決して生徒の困ったり怒ったりする姿が楽しいからなんかじゃないんだ! ホントだよ(一割くらいは)!!
危険性が高いと予言されているにもかかわらず、今年の雪中行軍が中止にならなかったのは、きっとこの日を心待ちにしている彼らの強力な突き上げ……いや、要請のおかげもあったに違いないと確信している。
常連なんて、毎年がっちり参加するために、この時期のスケジュール空けとくくらいだからね。みんな暇人じゃないのに。むしろ国の重要な仕事に忙殺されるレベルの重鎮ばかりなのに。
後輩に先輩風を吹かせに来るためなら、どんなに忙しくてもない時間を捻り出してのこのこ舞い戻ってくるのが体育会系だ! たるんだ後輩に喝を入れてやるのだ! 素晴らしい親心! 年に一度のストレス発散の場として活用されてるわけじゃありません!
我が8班のみんなを巻き込みながら繰り広げられる、教え子二人の迫真に迫った大喧嘩――眺めながら、ご苦労様ですと内心で笑いをこらえて感謝する。
ぷっ。それにしてもなんだかんだで、この区長コンビ、息ぴったりだね。さすが三十年来のコンビ芸。
と思ってたら、脳筋ハワードの視線が、次の獲物を狙い定めるように私に向いた。
「そういえば、グラディス・ラングレー! お前のバカ親父のっ……うわあっ!?」
おっと、そこまでだ!
めんどくさいから、ハワードが私に向かって進み出てきた一瞬を見計らい、相手の襟元と左袖を掴んで、足を払ってやった。
ハワードの体があっけないくらい軽く宙に浮いて、背中から雪の地面に落ちる。
出足払い一本!!
一周目で兄ちゃんズに、それこそ挨拶代わりのように散々かけられてたやつだ。これくらいなら今でも余裕でできるのだよ! 軽量非力でも、タイミングの技なら絶対に外さないからね。
「「「「「「は…………?」」」」」」
まさかの物理! 目撃者の誰もが、目を疑ってあんぐりとする。
この場で一番の理論武装、口撃キャラと目される私の問答無用の力技なんて、誰も予想もしてないだろうから無理もない。っていうか、今世では初披露かな?
でもきれいに技が決まった。久しぶりで気持ちいいな!
ともかくハワードの攻撃の矛先、絶対こっちにも向くと思ってたんだよね。
なにしろ奴は十四区の区長。この班に放り込まれた私にも、実は当然のように、非常に残念な縁があるのだ。
十四区と言えば、私とユーカが誘拐されたハンター邸があるとこだったりする。
ただ被害者なだけだったら問題ないんだけど、うちのバカ親父が捜索の過程での暴走で、いくつもの屋敷を破壊して、直接の迷惑をかけてしまった相手なのだ。
その節はすいませんでしたあっ!!
でも最後まで言わせねえ!! いくらこっちに落ち度があっても、戦う以上は空気持ってかれる隙は作らん。もう賠償済んでるしな!
とにかく最初が肝心なのだ。予想外の先制攻撃で出鼻をくじいた上で、わざとらしく驚いた表情をする。
「あら、雪の上で急に動くと危ないですよ?」
ぬけぬけと忠告する。雪に滑って、本人が勝手に転んだ体で押し通してやるぜ!
とぼける私に、当然ハワードは反論する。
「いっ、今、お前が転ばせたんだろう!? 暴力行為で学園に抗議する!」
大事にするのが彼らの仕事。さあ、どこまで話を大きく広げてやろうかとそろばんをはじいてる音が聞こえそうだね。私も十何年か前までそっち側だったから、手の内も考え方もよく分かっているのだ。
「覚悟しておけ!! 裁判までもっていって徹底的に究明してやるぞ!!」
いいネタを見つけたとばかりに、反撃にも力が入り、伝家の宝刀を抜いてくる。
学生が立場のある大人にこれをやられたら、さぞ震え上がるだろうね。もちろん私には通用しない。
激昂している風を装うハワードを相手に、不思議そうな表情で首を傾げて見せる。
「え? 私が? おっしゃっている意味が分からないわ。ちょっとそこのあなた。あなたよ、ノーラ。ハワードさんが私に転ばされたと主張されているのだけど、あなた見たかしら?」
「い、いえ……見てません」
なぜかいきなりのご指名でトラブルの渦中に巻き込まれたことに焦りながらも、なんとか答える同級生の少女。
そう。最初に特に名指しで選んだノーラは、たまたま目を離していて、間近にいながら現場を目撃してはいなかった。
急に問われて、頭を真っ白にしながらも即座に否定を返す。そこに嘘はない。
当然だ。本当に見ていないのだから! たとえ音や気配は感じてたとしてもね。
そして一人目の素の答えが重要なのだ。
「じゃあ、リーダーは?」
間髪をいれず、別方向に畳みかける。考える余裕なんて与えない。
「い、いや……見てない……」
次に聞いたのは、私に苦手意識のあるクライブ。前の証言につられて、反射的に否定する。
ふはははは! リーダーの証言も取れた! 後は同調圧力で、目撃者なし! 一瞬にして「うわあ……」という空気が広がる。
ここにいる誰もが、この流れで、私の意図を察したことだろう。
同じグループのメンバー一人一人に、あえてゆったりとした口調で問いかけていき、誰からも目撃証言が出ることはなかった。
私の目が光ってるとこで、自分だけ見たなんて言えない空気をがっちり作り上げたからね。
その上、みんなおっさん二人の立ち回りにはいい加減うんざりしてたから、分かりやすいシナリオを提示してやれば、ここぞとばかりに乗っかってくるのは必然だ。
これぞ阿吽の呼吸のチームプレー! みんなの心が一つになった! なんか嫌な談合みたいだね。いや、これも作戦だ!
一方、審判役である職員は、空気と同じ扱い。一切のやり取りにはかかわってこない。しっかり目撃してても、もちろん証言なんてしない。
同様に、警護に当たっていた騎士と魔導師もばっちり目撃してたけど、職務中の彼らを余計な雑事で煩わせるわけにはいかない。これは学生、ボランティアさん共通の通達事項。当然騒動を起こす側に巻き込むことはできないのだ。
「お仕事ご苦労様!」とばかりに素敵な笑顔を向けたら、視線を外された。
解せぬ。
そしてティナさんだけが表情に出さないままに、なんか舞い上がってる。視線を外した。




