もしかして
完全に白旗を上げる。「絶対に落としてやらあ」と、さっきまであんなにやる気満々だったのに。
結局狙った展開とは全然違っちゃったけど、それ以上の結果はもらえた。
気負いが消えて、肩から力が抜ける。
せっかく作った誰の邪魔も入らない貴重な時間なんだから、空回って突っ走るよりも、もっと今を大事に楽しまないともったいないよね。
本当は二人きりになったら、言いたいことはたくさんあったんだ。
「――そういえばお礼、まだ言ってなかったね」
「お礼?」
意地でも引っ付いたままで近距離から見上げて、唐突な話題転換。キアランが不思議そうに訊く。
「トラブルがあった雪中行軍演習の日の、別れ際のキアランの言葉。すごく嬉しかった」
よく頑張った。お前は間違ってないと――。たったそれだけの言葉で、鉛を飲み込んだように重かった心が、あんなにも楽になった。
一人で抱え込む期間があまりにも長過ぎて、いまだに加減ができてない。頼ってもいいことを忘れて突っ走りがちの私を、キアランはいつも必ず見付けて、支えてくれる。
「いつも必ず、私を捕まえてくれて、ありがとう」
「――ああ……」
頷いてから、でも複雑な表情をかすかに滲ませた。
キアランの視線が、会場を出ていくマックスの姿を捉えている。大惨事のベルタを、ユーカと運び出してるところだ。
「私に手を出さないのは、マックスに義理立てしてるから? 私のことでは、もう誰にも譲らないんじゃなかったの?」
「譲るつもりはない。だが、俺自身に引け目がある状態で、これ以上お前に触れるわけにはいかないとも思っている」
強い意志を込めた目で、きっぱりと面白くない宣言をする。そんな決意表明いりませんよ!
「引け目って?」
「この前もそうだ。お前が苦しんでいたのに気付いていても、俺は傍にもいてやれない。結局いつもお前を傍で現実に守っているのはマクシミリアンだ」
マックスを見ながら、不本意そうに呟く。
キアランからしたら納得し難いのかもしれないけど、比べ方が間違ってる気がする。
家族は一緒にいて助け合うものだもん。確かにマックスは私を危険から守ろうとするけど、私だっていつもマックスを甘く厳しく教育することで、姉として守っている。そんな当たり前のことに負い目なんて持つ必要ないのに。
「分かってないなあ。私がどれだけ、いつもキアランに支えられてるか。さっきのお礼じゃ足りないの?」
「――俺はせいぜい、小さな助言をする程度だ」
「それを私にできる人が、他にもごろごろいるとでも思ってる?」
その「小さな助言」とやらに、私がどれほど救われているか。
私の精神状態が揺らいだ時に必ず気付いて正確に読み取ってくれるのは、いつだってキアランだった。そのたびに心をすくい上げてくれる言葉や行動をくれるのも。
物事を公正に見られるのに、どうして自己評価だけこう低いんだろうね。まあ、この若さにしては冷静さが過ぎるくらいだから、こういうとこもあるのはちょっと微笑ましいというか、逆にほっとするってものか。
いったん視線をそらしていたキアランは、はっきりと思案に暮れたように、再び私の目の奥までものぞき込んでくる。
「お前の不安は、理解してるつもりだ。いつお前を大預言者に奪われるのかと考えると、俺も、怖い」
慎重に選ぶように、ゆっくりとした言葉で核心に触れる。
「お前を失わずに済む方法は、実はとても簡単なんだろう。お前が受け入れてさえくれるなら」
私が強引に迫った理由も、常に私に付きまとう焦りまでをも、キアランは見透かしていた。
だから、無碍に窘めることもできなくて、対応が曖昧になっちゃったんだね。
そして私はいつでもOKなのも理解した上でなお、キアランはその簡単な方法を取るつもりがない。というか、暴走をまた止められちゃったな。
「せっかくの据え膳なんだから、遠慮せず食べちゃえばいいのに」
「――あまり、誘惑しないでくれ。お前は分かってない。俺が、どれだけお前に……」
途中で口を閉ざす。
キアラン、もう一声! 言いかけたことは最後まで言うものですよ!
言うべきでないと判断したら、本当に言ってくれないなあ、もう! お前に、の続きプリーズ! 「メロメロだ」とか「エロいことしたい」とか、こっちで勝手に補完しちゃうからね!?
「私の攻撃は、ちゃんと効いてるの?」
思わず確認してしまう。
反応が薄過ぎな気はするけど、やせ我慢的に解釈していいんだよね?
「いつでも陥落寸前だ」
回答の内容だけは、期待以上なんだけどね。ただし相当疑わしいくらいいつも通りの冷静さだから、いまいち信憑性がない。
「そんなこと言っても、キアランは陥落しないでしょ」
「――そう、思うか?」
「うん。なんか、私ばっかり感情に任せて突っ走って、困らせてるような気がしてくる」
「俺がこれほど感情だけで判断してることなんて、他にないんだがな……。合理的な行動が、どうしても取れない」
私のクレームに、キアランはどこか苦い表情で笑う。
「婚約どころか一切の公表を待たせて、何の約束もできていない状態を強いておきながら、裏でこそこそお前に手を出すような卑怯なことは、俺にはできない。そんな自分自身を許せない。ただ必要だからと、それが一番合理的だからと、手っ取り早く楽に安心を買うのは、違う気がする。そんな真似をしたら、マクシミリアンにも合わせる顔がない」
「……」
だから今は私の誘惑に乗るつもりはないと、はっきり宣言されたようなものだ。今の綱渡りな状況が続こうとも。
「――いつか、後悔する時が来るのかもしれなくても?」
「その時はその時に考える」
「何、それ? キアランらしくない」
「だろう?」
お互いに顔を見合わせ、冗談めかして笑う。
――違うね。すごく、キアランらしいや。
本当に、私との未来を真剣に考えてくれているんだ。その場しのぎの勢いに流されずに。もちろんマックスとのことも。
もどかしくもあるけど、こういう真面目で誠実なところがキアランなんだからしょうがない。
それから表情から笑顔を収め、キアランは私の目を真っ直ぐ見下ろした。
「いつか、誰にはばかることなくお前とのことを世間に出せる時が来たら、俺は誰にも遠慮しない。お前にも」
私を見つめるその目に、告白された日と同じ強い意志がのぞいた気がして、それだけで鼓動が限界まで高まってくる。
「だからそれまでは、手加減してくれるとありがたい。お前に関することでの自制心は、我ながらガタガタなんだ」
「私の辞書に『手加減』なんて文字、あったかなあ?」
わざと意地悪い口調で返す。全人生通じて、そんな単語は引いた記憶がありませんな。
その反論に、キアランはいつものように静かに微笑んだ。
「――そうだな。いつも全力なのがお前か。いいさ。自由にしてくれ。俺が揺らがなければいい話だ」
「頑固だ」
「それが俺だ」
宣言通り、私を包む腕は、変わらずそっと穏やかなまま。せいぜい背中の辺りで私の髪を軽く弄ぶ程度か。そんなことに、どうしようもないくらい満たされてしまう。
――なんだよ、本当に鉄壁の牙城じゃないか。どこがガタガタなんだか。癪だから攻撃は続行だ。
不貞腐れた顔を作って見せたけど、誘惑計画失敗のダメージはほとんど感じなかった。
キアランから伝わってくる鼓動が、私に引けをとらないくらい速くなってることだけで、なんかもう満足しちゃってる。
まあいいや。こうして、くっついておしゃべりでただまったりすごす時間も、それはそれで幸せだ。
周りはがやがやと賑やかで、友達だらけな環境。昔からあんなに憧れてたロマンチックさの欠片もない。
けど、キアランの体温は全身に確かに感じる。それ以外の熱も。
もしかしたら、やっぱりこれは、どうやらロマンチックなのかもしれない。
グラディスの脳内補完は大筋で正解。




