見守る
ファーガスが、どこか苦渋を漂わせる表情で、重々しく頷いた。
「――はい。このまま行うべきかどうか……正直、まだ迷いがあります。決断するために、少しでも情報が欲しいのです。あなたに頼るのは心苦しいのですが……」
「そんな情けない顔しなくていいよ、鬼校長。今年は特別だからね。どれだけやっても慎重過ぎるってことはない」
むしろ生徒の安全のためなら、使える手段は何だって試すべきだ。
ただでさえ夏の森林サバイバルでは大変なことになった。その上、次の春には王都内で魔物の氾濫が起こるなんて予言が出されている。
新米校長としては、さぞ気を揉んでいることだろう。
「私としては、その予言があるからこそ、次の行事はより必須であると考えています」
「うん、私もそう思う」
ファーガスの考えには、全面的に同意だ。雪中行軍だけは、他のお祭り色の強いイベントとは性質を異にするものだからね。
固唾を呑むようなファーガスに、私は率直に告げる。
「結論から言うと、多分、森林サバイバルの時のようなハプニングは起こると思う。少なくとも通常通りには終わらない」
予感のままに、断言する。ファーガスが険しい表情に戻った。
「春に事が起こるという予言、あれは、あなたが元ですか」
「う~ん……正確には、経験者の予測かな?」
人間では想像もつかないほどの悠久の時の中で、人類と侵攻者との攻防の歴史を繰り返し見続けてきたカッサンドラの経験則。
「まあ、私の予知でもそこは動かないけどね。――というより、動かすべきじゃない気がしている」
だから今回、最後以外のほとんどを見守るだけに徹したのだ。
こんな判断をすることになったのには、実は私ですら予想外だったきっかけがあった。
生前のグレイスの置き土産を、目にしたせいだ。
正直、少なくない衝撃だった。
もう舞台は整ったからそろそろここで立ち止まるようにと、警告を受けた気がした。それこそ天の啓示くらいの勢いで揺さぶられたのだ。
運命に不用意に介入する意欲が、著しく減退した。このタイミングであれを見たこと自体、まるで仕組まれた運命のようだけど。
――いや、多分そうなんだろう。
本当にあの人は、奇妙な存在だ。生きていても死んでいても、私への影響力が絶大で。
「春に向けて、すべてが動き出している。すでに定まりつつある道筋の大きな流れに任せて、もう余計な介入はできる限り排除するべきだと考えている」
正直なところを、率直に伝えた。
「だから、私は阻止には動かない。起こったことに対して、その都度対処していく方向で行くつもり。次のイベントも」
「つまり、事件が起こる前提で動けと」
「そうだね。いつもならアイザックに持っていく話だけど、学園関連に関しての責任者はあんただから、伝えておく。雪中行軍イベント、敢行すればきっとまた大変なことになる。今日以上にただの演習では終わらないよ。仮に中断するとしても、批判はしない。あんたの判断次第だよ」
「――この学園で、過保護はあり得ません。死者が出るなら不可ですが、命の危険程度は望むところです」
ファーガスが真剣な表情で、それでも揺るがずに即答した。
「最善の対策を取ることで対応できるならば、挑む価値はあると思います。あなたが私に決断をゆだねたというのは、そういうことですよね? むしろ春に起こる変事に備え、今の学生たちに最も必要な行事であるという考えに変わりはありません」
すでに迷いのない目で、決断を下した。
そうだよ。それがバルフォア学園のトップだ。
いくつになっても人間は成長する。それを目の前で見せつけられた思いがする。生徒にナメられることを悩んでいたかつての気弱な姿はそこになかった。
「頼りがいのある校長になったね」
「いつまでも若造ではいられませんからね。――それにしても、まったく胃が痛い毎日ですよ。モードたちに校長を押し付けられてから」
「ふふ。結果だけ見れば、適任だと思うよ?」
「――恐れ入ります」
少し照れると、途端に昔の印象がまた顔をのぞかせた。
とにかくこれで決まりだ。
「じゃあ学園側からも上にきっちり掛け合って、フォローも万全に整えてね。私も、アイザックとエイダに、必要な指示は伝えておくから」
「ありがとうございます」
ひと段落したところで、最後に残っていた懸案事項を話題に挙げることにした。
「ああ、あと、結果的には大ごとになっちゃったけど、ベルタのした失敗はただ前方不注意で階段から落ちたってだけだから、あんまり叱り過ぎないでやってね」
ぼやっとしてるあの子も、今回はさすがに相当へこんでるらしい。友達として注意はしておくつもりだけど、教師側の対応も重要だ。
「承知しています。あのタイプの生徒は、10年に一人くらい出てくるんですよね。あれだけの才能を潰すつもりはありませんよ」
育てる使命を負い、何よりその楽しみを知る教育者として、ファーガスが力強く頷く。
「ペナルティとして、ハイド大の研修にでも放り込んでみましょうか。数学のワイアット教授のところは相当ハードらしいですよ」
「ああ、ヘンリー・ワイアット? あの子も10年に一人のクチだったからねえ。変わり者同士、意外と気が合うんじゃない? ベルタにはむしろご褒美になりそうだけど」
なんだか他人には読み解けない宇宙語で語り合ってる姿が目に浮かぶ。
「ああ、それと……」
今度はファーガスの方が、思い出したように話題を転換した。
「ん?」
「ご挨拶が遅れましたが、再びお会いできて、嬉しく思います。先生――いえ、グラディス。この学園の大切な生徒の一人として、君の学生生活を守ることに、教師一同は全力を尽くすでしょう」
普段から顔に張り付いた厳めしい表情ではなく、今は知る者も少なくなった新人の頃のような穏やかさで、それでも信念を持って宣言してくれた。これが本来のファーガスなのだ。
「ふふふ、ありがとうございます。校長先生」
私も澄ました顔で答える。かつての私の面影を追いながらも、今の私を受け入れてくれていることに心から感謝しながら。
そこでふと扉の外に気配を感じた。
「久し振りに話せて楽しかったけど、そろそろ潮時だね。ティナさんが突入してきそうだよ」
「彼女にとっても今日の出来事は衝撃的だったでしょうからね。余程こちらの様子が気になるのでしょうか。守秘義務は果たしてくれると思いますが……」
「ああ、そこは心配してない。あの人もちょっと特殊な人だけどね」
そう。ちょっと特殊。
この学園内にはああいう人が何人かいるんだよね。見る限りティナさんはその筆頭。まあ、方向性の問題というか――トラブルになりかねないから、私からは全員一律でスルーしている。悪い人じゃないんだけどねえ。面白いし。
優秀な職員に対する意味深な評価に、上司としてファーガスは首をかしげる。
「特殊ですか? 仕事では優秀ですが」
「本人が頑張って隠してるからね。明らかに垣間見えても、私も気付かないフリしてる」
「まあ、職員のプライバシーを詮索するつもりはありませんよ。――それにしても、頑張って隠している、ですか? どこかで聞いたような話ですね。どうやら成果が上がっていない点まで」
私をチラリと見て、含み笑いをした。
「…………」
――ハイハイ、どーせ私も隠せてた気になってたマヌケですよ! と、内心で肩をすくめる。
日常生活で神経を張り巡らせるのは、危機管理の観点から、基本的に悪意の類に限定している。向けられるあらゆる感情を常時感知してたら、神経持たないもん。
まあつまりは、危機感に引っ掛かりようがないくらい、温かく見守られてたってことなんだよね。さっきも言われた通り、ただの一学生として。
本当に、感謝してますよ、先生方。




