寄り添う
さすがのバルフォア学園クオリティーというべきか、雪中行軍演習は、予定より遅れたもののしっかり敢行された。
重傷者は特になく、救急搬送までされたのは急病で倒れたモードだけだった。
むしろみんなテンションが上がって、気合が入ってたくらいだ。
そして演習の間もおしゃべりに花が咲きまくる。朝の出来事だけでご飯三杯はいける勢いだ。
特に戦闘職と違ってひたすら歩くだけの一般人は、他にすることないし。雪中行軍なんてしんどいこと、楽しくおしゃべりでまぎらわせなきゃやってられないって感じだね。私はこのキツさは経験済みだから、聞き役に徹してたけど。
案の定後半バテた連中に、ペース配分を考えないからだ愚か者め! と内心で笑っといた。ザカライアだったら大声で言ってたのに。
まあおかげで、大量の噂話が耳に入ってきた。
今日の騒動では、いろんなエピソードが生まれたようで、あいつそんなことになってたのかというオモシロ話がボロボロ出てくる。そういうのは学生たちの間で、あっという間に広がった。
炸裂する魔術の雨あられの中から一般生徒を助けたという正統派もいれば、どさくさに紛れてライバルに魔術攻撃の流れ弾を当てた結果、殴り合いの大乱闘に発展なんて問題児もいたり。……見たかったなあ。
意外というか当然というか、こういう乱戦状態で一番活躍したのは、抜群のチームワークを発揮するハンター家ご一行だったそうだ。今回の殊勲賞は彼らだと、大半の学生が太鼓判を押してた。ガイも馬鹿だけど、指揮する頭はあるからな。最近はショーギで鍛えてるおかげか、ますます成長著しい。
だとすると、誰も知らない裏の殊勲賞がユーカとクローディアってことになるのかな。
倒れていた副校長をたまたま見つけて介抱したらしい、なんて地味な内容に改変されちゃったからね。
せいぜい放課後までの間に、何度か軽く触れられた程度。特に注目されることもなく多くの話題の中に埋もれさせちゃって、大活躍した二人には申し訳ない。
でもクローディアにも諭した通り、今日の出来事がいつか報われると言ったのは本心だ。その意味が分かる時は、きっと来る。
「そういえばその副校長救助の件で、このあと校長室で説明することになってるんだろ? 唯一の搬送事案だもんな。でもあの校長とサシで対面とか、考えたくね~」
マックスが私に同情してきた。今日は放課後になっても、まだ教室で情報交換という名目のおしゃべりが尽きない。
私はニヤリと返す。
「ふふふ、私が気後れすると思う?」
「だよな」
それにしてもファーガスのやつ、ホントにうまいことやってるなあ。ここまで生徒に怖れられてるなんて立派なもんだよ。もう誰にもナメられてない。
「騒動とは別件で倒れてたんでしょ? 大した病状じゃなかったそうだし、よかったわね」
真相を知らないヴァイオラが気楽に言う。校長命令だから、もちろん仲間内にも話してない。ここで知っているのは私とユーカだけ。
「うん、当たり前の対応をしただけだから、報告するようなことなんてほとんどないんだけどね」
しれっとのんきに答える私に、マックスが興味津々で続ける。
「お前とユーカ、ベルタが転んだ事件の最初から、全部見てたんだろ?」
「そうだね。だからそっちの説明が本題になるかもね。なにしろ一番の目撃者だから」
笑顔で答える私に、ノアが羨ましそうな目を向けた。
「あ~あ、僕もスタートから見たかったなあ。見ておくべきものがあちこちに多過ぎて、どこに付いていこうか選ぶのに困っちゃったよ」
残念そうにぼやく。
あの大騒動もこいつには滅多に見られない娯楽か。できることなら私も混ざりたかったよ、こんちくしょー。きっとさぞバリエーション豊かなハプニングを堪能してきたんだろうな。例によって後で詳しく聞いとこうか。
ちなみに当のベルタは、すっ飛ばされてキャッチされた衝撃で気絶したせいで、その後の大展開を知らなかった。
医務室で目を覚ましてから聞かされ、再び気を失ったらしい。どうフォローすればいいのやら。
そこでユーカが申し訳なさそうに手を合わせた。
「校長の相手、任せちゃってすみません! 校長室に呼び出しとか、なんか苦手で」
「まあ、得意になるくらい常連でも困るでしょ。そうだ、ついでに成績の交渉もしてこようか?」
「あれは冗談ですよ! ちゃんと実力でやります!」
からかったら、膨れっ面が返ってきた。
「あら、利用できるものは何でも利用するものよ。なかなかの取引材料じゃない」
「もったいないよな」
「僕なら徹底的に恩に着せて、可能な限りのものはもぎ取るね」
当然のように言うヴァイオラに、周囲はみんな大真面目に同意する。ユーカの方が戸惑った。
「ええ~……?」
「卑怯の基準が、『日本』とは違うからねえ」
共感できるだけに、思わず苦笑する。
すっかりこの国に馴染んだようでも、まだまだユーカには付いていけない部分もあるらしい。
基本的に結果がすべてだから、建前の清廉潔白とかそれほど求められない社会なんだよね。なんならカンニングだってアリなくらいだ。学園の厳しい監視体制をかい潜れるレベルなら、むしろアッパレ。まあ、バレたらアウトだから、その素晴らしい技術は結局誰にも誉めてはもらえないんだけど。
「まあ、ユーカが気分よくいられる方を選びなよ」
「じゃあ、やっぱり自力で頑張ります」
「うん、それがいいよ」
気合を入れてきっぱり答えたユーカに、すぐさま賛同を返す。
別にユーカがどんな結論を出そうとかまわない。自分の意思や価値観を無理に捻じ曲げてまで、この国流に馴染む必要もないしね。大事なのはこういう日常の些細な決断の積み重ね。そうやって折り合えるラインを徐々に設定していく。それで失敗しても、フォロ-してやればいい。
放課後の教室で、短い時間ながら、今日の刺激的な出来事についてみんなでにぎやかに語り合う中で、キアランだけは、いつもより口数が少ないみたいだった。
朝から心配かけちゃってたしなあ。
ほら、大丈夫だったでしょと、笑顔でアイコンタクトを送ってみる。ちょっと大変な騒ぎはあったけど、結局は大きな問題も残さず収まった。
みんなの空気に合わせてはいるけど、キアランはどこか微妙な表情で応えた。
これは、何か言いたいことがある時の態度だなあ。二人きりだったらじっくり聞き出せるのに。
「それじゃ、また明日」
話題は尽きないものの、さすがにみんな暇じゃない。楽しい時間を惜しみつつ解散となって、教室を後にする仲間を見送る。私は居残りだ。ファーガスが待ってるからね。
みんなに続いて出ていこうと扉に手をかけたキアランは、そこでふと足を止めて振り返った。
「今日はよく頑張ったな。お前は間違ってない」
普段と変わらないさりげない口調で、それだけ言って出ていった。
モードの介抱に対して「よくやったな」とは、今日、不特定多数の相手から何度かかけられた言葉だ。誰が見ても、それと同じような気軽な称賛。
ただ、数秒交わした視線だけは、私の心を見通すかのように真っ直ぐで真剣なもので……。
「――――――」
ここが、人目のある教室でなかったら、作り笑顔を保てなかったかもしれない。
――やられた。
キアランには、凄腕の情報屋が相棒にいたんだった。ノアの奴、あんな惚けたことをほざいておいて、結局は職員室の一件を選んで見てたんじゃないか。まったく大した嗅覚だよ! あの時は、気付く余裕もなかった。
つまりファーガスが口外を禁じた職員室での一連の出来事も、キアランは正確に把握していたんだ。その上での、私にかけたあのセリフ。
それに、本当にやられた。不意打ちで心臓を撃ち抜かれた。
ザカライアの頃から、ずっと当たり前に思われていた。
誰もが大預言者を万能の存在のように、過剰に妄信しがちだった。無敵の予知ですべてを掌に載せ、最良の結果を導いて、何でもうまく収めてしまうと。国家主導で、そのように神々しく演出すらされていたくらいだ。
強くは否定しないけど、だからって、心の作りまで人と違うわけじゃない。
確かにモードが無事生き返るビジョンは見えていた。だけど、かつて親しい仲間として過ごした相手を、知りながら見殺しにすることが、平気なはずがない。
息のない友人を実際に目にした時は、罪悪感で私の心臓が止まるかと思った。
私自身が、自分の決断を許せないでいる部分がある。それでも反省も後悔もしない。結局最善のためなら、私は何度でも必ず同じ選択をするから。
だから、ただ独りで自己嫌悪を抱えて呑み込むつもりだったのに。
あの場に居合わせた誰にも、私がそこまで苦しかったことなんて悟らせなかった。すべては計算通りとでもいうように。ずっと半世紀もそういう風にやって来た。
なのに、そこに居もしなかったキアランは見逃さない。いつでも気が付いてくれる。私が本当にきつい時には。
今日一日の出来事の顛末を知って、私が朝からナーバスだった理由にすぐ思い至って……そして、その非情な決断を認めてくれた。決断する立場の覚悟を、同じく持っている者として。
間違ってないなんて、何の根拠もないただの強弁だ。あまりに非論理的で、キアランらしくもない。
それでも、別れ際のあんな短い言葉で、信じられないくらい罪悪感の痛みが軽くなっている。
そう――こんな褒められないようなこと誰にも言うつもりはなかったし、平然と振る舞って見せていたけど、本当は私はすごく頑張ったのだ。
脳裏をかすめる悲劇のビジョンに心臓を鷲掴みにされ、失敗の恐怖とプレッシャーを抱えながら、必死に自分を奮い立たせて、指示を出していた。
だから、キアランのあのたった二言が、涙が出そうなほどに嬉しい。
間違っていないのだから自分を責めるなと。
よく頑張ったと。
傍にいなくとも、支えてくれる。大預言者としての私を孤独にさせない。
――まったくどこまで私を甘やかしてくれるつもりなの。これじゃ、何の戒めにもならないよ。
本当に、キアランにはかなわないなあ。
「――うん……ありがと」
もう見えない背中に向かって、口の中で呟いた。




