傍観
「おっと」
クローディアの後頭部目掛けて飛び込んできた魔力石を、上段前蹴りで弾き飛ばす。ちなみに現在履いている靴は、本番でも使う行軍用の編み上げブーツだ。頑丈な靴底でこれくらいならびくともしない。そして私は魔力がないから、当然魔法的な現象も皆無だ。ちくしょう。
「警戒が甘い。周りを冷静によく見て」
「…………」
駆け引き以前の、絶対的に有利な物理対応でまで私に後れを取り、ショックを受けるクローディア。
私の動作自体は騎士より遅くとも、スタートを切るのが反則級に早いから、こういう時はそれなりに対応できる。何しろ事が起こる前からフライングで防御に動き出せるもんね。
「――あ、ありがとう、ございます……」
おお、クローディア。引きつりつつもちゃんとお礼が言えたね。立派な成長だぞ! なんか幼稚園児を褒めるような心境だ。
私としてはその時できる人間がやればいいだけだと思うけど、騎士が一般人に庇われるというのは、けっこう恥じ入るべき事態らしい。人一倍騎士としてのプライドが高いこの子ならなおさらだろう。
強制参加させられてるマナーの授業の成果、素晴らしいね! 教師陣の指導力に拍手!
それにしても私の予測すら上回るベルタマジックには、呆れを通り越して感心する。大預言者すらも見事に巻き込む巻き添え力とでもいうか、悪運が、凄まじいスケールでグレードアップしてね!?
収束の目処が立つどころか、どんどん被害の規模が大きくなっていく様は、もはやコメディーにしか見えない。
「と、止めないとっ!」
クローディアは、アクロバティックな衝撃で気絶したベルタをそっと足元に横たえ、反射的に駆けだそうとした。その手をがしっと握る。
「だから、考えなしで飛び出すなってば。無闇に動かず、まずは周りを見て! こんな広範囲での同時多発的なトラブル、あんた一人じゃどうしようもないでしょ。下手に動いたらかえって他の人の邪魔して被害が拡大しかねないから、指示が出るまでここで私たちを守りながら待機!」
ここも飛び火が及ぶ範囲なんだから、意識のないベルタまでいるとこで、一番の戦力にフラフラされたら困るわ。
何より、これからもっと重大な仕事が待ってるのに。
私に制止され、クローディアもハッとして動きを止める。落ち着いて周囲を見渡せば、確かに点在する騎士、魔導師の学生も、教師たちも、その場に留まりながら、手近の火の粉だけ払う作業に徹していることに気付く。
「す、すみません」
また一人で暴走しかけたと反省して、謝る。一直線な性格だけに、納得出来れば素直に認めるのはこの子の長所だよね。たまに短所にもなるけど。
ほとんど間を置かずに、校内放送が流れた。
「東校舎南側でトラブル発生。作業を一時停止し、各自その場で待機せよ。全騎士、魔導師は魔術の使用を許可する。現場に急行、二人一組となり、教師の指示に従って救助、収束に当たれ。東校舎内にいる生徒は、玄関に集合。避難者、怪我人の収容、手当を手伝え」
その他、細々と指示が続き、数十秒の内には人が集まってくる。
さすがに対応が早い。あらゆる事態に対処できる人材を育成する教育方針なもんだから、こういうハプニングはむしろ実践訓練としてウエルカムなところもあるくらいだしね。
「グラディス、大丈夫か!?」
一目散に駆け付けて来たマックスが、私たちの前に立って防御壁を張った。
まったく、しょうがない子だなあと、内心で思わず失笑する。気持ちだけは感謝するけど、甘い顔はしないぞ。
「こっちはいいから、あんたも自分の仕事してきなさい。あそこに完璧なお手本があるでしょ」
指示しながら私が向けた視線の先には、キアランがいた。
この現場には、マックスと一緒に駆け付けている。そして、私の無事とクローディアを護りにつけている状況を一瞥で確認するなり、すぐに騒動中心部の救援に取り掛かったのだ。メンタル的に今はあてにならないと判断したマックスではなく、ヴァイオラと組んで。
「優先順位と状況判断! 今ここにあんたはいらない」
不肖の弟をジロリと睨んで発破をかける。
「わ、分かったよ、ちくしょ~!」
助けに来たのに叱られて、マックスはやけくそ気味に踵を返して走って行った。
マックスにはまだ納得しにくいんだろうな。
キアランのこういう合理的で冷淡に見えるくらいの判断力は、トップの資質として重要なんだけど。まあ、しっかりしてても十五歳だし、身内優先でもしょうがないか。
むしろキアランの冷静さの方がよっぽど希少だよね。あれ、集中力を欠くマックスを、一度私に叱らせてリセットさせようとか、絶対計算してたね。優しいのに、意外と友達相手にもシビアだ。いや、優しいからこそか。
だから私も信頼して任せられる。弟の成長に一役買ってくれるのは大いに有り難い。
当然私としても、しっかり乗っからせてもらった。
兄弟は比べちゃ教育上よくないらしいけど、勝負の世界の格闘家とかアスリートは相手と比較してナンボ。特にキアランと比べてやると、マックスがライバル意識で燃えて、成長の伸びがハンパないんだよな。『鉄は熱いうちに打て!』――おお、このことわざも私自身一周目のアスリート人生でよく言われたから、しっかり覚えてるぞ。人の悪い姉ちゃんでゴメンね。
心中で謝る私の横で、遠ざかった背中をユーカがちょっと同情の目で見送る。
「なんか、ちょっと可哀想ですね。叱られた子犬みたいです」
「緊急事態では即座の判断が生命線だからね。それ以前に、現場で命令違反なんて問題外。甘やかしちゃ、本人のためにならない」
「そうですね」
団体競技出身のユーカも、チームワークの重要性はよく理解しているだけに、あっさり同意した。
私たちは中心地から少し離れた場所で、鎮火に四苦八苦する様子を眺める。
局地的なことなら対応できても、同時多発的に広がったせいで、さすがのエリートの卵たちも騒動の収拾の付け方がバタバタしてぎこちない。戦闘に準ずるような現場に、こんなに保護するべき一般人が点在してる状況なんて実戦ではそうそうないし、さぞやりにくいだろうね。
マックスもクローディアも、どんなに才能があろうが、ここは経験を積んでくしかない。誰もがトリスタンみたいに直感で最適解の行動を選べるわけじゃないからね。
まあ、とにかくこれでここはなんとかなるだろ。
正直、ここまでならただの笑い話ですむ話。なんなら、一番の特等席で高みの見物決め込んでやらあくらいのもんだった。
でも残念ながら、この騒動は前座に過ぎない。私の本番はこれからだ。
今日起こる出来事のどこから介入すればいいか、真剣に迷った。
このバカ騒ぎのスタートボタンとなるベルタを、転ぶ前に支えてやるだけで、何も起こらなかったはずだ。
けれどもそれは、子供が転ばないようにと、歩く先の石を全部取り除いてやるような行為だ。彼女の人生すべてに責任なんて持てないし、教育的にもいいとは思わない。
かといってすべてを放置したら、取り返しのつかない事態が今回は避けられない。逆に手を加えすぎれば、未来が大きく流れを変えてしまう恐れもある。
そのさじ加減で悩んだ末、譲れない一点だけ、運命に逆らうことにした。
リスクがあるし、私自身もかなりの心理的な抵抗と負担がある。それでもなお、総合的に考えて、この一連の流れは未来に欠かせないピースの一つだと確信している。
だらこそ、リカバリーに賭ける決断をした。そのために必要な人材、ユーカとクローディアも揃えている。
そろそろ動くタイミングだ。
「じゃあ、私たちも行こうか」
身が引き締まる思いで、意識を一つのことに向ける。もう本来の展開を取り繕う必要もない。身を任せていた大きな流れから、外に足を踏み出す。
絶対に失敗するわけにはいかない。全身全霊の本気で臨もう。




