アンセル・ランドール(教え子・死神の父・2)
「――っ!?」
思いもかけない事実を明かされ、言葉を失う。だが驚くと同時に、ひどく納得もした。
前世の居場所にあれほど執着していたトロイにとって、同士がいる事実はどんな言葉や行動よりも、心を癒せるものだったのかもしれない。
情けない話だが、私たちはずっと一緒にいながら、あの子の心を支えてやる存在には、とうとうなれなかった……。
「私は親でありながら、息子の苦悩を理解してやることさえできなかった。可能な限り触れ合いは持ってきたつもりでしたが、家族として満たしてやることも不安を取り除いてやることも……。私は、何を間違えたのでしょう……」
今まで誰にも吐けなかった弱音を、初めて口にした。
私は家長としての責任がある。妻を支え、強い風当たりの中で動揺する一族を引っ張り、地に落ちた家の名誉の挽回や、後始末を押し付ける形になってしまった部下たちへの支援、被害者や遺族への償い、その他にも、謹慎の身とはいえ、やることは山ほどある。気丈に振る舞わねばならない。
厳しい叱責を受けるつもりでいた私に、何故か先生は穏やかな表情で首を横に振った。
「君のせいじゃない。しょうがなかったんだよ。誰にも、どうにもできなかった」
その反応に、意外さすら覚えた。先生は、昔から駄目なものには遠慮なく駄目と言う。逃避を許さずに、必ず現実を突きつける。
子を失った親への配慮だとしても、手を緩められたら逆に辛い。
「慰めないで下さい。どんな罵倒も受け入れる覚悟はあります」
訴える私に、先生は静かに首を横に振る。
「口先の慰めじゃなくて、これは経験者だから伝えられるただの事実。周りの人間には、いつでも支えられていた。でも、結局立ち直るかどうかは、自分の意思次第なんだよ。それは、本人以外にはどうにもできない領域のこと」
そう語る先生は、今まで見たこともないような遠い目をしていた。
「ただ遠い異国に住むだけでも、ホームシックってやつにはかかるものだよ。なのに、それまでの家族も環境もすべて失って、二度と戻れない異世界で生きることを強いられる重さと孤独は、たとえ親にも分からない。理解できなくて普通なんだよ。その中で、君たちはできるだけのことはやってきた」
「しかし……」
反論しようとする私を、先生は揺るがない視線で制した。
「あの子は、私にとっても特別な子だった。あの子にとっての私が特別だったように。私とあの子は、同じ思いを分かち合える存在のはずだった。なのに私は、再会した時、あの子から逃げてしまった。後悔を抱えているからこそ、君にも言いたい。何もできなかったと自分を責めないでほしい。あの子は、心を前世に置いてきてしまっていた。それは、君たちの力と努力が足りなかったせいじゃない。誰にもどうにもできなかったこと。私もザカライアの人生では、あれだけの友人に何十年囲まれていても気付くことができなかった。トロイ本人にすら、どうにもできなかったことなんだよ」
そこで一息ついて、私の隣の空席を見た。
「できればギネヴィアにも、一緒に伝えてやりたかったんだけどね」
「妻には負担をかけないよう、家で大事を取らせています」
「この一件で体調を崩しでもしたの?」
「いえ――」
先生の心配を否定しながら、口ごもりつつも切り出す。
「――お恥ずかしいのですが……実は、事件のすぐ後に妊娠が分かりまして……。ずっと二人目ができずに諦めていたのに、どうしてこんな時にと思いますが……」
いつも遠くばかり見ているトロイの目を家族に向けるためにも弟妹をと強く望んだ時期もあったが、結局二十年駄目だった。なのに、なぜ今なんだと思わずにはいられない。
「そう、おめでとう!!」
ともすればすぐに後ろ向きになる私の弱気を吹き飛ばす勢いで、先生はこちらが驚くほどの満面の笑顔を浮かべた。
「ギネヴィア、アラフォーの高齢出産か。全然表に出てこなかったのは、そのせいもあったんだね。確かに体だけでなく精神的にも大事を取らないとだね。君も仕事がなくてちょうどいいじゃない。出産と育児に全部参加できるチャンスだよ」
能天気なくらい前向きな励ましの言葉に、しかし私は手放しに喜ぶことができない。
「息子のせいで悲しんでいる遺族がいることを思うと、申し訳なくてとてもそんな風には……」
「――それは、君たちの贖罪の道連れで、子供の幸せを諦める理由になるの?」
怖いくらい静かな問いかけに、逆に心臓が鷲掴みにされた。
戸惑う私を、先生は言い聞かせるように真っ直ぐ見つめる。
「勘違いしちゃだめだよ。親のあんたが手放しで喜ばないでどうするの。誰が何と言おうと、おめでたいことだよ。後ろめたいことなんて何もない。盛大に喜んでやりなさい」
強い口調で命令のように言い放つ。
「――それにしても、悔しいね……。私にも弟妹がいるんだよ。生まれた瞬間の感動を、トロイにも知ってほしかった……そうしたら……いや、終わったことだね」
独り言のようにしみじみと呟いた。
「前を向いて生きなさい。後ろを振り返るのは、時々でいいから」
先生は誰よりご自身の言葉の重さを理解しておられる。その一言一言が、周囲にどんな影響力を及ぼすか。
大預言者の言葉は、現実と等しい力を持つものだから。少なくとも、周りはそう受け止める。他愛のないおしゃべりでさえも。
だから昔から先生は何でもあけすけに言い放つようでいて、言うべきでない言葉は決して発することがない。あるいはあえて大袈裟にぶちかまして、真意が読めないよう煙に巻く。
その先生の、率直で力強い祝福。これほど勇気付けられる命令はない。
先生はこれを伝えるために、宰相を通して、わざわざ私と会う機会を作ってくださったのだ。
自信を完全に打ち砕かれた私の尻を叩き、立ち直らせるために。ましてや、私たちはまた親になるのだから。
厳しい叱責を覚悟してここに来た私に、穏やかに諭すように、先生は続ける。
「この先も君たち夫婦は、トロイの親として、苦しい想いをすることも多いだろうね。だけど、子供にまで余計なものを背負わせちゃいけない。新しく受けた命も人生も、その子だけのものだから。トロイのこととは関係なく、こんな時とか思わず、ゼロから始まる命をただ慈しんで、全力で守ってあげなさい。転生者でも、そうでなくても」
核心を突かれ、息を飲んだ。
――やはり先生には、そこまで見通されていた。
私の心を蝕む不安と動揺の正体を。
私は恐れていた。このタイミングであるがゆえに、生まれてくる子に、同じ運命が背負わされている可能性を。
私たち夫婦は、転生が身近にあることを身をもって知っている。もし生まれてくる子供が、また同じだったら……いや、トロイ本人であることさえ考えられるのではないかと……そう願う期待と、しかしまた繰り返したらという強迫観念が拮抗して、身動きができなくなっていた。
先生なら、生まれてくる赤子が何者か――それすらも視えるのだろうか。しかしそういう類の未来は、絶対に口にしない方だと知っている。
今回も、例外ではなかった。
ただ迷いのない真摯なまなざしで断言された。
「苦しみを知るあんたたちは、必ず良い親になれるよ」
「――――――――」
無責任ともいえる、まるで根拠のない励まし。
しかし恩師の仮面が外れていた。だからこそ、本心だと分かる。
そして同時に、ようやく気付いた。
先生は、ずっとご自身のことを語ってくださっていたのだ。さっきから何度も繰り返し聞かされていた言葉の意味を、私は本当には理解できていなかった。
トロイをとうとう破滅するまでに追い詰めた苦悩は、先生もまた直面して乗り越えたものだったのだと。
誰よりも苦しみ続けてきたからこそ、長年黙してきたであろう胸の内を、秘密とともに私たちのためだけに打ち明けてくださったのだ。
目の前の少女の飾らない一言が、静かに胸に沁み込んだ。
ゼロから始まる命。
実際に前世を背負って生きてきた、そして今もまた次の人生を新たに生きている経験者としての、重い重い言葉。
心の中で絶えず吹き荒れていたごちゃごちゃとした余計なものが、すっと溶けていった気がした。目の前の霧が晴れる。
必ず、良い親に。
これは大預言者の予言ではない。だが遥かに重い、かつての恩師からの信頼に基づく保証。
――ただ慈しんで、全力で守る。そうだ。他に何があるというのか。子供が何者であろうと関係ない。
何故そんな当たり前のことを見失っていたのだろう。
私たちの子を、今度こそ幸せに……それ以上の使命などあるはずがない。
「――はい……はい。――ありがとう、ござい、ます……必ず……」
私はただうつむき、絞り出すように声を返すのが精一杯だった。
その願いのこもった保証を、必ず予言にしてやろうと、強く誓いながら。




