願望
――眠い。もう限界だ。潔く寝よう。
そう決めてスッパリ意識を手放してから数時間後。
「おい、昼休みだぞ。そろそろ起きろ」
揺り起こされ、マックスの声が徐々に耳に届く。
『昼休み』の一言で、はっと覚醒した。
「もうお昼? ちょっとのつもりだったのに」
突っ伏していた机から、起き上がった。いつものメンバーが、私の机の周りに集まっている。
午前中の授業を、ついうっかり丸ごと居眠りに費やしちまったぜ。
「珍しく爆睡でしたね。体調は大丈夫ですか?」
ユーカが心配そうに訊いてきた。一限から昼休みまでノンストップだったからね。でもただの寝不足です。
「先生方が総スルーだったのが、いっそ清々しくて笑えたよね」
ノアがくすくすとしながら教えてくれる。それは色々とどういう意味ですか、コノヤロウ。起こされたって別にキレやしませんよ。多分。
「例の件で、仕事が忙しいの?」
ヴァイオラが尋ねる。ヴァイオラの意図は、国内で密かに進められてる魔物侵攻の対策についてだね。確かに情報を得ている企業は、今現在目の回る忙しさで、うちも例外なく大変な状況だけど、その問いの答えはノーだ。頼れるスタッフがたくさんいるから、実務はほとんど任せてるしね。
私が忙しかったのは、ここでは言えないくらい至極プライベートな用件の方だ。
「うん、ちょっとね。久しぶりに徹夜しちゃった」
特にユーカを意識しながら、適当に濁して答えた。
キアランも少し気遣わし気に、私の顔色をうかがうようにのぞき込む。
「教室の移動がなかったからそのままにしておいたが、さすがに食事は抜かない方がいいだろう?」
「うん、起こしてくれてありがと」
健康を案じてお小言の一つも出そうなとこだけど、それ以上ないのは、多分私の寝不足の理由をさっきのやり取りから察したせいかな?
4時間以上ぶっ通しの睡眠がとれたおかげで、やっと頭がすっきりした。
どんなに忙しくても、普段から極力規則正しい生活を守ってるせいで、たまにリズムを崩すとダイレクトに体調に来ちゃうんだよなあ。
いつもなら持ち越しの仕事は授業中に片付けるんだけど、昨夜のは学校ではさすがにできない作業だったのだ。
なにしろ彫金だったから、道具もいるし音も出る。学園の授業は自己責任で基本的に内職OKだけど、さすがに授業妨害になっちゃうからね。
そうでなくても内緒の仕事だったし。
というのも、製作したのはユーカの誕生日プレゼント用のアクセサリーだったのだ。
ちなみに私が彫金師のアイヴァンであることは、いまだに非公開情報。どうせ仕事量が増やせるわけじゃないし、個人的に直接お願いとかされても面倒だからね。
学園入学後、さすがに製作時間の確保が厳しくなったせいで、現在はアイヴァンとしてすでに受注済みの仕事の消化と、今回みたいな個人的なプレゼントを作る程度に仕事量を抑えている。
もともと私が子供の頃アクセサリー作りにのめり込んだのは、私のイメージ通りのものを作ってくれる職人がいなかったせい。
並行して数年がかりでお抱えの職人を育てていて、それがやっとものになってきた。最近では、私が使用するアクセサリーも任せることが増えている。おかげで私の仕事はデザイナーにシフトしつつあり、大分楽になった。
製作数が更に減ったせいで、アイヴァンのプレミア度がまた上がってるらしいけど、さすがにこれ以上の仕事量は無理。やりたいことは全部やりたいけど、私は一人しかいないから取捨選択はせざるを得ない。
でも、前は欲しいデザインのものがあっても作るのが間に合わなかったけど、今は発注通りのアクセサリーがどんどん製作されるから、一利用者としては嬉しい限りだ。ただし私の目は甘くないぞ。仕上がりが気に入らなかったら、容赦なくやり直し! 自分で手を加えることもできるけど、甘やかしちゃいけないのだ。職人に失礼だしね。
誕生日プレゼントと言えば、実は同時進行で別件のものも準備している。
冬は、うちの双子ちゃんの誕生日が来る。
三歳になり、それぞれの方向性もはっきりと現れてきた。
クリスは物理寄りで、ロレインは魔術寄りの騎士らしい。今は楽しくトリスタンに鍛えられ始めているそうだ。
そういう話を聞くと、戦えない身としてはちょっと羨ましくもなっちゃうなあ。お姉ちゃんも混ぜて~と言いたいとこだけど、すでに付いていけない。三歳児に。
双子ちゃんには、幼児用の戦闘服を鋭意制作中だ。実用的なのはもちろんとして、クリスには可愛さの中にもカッコよさを、ロレインには魔法少女並みの可愛いさを追求してやった。早く着たとこを見てみたい~~~!!
誕生日と言えば、この頃ちょっと思うところがある。
多分、現実逃避をやめて、意図的に考えないようにしてきたことにもきちんと向き合う心持ちになってきたせいだろう。
最近、今まで目を背けてきた色々なことに、想いを馳せることが増えた。
その中の一つが、グレイスについてだ。
私を死なせた人。私を生んだせいで死んだ人。
正直、興味を持とうとも思わなかった。恨んでもいないし、親しみも感じない。産んでくれたことへの感謝があるだけ。母親との実感はないけど。
ずっと他人事みたいに感じてたのは、グレイスの私への感情を何も信じていなかったからだろうな。どうせ面白くもない結論に達するだけだと、深く考えたこともなかった。
でも、彼女への先入観を取り除いてちゃんと正面から考えてみたら、その「産んでくれたこと」の一点だけで、途轍もないことだった。
今ははっきりと疑問に思う。
グレイスはどうして、私を諦めなかったんだろう?
難産の末、私の出産と同時に息を引き取ったグレイス。文字通り命懸けで私を産んでくれた人が、私に何の感情もなかったはずがない。
公爵夫人の出産ともなれば、当然治癒専門の魔導師が常時待機している。
胎児に悪影響があるから、魔術の使用は厳禁とはいえ、母体か胎児かのどちらを優先させるかは、本人と身内の決断次第。
グレイスが命じさえすれば、すぐにでも自分を優先する処置がなされた。それは辛い決断ではあるけど、決して非道でも珍しいことでもない。
自分のことしか考えない生き方をしてきた彼女なら、なおさら。
グレイスは、私の確実な安全を諦めさえすれば、死ななくてもすんだのだ。なのに危険領域に入ってすら、一切の治癒魔術は使われることなく、出産が終わった時にはすでに手遅れとなっていた。
近い将来、戦うことになるだろう彼女の抜け殻を思うと、今更複雑な気分で心の中にさざ波が走る。
グレイスという人間を気にかけ始めてから、今まで何となく避けがちだった場所にも、足を踏み入れるようになった。
その中の一つが、屋敷に当時のまま残されている、グレイスの私室。衣裳部屋ならよく出入りしてたけど、他のプライベートエリアはほとんど近寄ることがなかった。
そこで、机の引き出しに遺されていた一枚のチケットを見つけた。
日付から、ザカライアを轢き逃げした時に行こうとしていた劇のものだと分かった。
グレイスはあの後、観劇に行かなかったんだ。そしてそのチケットを、ずっと手元に置いていた。
それだけで、私の中のグレイス像が今までと形を変えた。
長く仕える使用人に訊いてみたら、その舞台は、グレイスが幼い頃から特に繰り返し通っていたお気に入りの演目だったそうだ。
無性に気になって、同じ演目を一人で観に行き、また衝撃を受けた。
――これを、子供の頃から繰り返し?
グレイスが執着した物語を、彼女の享年に追いついた今の私が観て、まさか今後の行動に影響を受けるほどに心を揺さぶられることになるなんて。
これは一体どういう縁なんだろう……?
ザカライアとグレイスの出会いは、やはり偶然ではなかったのだと改めて確信した。
もう、彼女の意志を確認する機会は永久にない。
それでも、彼女なりに生まれてくる子供へのなにがしかの強い想いはあったのだろうかと、信じ始めている自分に気付く。
――ちょっと、願望が入り過ぎてるかな。




