医務室
「みんなはどうしてるの? キアラン一人できたってことは、気付いてはいないんだよね?」
私の問いに、キアランは頷く。
「ああ。手を貸せることもないのに、俺の不確かな推測を告げて、不安だけ煽る必要はないと思って。お前のすることの邪魔にしかならないだろうし」
確かに、私がわざと騎士とケンカしようとしてるなんて知らされたら、マックス辺りは断固阻止しに来るか。少なくとも確実に増援には入ってくる。今回は強者同士の対戦じゃ意味がないのに。
だから私も「内緒」ってはぐらかしたんだもん。
「そっか。見守っててくれて、ありがとう。みんなに黙ってるの、気が重かったでしょ」
私の周りが少しでもピリピリしてたら、警戒されて釣れなかった。
本心で感謝の気持ちを伝えても、何もできなかったことが、やっぱりキアランは不本意そうだ。
やきもきしながらも、何もしないという一番のサポートをしてくれていたのに、相変わらず変なとこで自己評価が低い。
動く方がずっと楽なんだってこと、ちゃんと分かってるよ。
キアランは軽く苦笑して、話題を変えた。
「見守ると言えば、ノアもある意味そうだな。絶対野次馬に行ってたろう? 今ここにいないようなら、クローディアの方に付いていったのかもな。あいつとしてはその方が面白いだろう」
さらっとノアへの予想を語る辺り、さすがに幼馴染みの親友。現在地は掴めなくても、行動パターンは正確に把握してるわけね。そして有益な悪癖だと、すでに呆れながら諦めている。まあ将来の補佐としては頼もしいだろう。
「とりあえず、ここにはいないから大丈夫だよ」
全力で感知して、保証する。
もしいたら、二人きりになる前に蹴り出してるからね。デバガメはするものであって、されるものではないのだ! 私のプライバシーは死守するぞ。
ああ、それより私も、こってり絞られてるクローディアの様子とか間近で観察したかった。悪趣味で結構! 後でノアに聞こう。これはガッツリ取材してオッケーなやつだもんな。来年入学してきたら、刻み付けてやった黒歴史でここぞという時に力いっぱいからかってやるのだ!
内心が滲み出たのか、キアランが私の顔を見て苦笑した。
「クローディア・アヴァロンとは、会ったこともないだろう? 随分気にかけるんだな。お前がわざわざ攻撃される危険を演出してまで、相手にしてやる必要があったのか?」
「う~ん、ルーファスの妹だし……お節介なのは、前の頃の習性なのかもね。近い将来、あの猪突猛進で取り返しのつかない状況になるとこだったから。そうなる前に、私でシミュレーションさせてあげたの」
弛まぬ努力を続けてきたことは立派だ。でもそれだけに、自分のように頑張っていない人間を勝手にランク付けして見下しちゃうのは、別の問題。
あの子の価値観では、貴族が戦闘以外に目を向けたら、イコール怠け者の落伍者扱いだもんな。
アヴァロンという最強の血統に生まれたおかげで、才能にも環境にも恵まれているのに、自身があらゆる恩恵を最初から努力なしで与えられている自覚すらない。努力すれば結果がでるのが当然と思い込んで、持たざる者への考えが及ばない。
『正しい』の押しつけは鬱陶しいし、危なっかしい。
頑なな真面目人間は、独善コースに陥るとタチが悪いよね。キアランみたいに視野が広くて柔軟性がある方が珍しいのかもしれない。
「子供の頃から思ってたけど、キアランのバランスって、すごいよねえ。とてもまだ十六とは思えない」
「そうか? 王家の血筋は大体こんなものらしいが」
「うん、おじいちゃんの代から知ってる」
みんな、昔から私よりずっと大人だった。
だからその分、穏便に済ませるために、強くは踏み込んでこない傾向があることも理解している。
「今、言うのを我慢してること、あるよね?」
さっきからうっすら感じていたことを、遠慮なく突っ込んでみた。
何かスッキリしていないというか……キアランが、さっきから何か本心を飲み込んだままでいると感じる。
急に切り込まれたキアランは、困ったように口ごもった。あ、やっぱりだ。
「言いたいことあったら、すぐに言って」
「いや、これは言っても仕方のないことだから……」
「それがダメなの! 前も言ったでしょ。なんでもちゃんと伝えて?」
割と真剣に追及する。触れられたくない話題なのははっきりしてるけど、気になることはしっかりと訊いとくぞ。もう、前みたいに訳も分からずモヤモヤするのはイヤだもん。
引く気のないことを察したのか、キアランはしばらく迷ってから、観念したように渋々口を開く。
「アーネストに抱きかかえられたお前を見て、息が止まりそうだった。前はもっとうまくコントロールできてたはずなのに。……成功率とか、作戦の展開上、ベストの人選だったのは分かっているが……」
「うん」
「――お前が、他の男に触れられるのは、あまり、いい気がしなかった……俺が、お前を助けたかった」
躊躇いながら気まずそうに呟き、やっぱり後悔した顔になる。
「だから、言っても仕方ないと……っ!?」
「キアラン!」
いてもたってもいられず、衝動的にキアランに飛びついた。バランスを崩さないように、キアランが慌てて私を抱える。
「仕方なくない! それすごく大事!!」
むしろそれが本題ですよ! ちゃんと確認しといてよかった!!
膝の上に横に座る形で、感動に任せてぎゅうっと抱きついた。こういうことは頭で考えるよりまず行動の方が、私には合ってるな。
「グラディス……」
キアランは戸惑いながら、いつものように私を優しく支えてくれる。
ああ、コレコレと、圧倒的な安心感とドキドキが胸に広がる。
「私も、キアランがよかったよ」
救助の必要上のことだったし、アーネスト自身に変な下心はなかったから特に違和感があったわけじゃないけど、やっぱりなんか違うんだ。助けてくれたアーネストには申し訳ないけど、理屈じゃない。あとで菓子折りのグレード上げるから勘弁してください!
記憶に残る感触も匂いも温もりも上書きするように、首に腕を回して、胸に顔を押し付けた。やっぱりこういう機会は進んで作ってかないとだな!
「グラディス……頼むから、こういう場所では、控えてくれ」
キアランがほとほと困ったように応じる。
さっきから、私を支えた腕も指も、完全に固定してピクリとも動かそうとしない。やっぱりキアランの牙城は堅牢だな! 攻城兵器が必要だ! もうちょっとくらいもぞもぞしてくれちゃっても構わないんですよ!?
第一人目を避けないといけない以上、こういう場所しかチャンスがなくないっ?
ああっ、それとも私またやり過ぎてる!? 加減が分からん。今こそが出番ですよ、女の武器の説明書プリーズ!! 普段叔父様やトリスタン相手にやってることと大差がないような気がする。子供の甘えの抱っことの境界はどこだ!?
真面目な話、誰に教えを請えばいいのか、そろそろ検討するべきなんじゃないだろーか? でも母親とはいえ、イーニッドは確実に生徒側だろ。手近なとこだと、サロメ? 完璧ないいオンナだし、男も女も分かってて最適かもしれない。ロクサンナとかだと、悪い遊びまで教えられそう。いや、興味がないとは言わんけどもっ。
「キアラン?」
私が脳内で目まぐるしく悩んでる間、さっきから反応がなくなってる。無言は反則ですよ?
勢いに任せてやり過ぎたかと、ちょっと不安になって、恐る恐る顔を上げてのぞき込んだ。
「やっぱりダメ……?」
「――――――――駄目だ」
「今、間があった!?」
「――――――――」
気のせいじゃないよね!? 思わず期待のこもった目で追及すると、アメジストの瞳を逸らされた。
「――今、自制心を総動員している」
なんか意図的に抑揚のなくなった声に、じわじわと顔が熱くなった。
「――キアラン、態度で分かりにくいから、全然自信持てないんだけど、今のはちょっと信じそう」
「だったらもっと過剰に自信を持ってくれていい。多分その上を行ってるから。だから、そろそろ離れてくれるとありがたい」
いつも通りのようにも、逆にどこか自棄のようにも見えるキアラン。それきりの沈黙が、そのお願い通り、私の自信を不必要に過剰にさせそうだ。
え~~~っ、ますます離れたくなくなっちゃったんだけど!? もうちょっとくらい動員解除してもいいんですよ!? 「抱きつく」「離れる」の二択、今回は正解ってことでOKだよね!?
私なんだかんだでなかなか青春してる!? 人気のない保健室でいちゃつくなんて、少女漫画の王道みたいですよ!?
テンションがうなぎ上りになりそうなところで、でもそれがもうすぐ終わることを知る。そういう時間に限って、長くは続かないんだよね。
キアランも気が付いたみたいだ。どこかほっとしたような顔なんだけど、なんで!?
「噂が広がるのは早いな。心配をかけた弁解は用意してあるか?」
こちらに向かって、大慌てで走ってくる気配がいくつかある。
「そこは運の悪い被害者として押し通すしかないでしょ」
まあ、相当白々しくはなるだろうけど、それでかえって安心させられる。
滅多にない二人きりの時間の終了を、思ったほど残念には思っていない自分が、おかしくなってくる。今の私は、本当に幸せ者なんだな。
「でもこれ以上みんなを振り回したくないから、一緒に教室に戻って、午後は普通に授業に出るよ」
「そうだな」
頷くキアランに、くすくすと笑って断言する。
「またマックスに、抜け駆けしてんじゃねえって怒られるよ?」
予言ではないけど、100パー当たる自信がある。
「それでももう、お前に関しては誰にも譲るつもりはない」
至近距離から、何の衒いもなく素で返された。
「――っ!!」
おおうっ、攻めてたつもりが、カウンターのクリーンヒットを食らった!! 油断したところを反撃一発ですでにノックダウン寸前!?
前言撤回。キアランは分かりやすく感情的にならないだけで、ちゃんと言ってくれる人だった。それだけにジェットコースターのような落差が心臓に悪いっ。
これで口説いてるつもりがないんだから、本当にオソロシイ子!
密室に二人きりの状況から解放されるからか、すっかりいつもの落ち着いたキアランに戻っている。立場がさっきと完全に逆転してるよう……。
なんか幸せだから、それはそれでいいんだけど、負けず嫌いの虫がうずくんだよおう。
名残を惜しむように、回した腕にちょっとだけ力を込めた。
扉が開く直前まで、もう少しだけこのままでいようかな。
――でも赤くなった顔は、どう誤魔化そう。
翌日登校した時には、すでに学園中に噂が流れていた。
グラディス・ラングレーにケンカを売ったクローディア・アヴァロンが、悪質な罠に陥れられて返り討ちにあったと。
いや、それでほぼ正解なんだけど、何でそんな斜め上の結論にたどり着くんだろーね!? 一体誰がそういうこと言い出すの!? しかもみんなそれを事実のように公然と受け入れちゃってるし! 私、逆上した騎士に襲われたか弱い被害者じゃなかったっけ!?
ハイ、普段の行いですね!! ごもっとも!!
やっぱりあの後すぐ、平然と動き回って授業に出たのもマズかった。でも、あれ以上みんなに気を遣わせるのも授業をサボるのも、遠慮したかったもんなあ。
まあ証拠は絶対出ないから、疑惑は永遠に疑惑のままだけどね。




