内緒話
私の迷いを断ち切るように、マックスの言葉が響いた。
何年も抱えていた肩の荷が、軽くなった気がした。
「――この先も、今のまま変えるつもりはないよ? マックスが望まない限りは……」
「それでいい。変えるとしたら――お前の気が変わって、俺に惚れた時だけでいい」
「――それはない。私キアランが好きだから」
そこは当然、間髪入れずにお断りを入れる。いつの間にかまた口説きモードに入ってるぞ。
「血も涙もねえな! 少しは余韻とかねえのかよ!」
「だって、また堂々巡りが始まりそうだし」
いくら大好きでも、流されてはいかんのだ。
マックスと出会ったのは、前世の記憶どころか自我すらなかった頃。好きになるくらいだったらきっと、見た瞬間から直感のままに恋に落ちてた。
――つまりは初めからずっと、弟だったんだ。
マックスにしても、自分を振った相手に素で慰めてもらってるって、完全に姉弟の甘えが根底にあってのことだろうに、自覚はないのかね?
「はい、甘えタイム終了! あとこれからは、不必要にベタベタすることは禁止ね!」
しんみりの状態から掌を返して、マックスを押しのける。
「ひでえ! 態度変えねえって言ったばっかだろ!?」
「それとこれとは話が別です! 当たり前でしょ。何しろもうカレシ持ちだからね! 今までみたいにはいきません!」
カレシ持ち! なんて素晴らしい響きですか!
マックスのブーイングをピシャリと撥ね付ける。そこはきっちり線を引かないとだよね。
いくら従姉弟だからって、キアランとソニアがベタベタしてたら、他意がなくてもやっぱりイヤだもん!
「くそう、キアランのせいでっ」
八つ当たり気味に毒づくのを見ながら、いつもの空気に戻ったのを感じた。
「大体あいつ、ずっとお前と付き合う気なんかなかったじゃねえか。いきなり宗旨替えしやがって。そもそも、どうしてお前からわざと離れようとしてたんだよ?」
理解に苦しむマックスに、私は躊躇いなく答える。
「――ああ……私の前世のせい、かな?」
「前世って……確か、ユーカと同じ異世界から転生したってやつか……? それが今のお前とどう関係あるんだよ」
私はもう一度距離を詰めて、大袈裟に唇に人差し指当てた。
「これ、誰にも言っちゃダメな話だから。今まで自分から言ったこと、一度もないんだからね。ジュリアス叔父様にだって言ってないんだから」
ここはしつこいくらいに念を押す。
今までなし崩しにバレたことはあっても、自ら明かしたことなんて一切なかった秘密。グラディスとして生きていく上で、必要のない情報だから。
でも、それでマックスの収まりが付くなら、頑なに沈黙を貫こうとも思わない。
「分かったよ。死んでも漏らさねえ」
固い誓いを聞いてから、おもむろに語り出す。
「実は、今の私と、異世界人の人生の間に、もう一人挟まってる」
マックスが少し首を捻った。
「前世が二つあるってことか?」
「うん。その真ん中の前世のせいで、キアランは私から距離を置いたみたい」
「おい、それ、どう考えたって俺たちが生まれる前の人間の話だろ? おかしいじゃねえか。なんで教えられもしないでキアランがそれを知ることができるんだよ」
マックスは疑った視線を向けてくる。
「そこはまあキアランだからと言うしか。私は教えてないのに勝手に気付いちゃう人ってのは、いくらかいるんだよねえ、困ったことに。さすがに前世で一切面識がなかった相手では、キアランだけだけど」
あとは、今日の件で叔父様も察した可能性は高い。
「もしかして、それなりの有名人なのか?」
「うん。ザカライア」
あっさりと私の口から出た名前に、マックスは目をぱちくりとし、しばらく絶句した。頭を抱えて俯き、やがて顔を上げて叫ぶ。
「教科書載ってるレベルじゃねーか!!」
完全に想定外の偉人が出てきて、さすがに混乱してるな。
「――ホント困っちゃうよねえ?」
「困っちゃうじゃすまねえよ。義父さんともども、預言者だろうとは思ってたけど、まさかの大預言者かよっ」
ああ、やっぱりトリスタンのことも気付いてたわけね。
ともかくその説明で、私の立たされている状況をだんだんと理解し始めた。
「それにしても、ザカライア様かよ」
最初のインパクトがやっと抜けて、少しずつ私のややこしい現状が分かって来たらしく、しみじみと唸る。
「確か、学園の教師やってたんだよな」
「うん。校長以下、ベテランの教師勢は半分くらい教え子だね。エリアスとか、公爵たちとかも」
「えっ!? って言うか、義父さんと母さんもかよ!?」
「そうだねえ。トリスタンは特に手のかかる生徒だった」
「あれっ!? それじゃ、ルーファス先生は!? よく考えたらあの言動、絶対知ってるだろ!?」
「学園の特別授業で教えてて、すごく懐いてくれてた。素直で可愛い子だったよ」
「――うっ……それはある意味不憫だな」
あんなに強く凛々しく成長しても、いまだ『可愛い』扱いに、同情を見せるマックス。『弟』扱いから抜け出せない身の上として、一気に親近感が湧いたのかね。
「ちなみにノアのおじいちゃんのアイザック・クレイトンは幼馴染みね」
「もうわけが分からねえ!」
自棄になったように叫ぶマックス。
確かに改めてよく考えたら、相当カオスな状況だ。王様も校長も先生も両親も、十六歳の姉の教え子。強面老宰相は幼馴染みってどうよ。
「義父さんは、お前のこと知ってるのか?」
「うん、生まれた直後から、すぐ分かったって」
「――なんというか、やっぱり色々とさすがだな……」
マックスは唖然と納得を半分ずつ浮かべた表情で唸った。
それから、見るからに不機嫌そうに眉間にしわを寄せる。
「キアランも……あいつ、自分が生まれる前にとっくに死んでた人間を、お前の中に見付け出してたんだな……興味ないみたいな顔してたくせに、どんだけお前を見てたんだ」
ずっと一緒にいて気付けなかったことが、悔しいみたいだった。
「気付ける方が普通じゃないんだと思うよ?」
元の知り合いですら、見抜けないのがほとんどなんだから、いくらなんでもキアランを基準にするのはハードルが高すぎる。
とは思うけど、どうしても納得できないようだ。
「違う。本気でお前を見てれば、何かは見えてたはずなんだ。あいつみたいに。こんなに傍にいたのに……。――あいつは、今度の人生ではお前の自由を奪いたくなかったんだな」
キアランの行動の理由を理解して、仏頂面のまま呟いた。
「ふふふ。私をまた、王城に縛り付けないようにね。分かってみれば、キアランらしいよね」
「ああ、考え過ぎなとこがな。――でも、今日の件で、認めたんだな。お前を諦められねえって」
「ええっ――そうかな?」
改めて言われると、ちょっと照れる。
そんな私を、マックスがジト目で睨む。
「それよりお前、こんな暗くなるまでキアランといたんだろ? どこまでいった?」
「はあ?」
低い声で、ちょっと引くくらい真剣な目で追及してくる。
「そもそもその恰好! 樹林で見た時から引っかかってたんだよ! トロイ・ランドールに一体何されたんだ!? おかしな真似されてねえだろうな!?」
ショールに覆われた胸元をびしっと指差した。釣られて見下ろせば、隙間からのぞく際どい所まで切り裂かれたドレスの胸元に、なるほどと合点がいく。
ザラが随分都合よくショールとか持って出迎えてくれたもんだなと思ったら、きっと叔父様の指示だったんだね。
「ああ、これは守護石を奪うためだったから……特にいやらしいことはされてないから大丈夫。ちょろっと触られたくらい?」
「ちょろっと触られた!? どこを!?」
耳を塞ぎたくなるほどのボリュームのオウム返し。どこをって、お前、デリカシーのなさすぎる質問だぞ。
でも本気で心配してくれてるわけだから、思わずまあまあと抑えにかかる。
「そんな大したことはないから、心配しなくていいって」
「じゃあ、キアランは!? 二人っきりでいて、付き合う流れになってて、何にもねえってことはねえよな!?」
矛先がキアランに変わって、ちょっとドキリとする。
「あんたとキアランを一緒にしないでくれる?」
お互いちょっと熱くなり過ぎてたとこはあるけど、さすがに胸までは手を伸ばされてないぞ。キアランを見境なしみたいに言いやがって。
「分かってねえっ、お前全然分かってねえよ!! 目の前にそんなの見せつけられて、しかもオッケーな感じの空気でそれに手を出さなかったら男じゃねえ!!」
魂の熱弁。さっきから何を言ってんだ、こいつは。
氷のまなざしの私に目もくれず、更なる尋問が続く。なんだか取調室にいる気分だ。内容が馬鹿馬鹿しいほどくだらないけど。
「大体それ、さっきからスゲー気になってたんだよっ。お前、一回服全部脱いで血とか洗い流してるだろ!? タイツはどうした! 一体どこで何があったんだよっ。まさか、すでにキアランと……っ」
おい待て、どこまで妄想をエスカレートさせてんだ!




