姉弟
「俺も戻る」
自分の部屋に向かう私に、マックスが付いてきた。
「飯食ってないだろ? 大丈夫か?」
廊下を歩きながら、マックスが心配してくる。
そういえば朝に食べたきりだった。だけどさすがに食欲はなかった。正直なとこ、すぐにでも全部脱ぎ捨ててそのままベッドにダイブしたい。
「今日はいいや。マックスこそちゃんと食べた?」
「おう。叔父上と一緒に、王城行って、色々手続きとかあったからな。そっちで他の連中とすませてる」
叔父上と、ですか。トリスタンは逃げたんだな。
まあ、事後処理とか事務手続きとか、いても逆に邪魔にしかならないから、叔父様とマックスで正解なんだろうけど。なんだかんだでマックスにはいい反面教師なんだよね、あの公爵様。叔父様の方を見習ってほしいからナイス判断。それにしても学生時代から全然成長しないな、あのサボり癖は。
「何があったのか、聞いても大丈夫か?」
歩きながら、マックスがどこか遠慮がちに訊いてくる。人質になった私を救出に向かってたはずが、いざ到着したら、犯人死亡という予想外の顛末。
私だったらとっくに根掘り葉掘り聞き出してるとこだ。
でもあんな状態の私を見ちゃった後だから、精神状態がある程度把握できるまで、ずっと我慢してたんだろうな。
「うん。トロイが私を生贄に、魔物を召喚しようとして、失敗した」
簡潔に、事実だけを答える。周囲には使用人たちもいるし、詳細は相応の場でしか語るつもりはない。
犯人とはいえ、人の命を私が直接手にかけたわけじゃないとだけ伝えられれば十分だ。
「――そうか……」
マックスも言葉少なに頷いた。さすがに口には出さなくとも、ほっとしてるのが見て取れる。
それより、もっと伝えなきゃならない話があるよね。
マックスの部屋の前まで通りがかったところで、立ち止まる。
「先に準備してて。すぐに行くから」
「かしこまりました」
付き添ってきたザラたちを先に行かせ、真面目な表情で隣のマックスを見上げた。
「グラディス?」
「マックス、ちょっといい? 話がある」
ずるずるしててもしょうがない。ちょうど二人きりだし、今話そう。
「――分かった」
マックスが背を向けて、先に自分の部屋に入っていく。顔は見えなかった。
でも、空気に緊張感が混じったのが分かる。
続いて入ってドアを閉めた私より先に、マックスが口を開いた。
「話ってのは、キアランのことか?」
「えっ!?」
機先を制されて、思わず聞き返す。
「門の前まで、一緒だったろ?」
振り返ったマックスが、硬く複雑な表情で私を見返す。
そうか。ずっと私の帰宅を気配で探ってたから、始めから気付いてたんだ。
じゃあキアラン、そこにも気を回して、別れ際は意図的に私と適切な距離を保ってたのかな。ああ、マックスへの気遣いで負けてる。
「うん。私を探しに来てくれた。見つかるまで、心当たりは全部回るつもりだったんだって」
「――何だよあの野郎、抜け駆けしやがって……」
忌々しげに吐き捨てるけど、その目に本気の怒りがあるわけじゃない。もう、私の言いたいことが、伝わっている。
どこか諦めたような、でも口惜しさと安堵と、色々混ざった目で、私を見下ろす。
「とうとう、自覚しちまったのかよ」
「――うん、遅くなっちゃてごめんね。私はキアランが好き」
五年越しの約束を、やっと果たす。
マックスは、私より先に私の気持ちを知っていたんだと、今頃気付いた。いつかこの言葉を聞かされる覚悟はしていたのかもしれない。
それでも、その瞬間には表情が崩れた。
「そんなこと、前から分かってた。――お前、ずっとキアランしか見てなかったじゃねえか。だけど、お前が気付かないうちに……理由は知らねえけど、あいつがお前への気持ちを押し殺してるうちに、って思ってた。……俺は、間に合わなかったみたいだな」
マックスが私に手を伸ばしかけて、そこで手を止め、けれどやっぱり抑えきれないように私を抱きしめる。
自分の顔を見せないように。でも、その声はとても苦しそうだった。
「――マックス……」
胸が締め付けられる。私はどうするべきなんだろう。
慰めるよりも、心を鬼にして突き放すのが、正しい選択なのかな。
でも目の前に、失恋して落ち込む弟がいる。
もう子供ではない、逞しい胸と腕に、見上げるほどの身長差――でもどんなに強く、大きくなっても、変わらず可愛くて大好きな弟が。
これを許すから、今までも曖昧になっちゃったんだよな……反省はしつつも、結局いつものようになだめるように優しく背中に手を添えた。
人の心を勝手に変えることが許されるなら、きっと告白された子供の頃にとっくにやってた。その方がこんなに引きずることもなく、マックスにとっては幸せだったのかもしれない。
でも、苦しむのも、諦めるのも、また立ち直るのも、それはマックスの人生。他の人間が土足で踏み込んで勝手に手を加えていいものとは思わない。
特に私は誰よりそれを、自分に課さなければいけない。未来のビジョンを駆使すれば、本人に気付かれないくらい自然に、感情をコントロールして諦めさせることもできてしまうから。
私の独善的な判断でマックスの幸せを選んだら、それは本人の人生じゃなくなってしまう。全部自分の意志で選んで、経験しない限り。
だから私がマックスにできることは、何も変わらず、姉の位置から絶対に揺らがないことだけだと思ってきた。
「――分かってるよ。この手が、姉弟の愛情だってことは……」
マックスは、静かな声で、ぽつりぽつりと思いの丈をこぼす。
「何回告白したって、いつもその場でフラれてたもんな……。誰に言い寄られても、近付かれても、お前は誰にも心を動かさなかった。――あいつ以外は……。分かってても、それでも、距離が近過ぎて、希望を捨てきれなかった」
責められているわけではないけど、やっぱりそれを言われると辛い。
「私はそんなに人間できてないよ。かけがえのない家族を無理に遠ざけるなんて選択肢、始めからないから」
だからずっと、言葉で、態度で、示し続けてきた。あんたは弟だって。
諦めるか思い続けるか、マックスがどんな結論を出そうと干渉することなく、接し方を一切変えなかった。
やっぱり姉弟な分、誰より甘くて、誰より容赦なかった自覚はある。
「そこはゴメン。私も、何が正しいかなんて分からない。他人ならスッパリ突き放したけど、あんたへの距離感は近過ぎたかもしれない」
今でも、正しい答えが見つからない。
キアランのようなやり方もあったのかもしれない。気を持たせることなく、傷が深くならないうちに距離を置くような。
でも、私はそれをされて辛かった。
私を真っすぐ好きだと言ってくれる大切な弟に、可能性なんて皆無だよと、少しの希望も持てないくらい徹底して諦めるように仕向ければよかった?
未来なんてまだ決まってもいないのに。
預言者だからこそ、強く自制しなきゃいけないところだ。私が言葉にしたら、知っている者にはそれが既成事実になってしまうのだから。
私の幸せは私にしか分からないとさっきキアランに言ったように、マックスの幸せはマックスにしか分からない。恋だけでなく姉まで同時に失わせて、それがあなたのためなのよなんて、私にはとても言えない。
結果がどうなろうと、そうする理由を話してほしいし、自分の気持ちも聞いてほしい。知らないところでコントロールされるより、未来も幸せもちゃんと自分で考えて選びたい。
マックスもそういう人間だと理解してるつもりだけど、それも私の独りよがりだったのかな。
「やっぱり、私はマックスから離れるべきだった? こんなに長く引きずらせる前に。それがあんたのためだった?」
「ふざけんな。俺の想いのせいで今までの態度をよそよそしく変えられたら、その方がキツい。お前にそんな真似をさせる自分が、余計に情けなくなるだろ。たとえ残酷でも……グラディスがずっと子供の頃から同じ態度を貫いてくれてて、よかったんだ。――お前はずっと、良くも悪くも、俺の姉であり続けてくれた……」
マックスは私を抱きしめたまま、掠れた声を絞り出した。




