帰宅
それからは、私が転移で攫われた後のことを色々と聞いた。
一番有り難かったのは、今回の誘拐事件は、もみ消される手筈になったこと。
大半が退避後で、国のトップや関係者、配下しか現場にいなかったから、エリアスがその場で緘口令を敷いてくれたらしい。
追跡や指名手配に関しても、逃亡犯のトロイに関してだけで、誘拐には一切触れていないという。
ジュリアス叔父様の調整のおかげで、呆気ないほどあっさりまとまったそうだ。様子がありありと目に浮かぶ。
大事にしたくなかった私にとっては、エリアスと叔父様の配慮に感謝だ。
きっとこの後、トロイが積み重ねてきた犯罪は徹底的に調べ上げられて、世に曝される。でもその犯行のリストの最後に、私への加害が加わる必要はない。
私のために奔走してくれた人たちには申し訳ないけど、真実は私の記憶にあればいい。そこからできる限りの淡々とした事実を、アンセルや必要とするごく少数にだけ伝えよう。
それから、私が追跡チームに保護される直前で掻き消えた後のことは、カッサンドラに聞かされた通り。
立て続けの誘拐かと騒然とする一同を、すっかりいつもの調子に戻ったトリスタンが落ち着かせたそうだ。
「問題ない。そのうち帰ってくる」と、慌てふためくマックスたちを抑え、現場の事後処理はクエンティン以下同行者に、その他の後始末は全部エリアスに押し付けて。
っていうか、コレ、危険な事態を脱した途端、ユーカの転移でさっさと面倒事から逃げ出したとしか……。
周囲も、トリスタンがそんな感じなら多分大丈夫なんだろう、って空気になって、結局私のことは放置で良しとなったらしい。
叔父様もマックスも、気を揉みながらも家で私の帰りを待っている。林で夜明かしとか、気力喪失中でもとんでもなかった。反省。
キアランもとにかく必要最低限のことだけ片付けてから、アレクシスに伝言を頼んで半ば強引に抜け出してきたんだって。私を探すために。ああ、また頬が緩みそう。
ただ、アレクシスが満面の笑みで、送り出してくれたというのがなんとも……。いい母親なんだろうけど、次に会う時めんどくさい気がする。
話を聞いてたら、あっという間に林の外に到着した。
日が沈み切る直前だ。数分のうちには真っ暗になる。
キアランが私を降ろすと、近くの木に繋いでいた手綱をほどいて、待たせていた馬を引いてきた。
おお~う! 白馬の王子様ならぬ黒馬の王子様だ。さすが王子の愛馬というべきか、別格の存在感。
でもどんな良い馬でも、夜の乗馬はお勧めできない。二人乗りともなれば余計危険。
「ここからなら、転移はできるか?」
尋ねるキアランに、少し考えてから答える。
「多分」
カッサンドラの聖域内では使用できる魔術が限られていて、私でも転移系は発動しなかった。
外に出ちゃえば、できると思う。キアランの魔力を借りればだけど。
返事に自信がないのは、右手の感覚が微妙に前とは違ったままだから。
「ちょっといい?」
試しに右手で、キアランの左手を握ってみた。
「……」
やっぱり魔力を吸収することはできなかった。
カッサンドラの禊を拒んだからだ。トロイから注ぎ込まれて、私の中に根付いた瘴気の影響は、はっきりと私の体調に現れている。特に直接吸収していた右手に。
でも、それ以外の部分なら、問題なさそう。
「グラディス、無理をする必要はない。馬でゆっくり帰ろう」
「ううん、大丈夫。ケガとかじゃないから」
心配するキアランに、首を横に振る。
少し不便だけど、元々魔術は使えないのが私の普通。こういうものだと割り切って付き合っていけばいい。
自分で選んだことだし、トロイを忘れない証明のようで、逆にほっとしてもいる。
「じゃあ、帰ろう」
左手でキアランと手を繋ぎ直すと、魔力をもらって、馬ごとまとめて転移陣で包んだ。
一瞬後には、王都の自宅の裏門近くに出ていた。
ちゃんと人の有無を事前に確認してから選んだ場所だ。顔の判別もまともにできないくらい暗くなってるし、転移を見られた心配はない。
あとは素知らぬ顔で半周して、正門に向かえばいい。
裏とはいえ我が家がすぐ傍に見えて、心底安堵する。やっと帰ってこれた。
たった半日のことなのに、本当に長かった。
「グラディス」
キアランが、私を馬の上に押し上げて乗せてくれた。乗馬はできるけど、スカートだから自力では難しい。横乗りでバランスが悪いし。
「ありがとう」
キアランはそのまま手綱を引いて、ゆっくり馬と一緒に歩きだした。
――ええっ、なにコレ、乗馬体験ですかっ!?
当てが外れて、内心はげしくガッカリする。
残り少ない数分間の夜道、憧れの馬に二人乗りでロマンチックにかつがっつりと抱きついてやろうという密かな野望が! ちくしょう、期待させやがってっ、隙がなさすぎるぞ、キアランっ。私のトキメキを返せ!
でも、これも私のためなんだろうなあと、ふっと笑ってしまう。
大事件で国が蜂の巣をつついたような騒ぎのあった夜に、王子様と仲良く二人乗りって、相当な話題性。誰かに見られたら、いろんな憶測を呼ぶ。今までの噂に拍車をかけて、確実にゴシップコース。
今更他人にどう見られようが、全然気にしないのに。でもこういうとこがキアランだからなあ。
なんとなく幸せを感じながら、短いデート気分に浸った。
楽しい時間は過ぎるのが早い。
正門が見えてくると、少し寂しさを覚えた。
「キアラン、ここでいいよ」
門番に気付かれる前に、止めてもらう。
馬からは自分で降りられるけど、そこはあえてお姫様気分で、キアランに降ろしてもらった。
「今日は本当にありがとう」
「――いや」
自分が役に立てたと欠片も思っていないキアランに、改めて心の底からお礼を言う。全然伝わってないのがもどかしい。
危険を防ぐことだけが守ることじゃない。身の安全以上に、今までどれだけ私を救ってくれているか――何でも見抜いちゃうキアランが、どうして分からないのかと不思議なくらいだ。
「あ、そうだ。これもありがとう」
キアランが馬に乗る前に、借りてた上着を慌ただしく脱いだ。
「それはっ――後でいい……」
「何言ってんの。これから乗馬で帰るのに、そんな薄着じゃ寒いでしょ! もう自宅だし、私は大丈夫だから」
後でいいとか、意味が分からない。冬も間近で、すでに結構冷え込んできてるのに。
「私のせいで風邪なんかひかれたら困るから」
何故か渋るキアランに強引に押し付けた。
「――分かった。屋敷に入ったら、すぐに着替えて、今日はゆっくり休むんだぞ」
あからさまに仕方なく、といった風情で受け取ったキアランが、口うるさく念を押す。
オカンか! 内心で突っ込みながら、素直に頷いた。
「うん、そうする。じゃあ、またね」
お別れのハグ……というか、もっと上の感じで抱き付きたいけど、きっとここではダメなんだろうな。
私にしては珍しく我慢。ああ、お預けを食らった犬の気分。
衝動に負ける前に、潔く背中を向けて駆け出した。




