帰途
メサイア林の外へと向かう帰り道。
「――すまなかった」
キアランが、きまり悪そうに謝る。
こんな人気のない林の奥深くで、女の子にちょろっとでも手を出しちゃたことが反省点らしい。合意の上でもキアラン的にアウトなのか。
気にすることはないのに、まったく生真面目過ぎ。
まあ、その他にも理由はあるんだろうけど。って言うか、そっちの方が比重が高い?
初ちゅーが、初心者の私にとってはいくらか度を越しちゃった感じだったりとか、抱きしめるその手が少々あれこれと伸びてきちゃったこととか。
私も初めてでちょっと――どころでなく、正直とんでもなく恥ずかしくはあったけど、男ってそういうものなんじゃないの? いや、よく知らんけども。
密かに、あまり興味持たれてないんじゃなかろーかとハラハラしてたから、むしろ胸を撫で下ろしたくらいなんだけど。
そもそもこの国では草食男子とか、幻の生き物だからね。
ドラゴンが実在の生物で、草食男子が架空の生物って、なんか色々スゲえな、異世界。
現在はキアランにお姫様抱っこされて、林道を運ばれてる途中。もちろんここぞとばかりに有難く抱きつかせてもらっている。
私自身体力の限界の上、のんびりしてたらあっという間に日が暮れちゃうからという、立派な大義名分があるのだ。
一人で夜明かししてもいいやくらいのつもりでいたものの、キアランがそれを許可するわけもない。今日中に、自宅まで送り届けてくれることになった。
目の前で反省しきりのキアランが見ていて可愛い。珍しく年齢相応に見える。
でも無駄な自己嫌悪に陥るのは断固阻止しないと。
「キアラン、なんで謝るの? 私は、イヤなことはイヤってはっきり言うよ? さっきは言わなかったでしょ?」
だって、イヤじゃなかったもん。これまで、数十年に亘って自然発動してたガードが、すっかり鳴りを潜めて、気配すら見せなかったもん。
言い終わってからの微妙な間に、時間差で段々照れてくる。また顔が赤くなってる気がする。
息がかかるほどの距離で、呼吸すら覚束ない気分すら、心地いい。
今までお姫様抱っこなんて散々されてきたのに、意識し出すと急に視線の行き先とか手の置き場に困って、さっきから大分感情を持て余し気味だ。
キアランは、どこか居心地が悪そうに言葉を返す。
「あまりそういう言動は、見せないでくれ。つくづく痛感してるところだ。俺はお前に関しては、自分を一切信用していない。――さっき、できなくなった」
ひゃ~~~~~~~~~~!!
はい、キアランのクレームが入りました! だけどどこまでも自省するその姿に、思わず悶えかける。
常にストイックであろうと努めてる人が、私のためにはっきりと感情をのぞかせてくれている。
それはもうときめき指数がうなぎ上りで、とどまるところを知らなくなるのも仕方ないというもの!! もう心拍数がえらいことに!
「ねえ、気付いてる? 私今、熱烈に口説かれてる気分なんだけど」
「――その意図はなかった」
「うん、分かってる」
距離の近過ぎる私から、キアランが困ったように視線を逸らす。
おおうっ、まだ来るか、怒涛の波状攻撃!! 普段冷静沈着なとこからうっすらはにかむギャップにさっきからやられどおしだ! 別にツンデレなわけでもないのに、それに匹敵する破壊力!
「マクシミリアンをずっと羨んでいたが、あいつは偉大だな」
押し隠した私のハイテンションをよそに、キアランが溜め息混じりの妙な感心をする。
まあ確かにマックスの場合は一緒に住んでても、姉弟のラインを踏み越えられたことはない。調子に乗っておイタが許容範囲を越えそうになったら、すぐ叱ってるもん。
偉大とかそんな大層なもんじゃないから。私の目をかいくぐろうとしてことごとく失敗しつつも、時々懲りずにどさくさ紛れのワルさしてくるからね。結構あいつちゃっかりしてるぞ。
それにしても、さっきからの発言の真意は、たびたび親しい人間から忠告される、もっと警戒心を持てってのに通じるやつだよね。
でも恋人なら適用外なんじゃないの? 自分も同列な様に言ってるけど、カレシとその他の男は違うぞ。こっちがオッケーな場合、どうなのよ。
あれっ!!?
って言うか、今更だけど、恋人でいいんだよね!? 告白し合ってキスまでしたんだから、さすがにもう痛い思い込みじゃないよね!?
唐突に緊急課題に気が付いて、動転する。
ヒトロクサンマル現時点をもって恋人同士! なんて確認のやり取りはしてないぞ!
三十年も生徒のいろんな相談にのってきたのに、いざ自分の順番になったら主観しかないってどういうこった! ねえ私たちって付き合ってるの? みたいな長年の関係をこじらせたカップルみたいな質問は必要なんだろーか!?
特定分野の経験値が圧倒的に足りな過ぎる!! 正解はどこにあるの!?
くそう、初恋のやつめ! 私の相談は誰にすればいいんだ? やっぱり先生? って、後輩・教え子だらけだわ!!
そんでもって、さっきからずっと、鼻先にぶら下げられたニンジンのごとく目の前にちらつく胸板とか筋肉とかは、触っちゃってもいいんだろーか? さすがにドン引かれる? まだノータッチ推奨?
軍服の上着は私が借りちゃってるから、シャツ越しに感触がはっきり伝わって来て、もうなんと言うか今にも早まっちゃいそうだ!!
ついこの間まで子供だと思ってたら、いつの間にか青年になりかけてる細マッチョな感じが、もういかんともしがたくたまらんですよ!!
ああ、昔も今も、筋肉なんて私の身の回りには渋滞起こすレベルで溢れ返るほど有り余ってたってのに、一体何がこんなにも違うものなの!? これが世に聞く乙女フィルターってやつですか!?
頭の中が急激にワッショイし始めてもう収拾がつかん!!
「キアラン、私たち、これからどうすればいい?」
何となくふわっとぼやかした感じで、端的に尋ねてみる。具体的に前記の混乱っぷりを言語化するのは、乙女の名誉のために控えた方がいい気がする。予言でなくても絶対の確信があるぞ。
ともかくキアランなら、いい感じで汲み取ってくれるよね? うっかりすると余計なとこまで見抜かれちゃうから、油断できないのが一長一短だけど。ええ、不埒な目でなんて見てませんよ!
キアランは真顔で少し考える。
「これは俺だけの問題じゃないから、お前とのことは、両親に報告が必要だと思うんだが、大丈夫か?」
おお、さすがキアラン! まさかそこまで真剣に考えてくれてましたか!?
「うん、全然オッケーだよ!」
二つ返事で首を縦に振る。
でも両親に報告って、この場合は国王夫妻なんだよね。しかも両方教え子。父親に至っては、赤ちゃんの時から可愛がってた、ほぼ甥っ子にも等しいレベル。
元教え子夫婦の息子とお付き合いとか、なんか字面が……。
ちょっと気まずい気もするけど、そもそもこの結果はアレクシスの狙い通りなんだよなあ。
なんだかんだで前向きな私と対照的に、キアランは浮かない顔をした。
「お前の生活も、今まで通りとはいかなくなるかもしれないぞ。少なくとも何らかの制限はかけられる」
舞い上がった気分に水を差す言葉に、ふと思い出し怒りをする。
「そうだ、キアラン。私ちょっと怒ってるよ。わざと距離を置いて遠ざかろうとしてたこと」
振り返ってみれば、この気持ちに自覚がない間も、キアランの変によそよそしい態度には随分あたふたさせられた。わけが分からなくて困惑したし、切なくもなった。
「私も必死で正体を隠してたし、前と違う人生を望んでることは、キアランならすぐ察したよね? 全てを国と城に縛られた私の前世を、慮ってくれたのはありがたいと思う」
キアランの懸念通り、王子の隣に立つ人生は、大預言者でなくてもそれに近いものがあるかもしれない。
私の希望と、大きく道がずれてしまうことだってきっとある。
「でも、私の幸せを決められるのは、私だけなんだよ?」
私にとって大事なのは、どこにいて何をするかより、誰といて何をするか。
前世だって、結構好き勝手にはやっていた。それでも幸せじゃなかったのは、ずっと傍にいて、自分だけに心を通わせてくれる特別な人がいなかったからだ。
「たとえどんな結論を出すのだとしても、私はちゃんと自分で考えたかったよ。知らないところで、勝手に考えて一人で答えを出して、離れていってほしくなかった」
さっきキアランだって、似たようなことを言ってたじゃない。自分の未来を他人に委ねたくはないって。
私も人のことは言えないけど、キアランも一人で考え過ぎちゃうタイプだから、ここはきっちり意思表明しておく。
「今度、私にも関わることがあった時は、ちゃんと相談して」
その注文に、キアランは私を見つめ返し、そして気が抜けたようにしみじみと実感のセリフを吐き出す。
「――そうか。俺はまた空回ってたんだな。素直に告白して、ただ、お前の返事を待てばよかったのか……」
「…………」
だから、それが口説かれてる気分になるんだってば! 本音を解禁した途端これか。無自覚だからタチが悪い。
キアラン、恐ろしい子! 実直な堅物ってコワイ!
「それと……マクシミリアンにも話を付けておく必要があるな」
また脳内ワッショイが始まりかけたとこで、キアランは物思いに沈むように漏らす。
普通だったら、彼女ができたからってわざわざその弟と話し合ったりなんかしないけど……それが友達兼恋敵となると、なんかややこしい。
恋と友情の板挟み? もしかして、出し抜いた気分になってない? そもそも私、マックス含めて誰の告白も、常にソッコー拒絶だったから。抜け駆けも何もない。
相手がどうだろうと、私の気持ちは揺らがない。
男同士でなんかあるのかも知らないけど、身を引くのをやめたからって、キアランが罪悪感とか後ろめたさを持つのは違う気がする。
「あっ、そういえば」
そこで不意に思い出した。
「子供の頃マックスと約束してたんだ。私に好きな人ができたら、すぐに教えるって」
きっぱり振った直後だったのに、それでも好きな相手ができなかったら自分のとこに来いくらいのこと言われた。
「帰ったら早速言っとくね」
あっけらかんとした軽すぎる宣言に、キアランは微妙な表情を浮かべた。
「――それは……どうなんだ?」
「約束は約束だし」
無神経? でも、マックスの気持ちには応えられないんだから、約束くらいは可及的速やかに果たさないと。ずいぶん遅くなっちゃって、申し訳ない。
「傍にいたいが……俺はいない方がいいんだろうな」
相変わらずの気遣いの人は、私よりマックスを気遣ってくれてて、なんか嬉しいけど癪だ。
「いつも通りに話すよ。ずっとそうしてきたし」
今までマックスに対して、偽りで装ったりしたことはない。いつだって本音の付き合いだ。黙ってることはあっても。
なんだかんだで一番近くて対等な存在だもん。変に小細工とかしないで、真っすぐにぶつかるしかない。今までと何かを変えるのが、一番駄目だ。
「言っとくけど、キアランが引け目を感じることじゃないからね。まあ、なるようになるよ」
「お前は、少しも不安にならないくらい、マクシミリアンを信じてるんだな」
「当たり前でしょ」
色恋沙汰で友人関係がこじれるような奴だと思ってるなら、マックスを侮り過ぎだと思う。友達を失う覚悟なんて必要ないよ。
「キアランも、あんまり心配しないで」
「――そうだな」
キアランは思案気に、それでも私を安心させるように頷いた。




