表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

284/378

願いの結末

 黒い靄が完全に消えると同時に、魔法陣から光が消え失せた。


 何事もなかったのように、元の樹林に戻る。


 それどころか、今まで漂っていた澱んだ気配が消えている。

 重苦しい特殊な呪縛が。


 ――それが意味することは……。


 ありったけの勇気を搔き集め、唇を噛みしめてぎこちなく振り返る。


 息を呑んだ。


 どれだけ私を恨んでいても、すべて受け入れる覚悟だった。


 けれどそこにあったのは、やっと解放されたような、穏やかな表情で――まるで微笑んですらいるような。


 もう軽薄な笑顔も斜に構えた皮肉も、二度と見られない。あんなに鬱陶しいと思っていたふざけた口説き文句も、もう、二度と……。


「――トロイっ……っ。ああっ、ああああああ!!!」


 こらえきれず、慟哭した。自らの血だまりの中でもう動かなくなったトロイを抱きしめる。


「トロイ、ごめんっ、ごめんっ!!」


 それ以外の言葉が出ない。


 私は誰よりトロイを理解してたのに、理解していると、伝えることをしなかった。

 共感する人間が傍にいるだけで、苦しみから救われることはあるのに。


 でも、もう遅い。今度こそ何もかもが。――私は間に合わなかった。


 息を引き取る瞬間すら、触れるほど傍にいた私にも顔を背けられたままで……まともに看取られもせずに、一人で逝かせてしまった。


 ――あんたと、出会わなければよかった……。


 最期の一言が胸に突き刺さる。どんな思いで、それを言ったのか。

 

「グラディス!」


 遠くから声がした。いや、距離はきっと近いんだろう。


 最初に聞こえたのはキアランの声。それから、家族と、他の人の声も。


 あれほど待ちわびた救助隊の足音が近付いてくる。

 左手の赤い石が、役目を終えたように光を消した。私の紫の石を呼び寄せてくれていたらしい。


 でも、今は喜びも湧きあがらない。ひどく現実感がない気がする。


 みんな、私たちを取り囲むようにして、想定外の現状に足を止めた。一目見れば分かる、後味の悪い結末に。


 後悔が次々と押し寄せる。

 ああ、あともう少し――もう少しでいいから、時間を引き延ばせていたら。


 語り合うより、救助が来るまでただ逃げ続けていればよかった? 心を動かすよりも、まずは力尽くでの捕縛を優先させるべきだった? 


 私はまた失敗したのか……。


「――そ、そんな……」


 ここまでジェロームに背負われて連れてこられたアンセルが、よろよろと近付き、それきり言葉を失った。


 私はトロイを抱きしめたまま、顔を上げられない。上げられないのに、こんな時ばかり、周囲の光景が頭の中でクリアに見える。

 今頃、何の意味もないのに。


 アンセルの呆然とした顔が、胸をえぐる。寄り添うジェロームと、硬く目を閉じて立ち尽くすルーファス。


「ああ、よかった、追い付きました!」


 突然ユーカの声がした。


 小屋で留守番を命じられてたらしい。

 ただでさえ魔術が使えない場所では、戦力にならない。その上、敵対したとはいえ、相手は丸二年間世話になってきたトロイともなれば、無理もない判断だ。魔物相手なら危険はない特殊体質だし、むしろ安全といえる。

 でも結局待っていられず、一足遅れて転移で跳んできてしまった。


「なんでだか、急に魔術が使えるようになったんで……え……?」


 役立つ気満々でやって来て、ここの状況に気付き、絶句する。


「え、ちょっと、トロイさんっ……怪我っ、足がっ……早く治療しないと……っ!!」


 助けを求めて周囲を見回す。誰も視線を返さなかった。


「……もう、手遅れだ」

「――っ!!?」


 マックスの返事だけが、重く耳に届く。


 息苦しい沈黙の中、トロイを中心に再び魔法陣が広がった。


「っ!!」


 直後には、私はトロイから引きはがされ、トリスタンに抱えられていた。

 ユーカ以外が、反射的に戦闘態勢を整える。


 けれど敵が現れることはなく、光の中、トロイの体は引き込まれるように消えていった。


「トロイっ!!」


 アンセルの悲痛な声が響き渡った。

 そして今度こそ、何事もなかったかのように、通常の樹林の姿へと戻った。


「――トロイは、一体、どこへ……」


 呆然と呟くアンセル。


「グラディス……?」


 私は無言で、トリスタンの腕からもがいて降りた。


 改めて見た私の姿に、周りが息を呑むのが分かる。

 血と涙でボロボロの顔に、乱れた髪。トロイの血を全身に浴び、所々破れたドレス。


 視線を受けながら、助けに来てくれたみんなを、初めて一通り見回した。


 トリスタン、ジュリアス叔父様、マックス、クエンティン、ジェローム、ルーファス、ユーカ、キアラン。

 強力な魔物との戦闘なんて大仕事の直後だったのに、私のために、こんなに早く駆け付けてくれた。結果はこうなってしまったとしても、あるのは感謝だけだ。


 みんな、何があったのか分からずに戸惑っている。私しか、伝えられない。


 そして、アンセルの前に立つ。

 我が子を失った教え子に、分かることだけでも伝えてやらないといけない。疲れ果てた体に鞭打って、気力を奮い起こす。まだすべきことが残っている。

 今は、呆然としてる場合じゃない。


「多分、グレイスに引き戻された。トロイは、グレイスの生贄だから……」


 あの二人は繋がっている。トロイは今度こそ、グレイスにとって()()()使()()()をされたんだろう。もう利用価値がなくなったから。


 だから、多分今頃は……。


「いけ、にえ……?」


 唖然とした呟きに、こらえきれない涙がまた流れ始めた。

 息子は今頃魔物に食べられてるだろうなんて、どう伝えればいい?


 でも、私の言葉と態度で、正しく伝わったようだった。


「――それでは、トロイの遺体すら、もう……」


 それ以上の言葉が続かず、俯いて悲しみをこらえていた。


「ごめん……私はまた、失敗した」


 今は、取り繕う気にもならない。ただ、衝動のままに言葉が口をついて出た。


「なぜ、君が謝る。あいつの親として、私こそ君を危険にさらしたことを謝罪しなければ……」


 悲痛な表情で、それでも私に謝ろうとするアンセルを止めた。

 首を横に振る。


 私がいなかったら、こんな結果にならなかったんじゃないか――その思いが、どうしても拭えない。きっとそれは事実だから。


「トロイの心を、救ってやれなかった……ごめん……アンセル、ジェローム、ルーファス……私は、取り返しのつかない結果を……」

「違います!」


 謝る私に、ルーファスが歩み寄って両肩に手をかけた。


「あなたのせいじゃありません! 何があったのだとしてもっ……それは全てトロイがっ、自分で選んで、進んだ結果なんですっ。あなただって、全知の神じゃないっ。何もかもの責任なんて負えるわけがない! ――どうか、ご自身を責めないで、ください……っ」


 苦しそうな声を振り絞って、何とかなだめようとしてくれる。責められない方が、余計に辛い。


 アンセルが目を見開いて、食い入るように私を見た。

 その後ろで、ジェロームが口元に手を当てて愕然とする。


「――ま、まさかっ……」


 信じられないといった様子で、トリスタンやクエンティンに視線を向ける。


 ――グラディス。


 不意に、呼ぶ声が聞こえた。随分久し振りに聞く声だ。


「――カッサンドラ?」


 答えた瞬間、私は一人で転移していた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ