転生者二人(後)
想像以上にやばい状況だった。冷や汗が止まらない。
私たち二人の命の危機だけじゃすまない。
グレイス一人でも手に余るのに、あのバケモノが更に追加?
とんでもない事態の瀬戸際なのに、トロイの説明は面白がっているように聞こえる。
「僕でも君でも、多分、どっちでも、いいんだよ、コレにとっては……。最初から、程よい瘴気に侵されてて、グレイス以上に極上の素体……。あとは死んだ瞬間、空き家に飛び込むだけ、ってね。ふふ……君が乗っ取られたら、美人の双子ユニットみたいに、なるね。それ、いいなあ……僕、ファンになるよ」
「だから、今そういう冗談言ってる場合じゃないから!!」
まったく、息も絶え絶えのくせに、こんな時までおちゃらけをやめられないのか!!
狙われてるの、自分だろーが!! 瀕死なせいでターゲットになってるってことじゃん!
「精神体のままじゃ、そう長くはこの世界に留まれないんでしょ、コレ!? ちょっとの間だけ、頑張りなさい!! 助けももうすぐ来るから!」
トロイに触れている右手で回復魔術を試みても、魔力のコントロールができなかった。トロイの瘴気に汚染された影響? 右掌の魔力がまとまらない。
限られた魔力量を考えても、使える魔術は一つだけ。防御壁を今途切れさせるわけにはいかない。少しでも守りに穴が開いたら、二人揃って瞬殺される。
「別に、逃げてくれて、いいんだよ」
トロイは他人事のように嗤う。
「自業自得だし、予定が少し、早まっただけ。罪人として捕まって、処刑されるより、楽だし……。ザコの中ボスに、お似合いの終わり方っぽいのが、また、笑えるね……ちょうど、向こうの世界への、入り口も開いてることだし、このまま死ねたら、本来の居場所に、帰れるかも、しれない」
「バカ言うな!!」
感情に任せて怒鳴りつけた。あまりにも投げやりな言種に腹が立つ。
何なんだよ、そのどうでもよさそうな感じ!!
こいつは人の命も自分の命も、あまりに軽く見過ぎている!!
「さっきも言ったでしょ!? 私は二度と、あんたを見捨てない!! 絶対に!! 必ず二人で助かるんだよ!!」
「どうせ、早いか、遅いかだけだよ……もう、メンドくさい……」
「さっきまであんなに怒ってたでしょ!? もう好きなだけ憎んでくれていいから、もっと気合入れてよ! いつもの無駄なバイタリティはどうしたの!?」
「ほら、僕って、気まぐれだから。――それに、憎いのは、生きてるから、だよ。憎まないですむなら、その方が、ずっといい……」
いっそ穏やかなほどの返答に、トロイの本心が滲み出ている。
堕ちるところまで堕ちて、ここまで追い込まれて、やっと表に出すことを自らに許した、偽らざる本音。
好きで憎悪を抱えてたわけじゃない。望んで手を血に染めたわけじゃない――そんなの当り前だ。
こんな状況に、トロイはほっとしてすらいる。見果てぬ望みに足掻く人生から、解放されたがってる。
でも、そんなの見過ごしてはあげられない。
「ただ楽になりたいだけなら、とっくに自殺でもしてたはずでしょ! あんた今まで、苦しくても一生懸命頑張って生きてきたじゃない!!」
必死で発破をかける。
その頑張り方は間違ってたとしても、やり直すことはきっと死ぬより苦しいとしても、このまま楽になる選択肢なんてありえない。
「まだ若いんだから、枯れるのは早すぎるよ!!」
「血の気が抜けて、ちょうど、よくなったんじゃ、ないかな?」
「全然うまいこと言ってないから!! 大体、あんただって半分魔物みたいなもんなんじゃないの!? ちょっと血が出たくらいで死にそうとか、ひ弱な人間の真似なんかしないでよ!!」
「まあ、能力は上がっても、肉体は基本とそうそう変わるものじゃ、ないし、ねえ」
声を聞くだけでも、しゃべるどころか呼吸すら苦しそうだ。
黙ってろって言ったほうがいいの? でも顔を背けてる分だけ、言葉の応酬がやめられない。頭のすぐ後ろで急に静かになられたら、終わっちゃう気がして怖い。
トロイの声は苦しそうなのに、どこか嬉しそうにも感じられて、余計不安が募る。
「はは……ほんとは、いつも、生贄を捧げながら、思ってた。このまま、僕も一緒に付いて行けたらなって。――あの魂は、どこに、行ったんだろう……? 転生者の魂は、元の世界に、戻れるのかな……?」
「そんなの寿命を全うしてから確かめればいい!! 私と違ってせっかく魔法使いポジションなんだから、もっとありがたがってVRゲーム気分をエンジョイし倒してやればいいんだよ!! ホント羨ましいくらいだっての!!」
どこかに行ってしまいそうな気がして、触れていたトロイの服をぎゅっと掴む。退場したがって逸る背中を、繋ぎ止めるように。
けれど拒絶されるかのように、その右手は、血でぬめった震える手に引きはがされた。
「――僕は、自分の心に、嘘が吐けなかったんだよ。前の、あんたと違って……」
掌に、唇の感触がする。これまでのような、裏の意図なんて何もない、ただ触れるだけのキス。
「僕のこと、絶対、忘れないでよ」
聞き取れるかどうかの掠れた声に、息を呑む。
いつも振り払っていたその手の、あまりの弱々しさに焦燥感が募る。
「何、言ってんの!? しっかりしなよ! これを乗り切ったらキスくらいいくらでもしていいから!!」
思わず口走ってしまうほど、その存在が頼りなく感じられた。
そんな真剣な私の掌を、トロイがぺろりと舐める。
「ひゃあっ!? ちょっと、こんな時にまでふざけないで!!」
ああ、もう本当に、どこまでもコイツは!!
防御壁に穴が開いたらどうしてくれんの!? もう一息で、押し返せそうなのに!! しかもちょうど手を突いて怪我したとこだから、そこそこ痛かった!!
「僕からの、プレゼント」
「イヤガラセが!?」
「ふふ、ふ……ラスボス戦も、頑張って、ね……」
おかしそうな声を漏らすトロイに苛立つ。
ラスボスってグレイスか!? VRゲームって言った皮肉!? こんな状態で先の戦いまで考えられるか!!
もう助けを待つ時間もないかもしれない。残り少なくなった守護石の魔力を惜しみなく注ぎ込んで、黒い霧に一気に畳みかけた。
いける! あと一押し!!
あいつは今、深海を潜水しているようなもの。限界は必ず来る。
目に見えてパワーが衰えた霧は、息切れを起こしたように、少しずつ召喚陣の向こうに引き上げ始めた。
やった! こっちの粘り勝ちだ!!
勝利を確信しながらも、一切油断せずに押し込み続ける私の耳に、トロイの囁くような、静かな一言が、空気を震わせて届いた。
「――あんたと、出会わなければ、よかった……」
この騒動の中で、まるで世界にその音しか存在しないかのように……。
「――――っ!!!」
――――――嘘っ!!
嘘っ、嘘っ―――嘘だ!!! そんなこと、あるはずがない!!
私の手首を掴んでいた力が抜け、その手がするりと離れた。
早く振り向かなければ!!
――だけど、永遠に、振り向きたく、ない……っ。
撃退の未来は、数秒先で確定した。
それでも全身を凍り付かせるビジョンに、ただ肩を震わせる。
――敵への最後の追い込みをかけながら、目からはとめどなく涙が流れ続けていた。




