ジェローム・アヴァロン(教え子・教師の父)・1
転移魔術とは、実に凄まじいものだな。
闘技場を発ってから一時間ほどで、もうイフィゲニア樹林の入り口に立っている。ランドール家まで、地図やその他の装備を取りに立ち寄った時間も含めてだ。
ユーカ嬢は宣言通りに短距離移動を数十回繰り返して北上し、我々をここまで運んでしまった。
「この樹林は、古くから認識が阻害される特徴がある。その上、魔術の効果も半減する。先祖から代々伝わる秘術を使わなければ、慣れた私でも、目的地にたどり着くことはできない」
アンセルが説明して、見たことのない魔術をかけ始めた。
努めて冷静に振る舞ってはいるが、息子が真犯人だったとは、その心境は如何ばかりか。妹に一体どう伝えればいいのか。
「トロイは、本当にここにいるのでしょうか」
ルーファスが努めて冷静に呟くが、苦悩は隠しきれていない。トロイと一緒にいた時間が長いだけに、責任を感じているようだ。
「――おそらく、いる……」
アンセルが確信を持った口調で答えた。
「今、魔術が弾かれた。トロイが何か細工したのだろう。このままでは目的地に進めない」
「ここにグラディスがいるのは確かなのか?」
苦い表情のアンセルに、トリスタンが確認すると、別のところから返事が来た。
「近くにグラディスとトロイさんの存在を感じます! この森、なんか私と相性いいみたいです」
さっきから大活躍のユーカ嬢だ。距離が近付いたことで、感知できるようになったのだろうか。森との相性云々は理解しかねるが。
「マジか!? グラディスのとこまで跳べないのか!?」
マクシミリアンの期待に、ユーカ嬢は残念そうに首を振った。
「正確な位置までは掴めないので……」
「だったら、これを送り届けることだけでもできないか?」
同行したキアラン王子が、深紅に光る丸い宝石を差し出した。
「あれ!? グラディスのネックレスとお揃いですか!?」
ユーカ嬢が素っ頓狂な声を上げる。
「い、いや……初代大預言者ガラテア様から伝わる守護石だ」
王子の否定が、どこか取り繕うように聞こえたのは気のせいか?
それにしてもそんな国宝級のものを、何故持ち歩いているんだ? 大層なご利益こそありそうな代物だが、どうしてグラディス嬢に? 正確な場所も分からないのに? まったくもって意味が分からん。
「これは特別なものだから、試してみてくれ」
「分かりました。やってみます」
ユーカ嬢が素直に頷き、受け取った。トリスタン以下数名が、何故か固唾を飲むように見守っている。掌に小さな魔法陣が発生し、守護石だけがふっと消失した。
「できた! 送れました!」
ユーカ嬢が、守護石すごいですね~と驚いている。
これで、グラディス嬢がこの近く――樹林の奥にいるだろう証明にもなったわけだろうか?
トリスタンがアンセルに詰め寄る。
「いるとしたら、どの辺りだ」
その横で、すかさずジュリアスが地図を広げた。兄の思い付きを確実に実現に導く弟――この兄弟は相変わらずだな。
「建造物が3軒ありますね。魔物の徘徊を考えると、まずは屋内の可能性から考えるべきです」
「ああ、今使っている管理小屋は……」
ある一点を示そうとしたアンセルは、そこでふと何かに気付いたように手を止める。
「……そうだ、そういえば……昔、まだトロイが幼かった頃に一度だけ、訓練途中のハプニングで、放棄された昔の管理小屋に立ち寄ったことがあった。トロイはそこで古い書物を発見して……普段からは考えられないくらいはしゃいでいた。ザカライア先生に見せるんだと……」
記憶をたどるように、呟く。
「ザカライア先生?」
トリスタンとルーファスが同時に聞き返した。クエンティンも何やら微妙な表情をしている。
「よし、まずはその古い方の管理小屋に行こう」
トリスタンが即決する。
「おい、そんな根拠にもならない情報で決め付けていいのか?」
トリスタンの直観がバカにならんのは承知だが……咄嗟に熟考を促すが、批判的なのは私だけらしい。クエンティンすら、賛成のようだ。
何故だ? ザカライア先生の名が出た途端、空気が変わったか? 先生と何の関係がある? ルーファスは随分と世話になったが、トロイは一度会っただけのはず……。
しかし何故か、彼らの中ではすでに決定事項のようだ。
「そもそも、そこまでどう進むんだ? 道が分からないのだろう?」
私の問いに、アンセルも険しい表情で頷く。
「ああ、中に踏み入ると、木の配置が全く同じに見える上、空も見えず、方向感覚も完全に見失ってしまう。中に入れば磁石も効かない。それにどうも、魔術が全く使えなくなっているようだ」
「何だって? それもトロイの仕業か」
「他にあるまい。おそらく、トロイ以外は使用不可と考えるべきだろう」
魔術が使えないとなると、アンセルとユーカ嬢は完全な戦力外になるか。だが二人とも、脱落するつもりは微塵もない程の意気込みだ。
「問題ない。さっきからやってきたことだ。ジュリアス」
「はい、兄上」
長剣を抜くトリスタンの隣で、ジュリアスが方位磁石と地図、懐中時計と太陽を照らし合わせていた。
「この方向を真っ直ぐです」
「分かった」
お、おい、ちょっと待て! まさか!?
上段に構えたトリスタンは、目の前の木々に向けて、躊躇なく振り下ろした。
「…………」
発生した衝撃波で、目の前に真っ直ぐな道ができていた。素晴らしい見通しだ。
魔術なし、一〇〇パーセント物理の力。
目の前に広がったのは、目も当てられない森林伐採の環境破壊。
「これを繰り返せば、すぐ到着するだろ」
「行きましょう」
力技にもほどがあるだろう!? 直進続行か!! 誰かあの兄弟を止めてくれ!!
先祖伝来の樹林の惨憺たる有様に、アンセルが青い顔で絶句している。
お目付役のはずのクエンティンを見ると、とぼけた顔で答えた。
「まあ、手っ取り早くていいんじゃね?」
いや、止めたら命に係わるだろ、俺の――などといけしゃあしゃとうそぶきおった!
まったく、これだからこいつらの世代はいやなんだ!!!




