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逃走の、後

「ああっ!」


 木の根っこにつまずいて、素で転んだ。足が重い。うまく進まなくなってきた。


「いよいよ終わりが近付いたかな? 30、29、28……」


 トロイのカウントダウンを聞きながら、激しく肩で息を吐いて、必死に起き上がる。

 息が苦しい。両膝に手を付いて少し休み、また乱れた呼吸のまま歩き出した。崩れて汗で張り付く髪を、かき上げる。


「頑張ってる先生に、ご褒美の新情報をあげる」

 

 すでに歩いて追いつける程度の速度。トロイが散策に付き合うように気安く隣に並んだ。


「実はこの樹林って方向感覚が狂わされるから、絶対まともには進めないようになってるんだよ。加えて僕も、ちょっとした仕掛けをしてるしね。元の場所に戻ってきてるよ。迷走、お疲れ様」

「前半本当、最後だけ嘘だね」


 ゼエゼエ言いながらの即答。逃走開始から初めて、おしゃべりに応じる。この手の揺さぶりは、私には通らない。


「私はちゃんと、最短距離で外に向かってる。中心から外れてきて、魔物の数も最初よりかなり減ってる」

「――つまんないなあ。ホントにメンタルがタフだよね。戦闘もできないくせに、全然諦めないんだから」


 トロイが仏頂面になる。


「なんでここまで執念燃やせるの? そんなに、この世界で生きていくのって楽しい?」

「色々あっても、楽しいよ。生きたいし、あんたも、死なせたくない」

「――何それ?」


 これまで飄々としていたトロイの雰囲気が、わずかに苛立たしそうに変わる。


 これはトロイの心に突き刺さる話題だ。刺激するべきじゃないと分かってて、かまわず続けた。


「だから私は、絶対に死んでなんかやらない。あんたを生かすためにも」


 息も切れ切れになりながら、会話を続ける。はぐらかされないタイミングは、イラつき始めた今しかない。

 トロイに言葉を届けることは、今、逃げるよりも優先順位が高いと信じている。


 予想通り、トロイが不機嫌そうに訊き返してきた。


「僕を生かすため? だったら絶望まき散らしながら血の海で魔物に喰い散らかされてよ。儀式がすんだら、指名手配犯として逞しく生きていくから。なんだかんだでやっと自由の身だ。アウトローらしく好き勝手に楽しく生きてくよ。この世界を出ていくまではね」


 ずっとへらへらしていたトロイの感情が動いている。感情を凍りつかせている時には素通りするだけの言葉が、ちゃんと届いている。響くかどうかは別にしても。


 見ないふりで拒絶していたものが、頑なな心にすっと突き刺さる瞬間というのは、ごくまれにある。

 それでキアランの言葉に救われた、私のように。

 

「それは、誤魔化しだよ。ニセモノの自由。楽しいことなんて、本当は一つもない」


 不利になっても、どんなに息が苦しくても、次にあるかも保証できないチャンスを逃しちゃダメだ。とにかく思ったままに本音を口にし続ける。


「あんただって、分かってるはずだよ。私たちは、ずっと現実から逃げ過ぎた。それじゃ本物の自由にはたどり着けないと、そろそろ気付くべきだよ。この世界という現実を受け入れない限り、生きているとは言えない。……たとえどれだけの罪を背負っていても、私はあんたに、死んでほしくない」

「何それ、なんで僕が死ぬ前提なの? 死んでほしくない? 僕を殺すって脅しのつもり?」


 蔑むように問いかけるトロイに、私はとうとう足を止めた。

 逃げるのをやめて、初めてトロイに正面から向き合った。


「違うよ。あんたを殺すのは、あんたでしょ?」

「――」

「だってあんた、最終的にはもう一度自分を生贄に捧げるつもりでしょ?」


 私の指摘に、トロイは無言のまま人形みたいな目で見返した。


「元に戻りたいって、そういうことでしょ? 戸籍も過去もない、住所不定の不法入国外国人として日本に戻りたいわけじゃないでしょ? それじゃ、あんたが死ぬほど渇望した元の人生は送れない! あの場所に帰るってことは、死んで魂で戻って、転生し直すってことでしょ!? 今の人生は最初から諦めて! 死ぬと分かってて、止めないわけないでしょ!? これ以上バカな真似はさせない!!」

「バカな真似させなきゃどうするってんだよ!? 丸め込んで自首でもさせる気かよ!!」


 トロイが怒鳴り返してきた。私の声が聞こえている。ちゃんと、議論になってる。私がずっと、なあなあにして避けてきたものに。


「あんたの生き方にまで口を出すつもりはない。――私にその資格はないよ。出頭でも高跳びでも、全部自分で決めればいい。私はただ、あんたがこれ以上罪を重ねるのを、全力で止めたい。それがあんたの苦しみに中途半端に手を出して放り出した、私の償いだと思う」

「はっ、また口先か!? 今更あんたに何ができる。大人しく生贄になって死ねばいい!! 遊びはもう終わりだ!!」


 トロイが叫んだ直後、足が動かなくなった。バランスが取れずに尻もちをつく。


「完全なコントロールはできなくても、動きを止めるくらいはできるんだよ。予言を駆使して、僕をうまいこと口車に乗せて、改心でもさせるつもりだったんだろ? そうはさせない」

「本気でぶつかる時に、予言なんか使わないよ。私は結果を見てから動いてるんじゃない。今の本心を、あんたに言ってるの! ちゃんとあんたの気持ちを聞きたいから!」


 トロイの言う通り、瘴気に濃く慣らされた今なら、あるいはうまく言いくるめて、この窮地を切り抜ける未来も見えるかもしれない。


でも、それじゃダメなんだ。今を無事やり過ごすだけで、根本の解決には絶対にならない。トロイの心を救えないなら意味がない。


 さっきからトロイがどんどん感情的になってるのは承知の上。むしろ狙って煽っている。逃げることだけを考えるなら、完全に逆効果だけど、もう絶対に引かない。

 逆撫でられているということは、心が動いている証拠だから。


 言葉が上滑りするだけのいつもとは違う。

 前世に目がくらむあまり、思考停止して、ここでの成長を拒絶したトロイ。その目を現実に開かせない限り、暴走を止めることはできない。


 その役目はきっと、同じ過程を経た私にしかできない。


「私は二度と、あんたを見捨てない」


 これからの人生がどうなろうとも、今度こそ最後まで手を差し出し続けるから。


「今更っ――今更ふざけるなっ! もう、何もかも遅いんだよ!!」


 喉の奥から振り絞るような悲痛な声で、トロイは私を全身で拒絶した。そして衝動的に魔術を発動する。


 私を中心にして、召喚陣が広がる。

 サイズは大きくない。その代わり、この異常に瘴気の濃い環境下のせいか、今まで見てきたものとは比較にならない強烈な圧を真下から感じた。


 これまでに覚えがないほどの不吉な予感に、頭の中が真っ黒に塗り潰される。


 何か、違う!!!?


 反射的に絶叫した。


「トロイ、駄目!! 今すぐやめて!!!」


 トロイも気が付いたけど、間に合わないと、感覚で分かった。


 その瞬間、赤い閃光が視界を染めた。

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