予言の光景
転移は、一回では終わらなかった。
私の記憶には無数の魔術が焼き付いていて、転移も何種類かある。トロイのは、私やユーカのよりお手軽な分、飛距離が長くなさそうだ。本来失われた技術だから、使えるだけすごいんだけど。
動かない体をトロイに抱えられたまま、最終的に計九回の転移を繰り返した。
「はい、到着~」
そう言ってようやく落ち着いた場所は、古ぼけた見るからに廃墟の中だった。ほぼがらんどうの室内の中央に、ベッドのようなサイズの台がある。
「じゃあ、ちゃっちゃと準備しちゃおうね~、あ~忙しいなあ」
鼻歌混じりに抱きかかえられ、そのいかにもな台の上に仰向けに寝かされる。あれよあれよという間に、大の字の状態で両手首を縄で繋がれた。
ひえええええっ! なんかいきなり生贄一直線な感じなんだけど!? とりあえずドレープのないスカートでよかった!
「ちょ、ちょっと、待っ……あれ? 動く」
反射的に声を上げたら、普通に喋れた。体も動く。
「とりあえず解除してあげたからね。おしゃべりできないと僕がつまらないし。自由に動いていいよ。その台の上でだけね」
「……全然ありがたくない」
無理な体勢で可能な限り頭を上げて、室内を見回す。何もないだだっ広いだけの寒々しい部屋。
窓の外に視線を移すと、明らかにいや~な感じの鬱蒼とした茂みが見えた。
どこかの山奥っぽい。首と腹筋背筋が力尽きて、寝転んだ。
「周辺を護るガードマンは野生の魔物ってわけね」
「せいか~い。いくら大預言者でも、普通の人間には脱出はキビシイよ。安全圏は僕の結界に護られたこの部屋だけね」
お気楽な調子の警告は、ハッタリじゃない。
トロイの転移魔術は、確か移動距離が最長でも直径6.5キロ程度だったはず。しかも魔力の安定した場所が望ましいという制限付き。
それを踏まえると、どんなに遠く見積もっても、直線距離で50キロかそこら。少なくとも国内なのは助かった。
けれど、ガラス窓一枚隔てた外に、一頭の魔物が見えた。
大預言者の知覚で、近辺をフルに感知してみる。小物ながらうんざりするくらいの数と種類の魔物が、遠くまでうじゃうじゃ徘徊していた。洗脳されかけた状態で見えるか心配だったけど、意外なくらいクリアに認識できる。
見えた魔物の種類と、ちょっと特殊な植生で、場所の見当はすぐについた。
「ここ、イフィゲニア樹林でしょ。ランドール領の」
「あははははっ、さすが先生! これだけの情報量でもう分かっちゃったんだ?」
トロイがおかしそうに肯定した。
「我がランドール家代々の訓練場でね。わざと魔物を樹林内で放し飼いにしてるんだよ。ここは三代前まで使われてた管理小屋。魔物密集地のど真ん中だよ」
確かにこれは、どんなに予知を駆使しても、私の運動能力での脱出は難しいわ。そもそもこの台から動けないし。
「計画が杜撰すぎるね。逃走先がそんな自分のお膝元でいいの? すぐに所在地が割れるよ」
「だろうね。でも樹林全体、僕が魔改造しちゃってるから、僕以外は誰も魔術が使えなくしてある」
「――そんなこと、できるの?」
信じがたいけどでたらめとも思えず、探りを入れる。事実なら一体どれだけの規模になる? いくら優れた魔導師だからって、そんなことが個人単位でできるもの?
「魔物が全く出ない聖域ってあるじゃない?」
解答とはズレたその言葉に、メサイア林を連想した。霊峰カッサンドラのお膝元。黒い瘴気の侵入を拒む類の場所は、確かにいくつか存在する。
「ここはその反対。向こうの世界との繋がりが何百年もの間広く薄く続いてきたせいで、元から魔物天国な状態だった。瘴気が立ち込めて、ただでさえ魔術の威力が激減する環境だったから、ちょっと手を加えるだけで簡単に僕だけの遊び場になったよ。普通の人間には息苦しくて居心地悪いらしいけど、僕みたいな人種には森林浴してるくらい快適でね。だから場所が割れても、救助にはなかなか骨が折れるわけ」
「魔術が使えなくたって、騎士の能力ならそう苦労せずにたどり着けるでしょ」
反論するけど、これは虚勢に近い。できたとしても、相応の時間がかかる。
魔術の攻撃も防御も一切のサポートがなく、遭遇した魔物はすべて、肉体強化なしの物理で排除しなくちゃならない。魔物の索敵も、五感だけが頼り。剣士しかいないパーティーみたいなもんだ。
重々承知しているはずのトロイは、それでも皮肉ではなく素直に頷いた。
「そうだね。だからすぐに片付けちゃうつもり」
どう好意的に考えても不穏な発言に、内心冷や汗が止まらない。
あれ? なんかヤブヘビ!?
予知なんかしなくても、もう、イヤな予感しかしない!!
「グレイスは!? あんた一人しかいないの!?」
無理やりにでも話題を転換する。グレイスは先に退避したと思ったけど、ここにはトロイ以外の影がまったくない。
「ここは僕のアジトだからね。アレにはアレのねぐらがあるでしょ。共犯者なだけで、別にお友達なわけじゃないから、プライベートまでは知らないなあ」
実にドライな回答。意外というよりはむしろらしい。彼らは特に昵懇の間柄ということでもないのか。共同イベントが終わったら即解散って感じ?
「グレイスとどういう関係だったの?」
「君と結婚してればお義母さんだね~」
「そういうのいいから!」
「ははは。割と本気だよ。6年前、初めて君を見た時、運命を感じたのはね。一目でグレイスの血縁だと分かった。同じ顔をしてても、光と闇ほどの違いを感じたよ。ずっと闇の方と関わってきてたから、もし先に君と縁を持ったなら、違う道もあったのかな――なんてうっかり思いそうになったくらいにはね」
そこにはおちゃらけながらもすべてを諦めた、それでいて何かの目的にぎらついた目があった。
「――さてと」
トロイは唐突に私の右手を握る。
掌に嫌悪感を覚えて、息を呑んだ。
さっきの続きをやる気だ!! 黒い瘴気を送り込む洗脳。拘束されていていつものように払いのけられない。
こっそり少しずつやる必要はもうないから、今度こそ一気に、私の自由を思考力ごと根こそぎ刈り取るつもりか。
ダメ元で繋いだ手から、トロイの魔力を流用できないか試してみたけど、やっぱり無理だった。瘴気の影響が一番強いせいか、右手の感覚がうまくコントロールできない。魔力どころか、うっかり瘴気の方を吸収しちゃいそうだ。
なす術がなく固唾を飲んだ私をよそに、トロイは怪訝そうに眉を寄せた。それからすぐに手を離す。
「?」
不審に思いつつよく見たら、その手首には、さっきキアランから受けたかすり傷が、治癒を忘れられたまま残っていた。
トロイはそれにしばらく注目して、何か考え込んでいる。
「……何、やってるの?」
「うん。ちょっと、気になることがあってね……」
そう言うなり、さっき私に突き付けていたナイフを再び手に取る。
そして、いきなり無造作に私の胸に振り下ろした。
「――っ!!?」
悲鳴すら上げられないまま、ただ凝視する。これまで繰り返し見てきた光景――黒いフードの男に殺される、かつて見た予言の一場面が、脳内にスロー再生される。
ぎゃあああああ、ここでか!!?
いきなりやって来た、予期した未来の到来に、身を固くした。




