お願いと運命
森林公園の方が、ヤバイことになっていた。
ユーカにがっつり寄り添いながら、大預言者として、最大限の感知を続ける。
脳裏に移るのは、強力な超高密度の炎の塊。物理攻撃が効かず、現状は結界で抑え込むしかない状態。
ただでさえ300年前の時点で、召喚を許したら対処しえないために、出てくる直前を狙って集中攻撃で封印するしかなかったほどの大物。
それが、異世界とこちらの世界の狭間という特殊な環境下で、肉体を持てないまま長すぎる熟成期間を経て、グレイス並みの変わり種に進化してしまった。
こちらの世界では、肉体を持たずには存在し続けられないはずの魔物が、血肉のないエネルギー体を安定させた状態で完成された。
魔術攻撃は効果があるけど、パワー差があり過ぎて焼け石に水。何しろ300年かけて成長してきたバケモノだ。
現在の均衡は長くは続かない。
その上、最大戦力のトリスタンは、グレイスとの戦闘中で手が回らない。一体どっちが足止めを食らってるのか。
傍から見れば、デメトリアは問題を先送りにして、300年後に押し付けたみたいだ。でも、きっと見えていたんだろう。
300年後の今、存在するものが。
肉体を持たない進化した魔物だからこそ、逆に犠牲を払わず迎え撃てるということが。
さっき見えたいくつかの未来は、大半が惨劇だった。あの魔物に蹂躙される、目を覆いたくなる光景の数々。
そして最初の犠牲が――。
そんな未来は、絶対に許さない。
「ユーカ。一生のお願いがあるの」
今まで抱きしめるように抱えていたユーカから体を離し、間近からその目を見据える。
これは、私でもできることかもしれない。ヒントはすでに見つけた。できるものなら、私の手で助けに駆け付けたい。
けれど、たった一つ見えた希望のビジョンの中には、ユーカがいた。
すでにこの子は一度経験していることだから、たとえ疲れ切った状態でも――むしろ、消耗した今だからこそ、成功率は高いはず。
悔しいけど、迷う余地はない。ただ信じて任せよう。
脱力したまま私に体を預けていたユーカは、私の真剣な雰囲気に何かを察し、力を奮い起こした。
「何でも言って」
力強く答えてくれた。そんなユーカに、真っすぐ「お願い」を突き付ける。
「マックスを助けて」
「当然です!」
間髪いれずに返ってきた。
触れたままの腕から、ユーカの決然とした意志が流れ込んでくる。その中に、ユーカの奥深くに押し込められていた感情も垣間見えた。
――ああ、そうかと、唐突に腑に落ちる。いつか来るかもしれない、ずっと先の未来の予感がよぎった。
ユーカと、改めて視線を合わせる。私の言葉の意味を正確に理解し、自分のすべきことに突き進むべく奮い立つ姿。それは私が預言者であることを、確信しているからだけの理由じゃない。
こんな時なのに、抑えられなくて困る。込み上がる嬉しさを。
運命の必然を感じた。
助けた相手に助けられる。どちらが欠けても、どちらも存在しえないような、そういう運命。気付かないだけで、もうとっくに始まっていた。
ユーカは必ず助けてくれる。――その先は彼ら次第か。
だけど先々のことを考えても、ユーカにはやっぱりもう一回、ダメ押しの大活躍をしておいてもらおう。
離れてから、一番確実なアドバイスをした。
「マックスだけを目指して跳んで」
「はい!」
元気よく返事をすると、ユーカはかすかに残った最後の魔力を振り絞って、一瞬で姿を消した。
「ああ、勝手にユーカにお願いしてしまってごめんなさいね。森林公園にいる弟が心配で……」
私たちのやり取りに注目していた周囲に、ユーカを行かせた言い訳をする。
作戦の一環としてここに配備されていた駒を、「弟を助けて」なんて超個人的な都合で動かしちゃったわけだから、顰蹙を買うどころの話じゃないな。しかもその弟も任務中だし。まさしく非常識な我儘娘の面目躍如ってとこか。
表向きには、あとで二人揃って大目玉かな。やらなかった場合の結果を考えれば、そんなのどうってこともない。
「問題ない。この先は騎士と魔導師の仕事だ」
私の茶番に合わせて即座にキアランが、あえて周りにも聞こえるようにフォローしてくれた。その目が頷いている。
分かる者には分かったはずだ。私の行動で、向こうが相当危険な状況に陥っているということは。
エリアス以下、顔つきを変えた数人が、それぞれに新たな指示を出したり、違った動きを取り始める。
そんな中、ユーカがこの場からいなくなった途端、これまでの反動のように、ヒュドラの攻撃がこっちに集中し始めた。
「グラディス、もっと下がれ!」
椅子に座っていた私に、キアランが指示した。
ユーカ効果が如実に分かる。結界がなくなったせいで、もうここも、さっきほど確実な安全地帯じゃなくなった。言われた通り、護衛対象の密集地帯に身を寄せる。
「きゃあっ!!?」
少なくない衝撃音に、近くから悲鳴が上がった。ヒュドラの奴、魔法を使い始めた。
ウオーターカッターみたいな水圧の水が飛んできて、魔術師が数人がかりの防御壁を張ってなんとか防ぐ。
その中でも、特に強力な魔術を使いこなしてる一人が、何故か私に一歩近付いて振り返った。
「やあ、グラディス。僕に惚れ直しちゃっていいよ~」
私の前で防御壁を維持しながら、トロイがウインクをしてきた。魔導師団の正式なローブ姿だから、気付かなかった。
「――」
いいから仕事に専念しろ!! 給料分しっかり働け!! こんな時までナンパか!! そもそも直せるほどの基礎がないわ!! ――一応場をわきまえて、罵倒は心の中でだけにしておいた。
もちろん私の冷たい視線に、怯む男ではない。いやむしろ喜んですらいるようで怖い。
「ねえ、これ終わったら、頑張ったご褒美にデートし」
「しない!! みんな頑張ってるから! ちゃんと前見なさい!!」
食い気味に怒鳴り返す。余裕があったら殴り飛ばしてやるのに。
手が足りなくて、アレクシスとキアランすら戦闘に参加し始めたとこだ。まったくこんな状況で何をやってるのか。ブレなきゃいいってもんじゃないぞ!
召喚直後より、ヒュドラの本体が、明らかにサイズダウンしてる。
半面、時間とともに肉体と中身が馴染み、動きがこなれてきてもいる。生まれたてのよちよち歩きだったのが、ようやくこの世界にしっかりと存在を確立させた感じだ。
今まで切断された部位は黒い瘴気になって霧散していたのに、今は血肉が飛び散りだして、かなり目に優しくない光景だ。スプラッタ耐性強くないからね。
おおうっ!!
どおんっ、と音を立てて、私の身長並みにデカイ蛇の頭部が、近くの客席に降ってきた。その勢いで跳ね返った何かの破片が、さっきまで座っていた座席に直撃して、残されていた私のハンドバッグを弾き飛ばした。
うわ、危なかった!
特撮じみた派手な攻防に、周りが盛り上がってる。このよっしゃあって感じのノリ、嫌いじゃないけど、コレけっこうな衝撃だよ。超特大なヘビの頭! 首だけになっても襲い掛かってくる、映画のあれやこれやのシーンが記憶を駆け巡って、スゲー薄気味悪い。
混戦する中、集団の一人に紛れながら、闘技場にいる人間を注意深く観察してみた。
ユーカを送り出して私が残った理由は、他にもある。むしろこっちが本題と言っていい。
グレイスは、あっちにいた。森林公園でほぼ最初から、ずっとトリスタンと戦っているようだ。今、この瞬間も。
だったら、こっちで召喚陣を敷いた奴は、誰? これほどの魔術を使える優れた魔導師は?
疑いは晴れたはずのトロイに、思わず視線を送る。事件の際には、確かなアリバイがいつもある。なのに、いまいち私の中で真っ白になり切れない微妙な存在。
そこで予期せぬ光景に、思わず叫んだ。
「――トロイっ!!?」
ヒュドラの水攻撃によって砕けた瓦礫が跳弾のように、後方からトロイに直撃した。




