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ロクサンナ・オルホフ(教え子・友人)・1

 建国祭当日。


 予定通り静かに闘技場から抜け出し、現在私たちはネル湖周辺で警戒を固めている。


 今日は五大公爵を筆頭に、国内の有力騎士がこれ見よがしな警備をしている状態。

 普通の相手ならすごすご引き下がるところだろうけど、()()は全然気にも留めないでしょうね。


 ほんの二日前、戦ったばかりの人型魔物を思い出す。

 人目を引く完璧な美貌とスタイル。私の大好きな元恩師にして友人のグラディスと、見かけだけは確かにそっくり。

 目くらましが解けた瞬間現れたその姿に、けれど少しも動揺はしなかった。

 

 完全に別人。爬虫類のように温度のない目。グラディスがあんな作り物みたいな表情をするわけがない。

 そのバケモノぶりには、さすがに度肝を抜かれたけれど。

 トリスタンでも勝てるか分からないと言ったグラディスの評価は、大袈裟でもなんでもなかった。正直、私では無理だわ。負けない対策は打てても、あれは到底勝てない。


 ああ、それにしても腹立たしいわね。グラディスとのお出かけ、何ヶ月も前からスケジュール空けて楽しみにしてたのに。

 学園生の頃から、あの人と過ごす時間が大好きだった。物心つく前から次期公爵として扱われてきた私を、まったく特別扱いしなかった唯一の人。

 学園内では誰もが平等の建前はあっても、人の意識まではどうにもならない。でも先生だけは、本当に欠片も気にしてなかった。全員が同じただの生徒。あの人の前では、私もエイダも普通の女の子の一人にすぎなかった。

 居心地のいい空間は、公爵になった今だって変わらない。むしろ前より上回ってる。友人としてのマダム・サロメでのショッピングは、とても楽しかった。

 今日の儀式だって、並んでおしゃべりを楽しみながら観覧するつもりだったのに。予定が全部台無しだわ。


 その怒りは、存分にここでぶつけてやるわ。


 今は静かなネル湖へと視線を向ける。


「叔母様、本当に魔物の出現はあるのかしら?」


 同行したヴァイオラが、好奇心いっぱいに話しかけてくる。


「ええ、そのつもりでいて」


 確信をもって断言する。グラディスがそう言ってるんだから、間違いないわよ。


 他の公爵家もみんな、後継ぎは連れてきている。考えることはみんな一緒ね。まだ半人前には荷が重いとはいえ、こんな経験を積める機会は滅多にないもの。

 対峙する相手がグレイスであっても、封印された特殊な魔物であってもね。


 それぞれの公爵家や騎士が、湖を囲むように指定の場所で待機している。


「おい、紛らわしいから私語厳禁で頼むわ」


 二百メートル以上離れた湖の反対側から、クエンティン・イングラムの苦情が聞こえた。


「了解」


 一言だけ答え、ヴァイオラに向けて、しい~っと人差し指を口に当てて見せる。

 この場で警戒態勢を敷いている騎士は、あらゆる事態に即時対応するため、五感をフルに研ぎ澄ませている。

 特に私たちレベルになると、湖の端と端からでも普通に会話できる。ヴァイオラにはまだ無理のようね。きょとんとしてる。独り言じゃないわよ?


 私たちが正式に受けた指令は、この湖の底に封印されているという特殊魔物の退治。ここに配備された人員は、気合の入りようが違うわね。異変があることを確信しているもの。()()()()()()が出たってことになっているから。――間違ってはいないわね。

 誰の予言か――真相を知っているのは、グラディスの正体に気付いている一部だけだろうけど。


 闘技場の方はどうなってるのかしら。何もなければいいのだけど、グラディスの今日の装いを見ると動く気満々だったわね。エリアス様も傍にグラディスを置いて、他にも万全の備えを取っていたみたいだし、あまり楽観視はしない方がよさそう。


 こういう判断に困った時、実は目安になるのがトリスタンなのよね。さっきから他の公爵たちも、遠くに見えるトリスタンをチラチラ確認してる。トリスタンがつまらなそうな顔をしてるうちは、大丈夫ってこと。トリスタンの敵への感知能力は騎士の限界を超えているもの。まるでグラディスみたいに。


 私も視線を送って何気なく観察すると、そのタイミングで明らかにトリスタンのまとう空気が変わった。

 公爵の間でだけ、瞬時に緊迫感が共有される。ああ、ルーファスもこちら側ね。

 私たちの変化で、残り四人の跡継ぎが、遅れて緊張しながら湖面に鋭い目を向けた。


 わずか数秒後、水中に巨大な魔法陣が広がった。放たれた光で、他の警備達にも異変が伝わる。段取り通り、直ちに警鐘が鳴らされた。


「始まったわよ」


 固唾を飲んで見守る私たちの耳に、闘技場の方からも警鐘の音が届いた。それだけでなく、数万人の絶叫までもが、はっきりと伝わってきた。


「おい、向こうの方が先に始まってんじゃねえか?」

「ヤバそうだぜ」


 クエンティンとヒュー・ハンターの会話が聞こえる。確かに、闘技場内は尋常じゃないパニックの気配。一方でこっちは、魔法陣は展開されたものの、まだ何も起きてはいない。

 あら? 水位が下がり始めた?


「向こうは後でいい。先にこっち片付けるぞ」


 トリスタンが水面から視線を外さないままで応じた。


 その言葉で、全員が同様に集中する。向こうの方が危なかったら、誰より真っ先にトリスタンが駆け付ける。とりあえず緊急を要する事態の心配はなさそうね。予定通り、私たちはここのトラブルの解決に専念するとしましょう。


 湖の水位は、明らかにみるみると減っていった。この水って、一体どこに消えてるのかしら?


 時折闘技場の方の気配を探ってみると、さっきまでの恐慌状態が、大興奮のるつぼに変わっていた。本当にあっちは何が起こってるの!? 


 すごく気にはなるけど、こっちもこれからが本番だわ。

 すっかり排水された湖の底が見える。ぬかるみに、最初に現れた魔法陣とは別の陣が、うっすらと光って見える。

 あれが、封印ね。亀裂が走っている。この前の人型魔物の仕掛けのせいね。解放されるわ!


「いよいよ主役のご登場か」


 ヒューのふざけた感想が聞こえる。軽口で誤魔化したい気持ちが分かる。漏れ出る瘴気だけで、鳥肌が立つほどの禍々しさ。こんなの、経験したことがない。今まで召喚された魔物と、桁が違う。

 というより、存在そのものが違う?


 ぬかるんでいたはずの湖面が、カラカラに乾いていた。

 弾け飛んだ封印の陣から姿を現したものは、真っ赤に燃え盛る炎そのものだった。


 全ての姿が現れるのを待たずして、トリスタン、クエンティン、ヒューの三人が、一斉に飛び掛かって見事なコンビネーションで斬撃を加えた。

 この三人が学園時代に色々つるんでやらかしていたのは結構知られた話で、さすがの息の合いっぷり。


「あちっ! おい、こいつ体がねえぞ!」


 ヒューの叫び声が聞こえた。

 離れた場所で見ていた私の方が、全体像がはっきり見える。確かにその表現が一番しっくりくる。

 まるで本物の火にでも剣を振るったかのように、無力に素通りしただけだった。三人の公爵の同時攻撃が、まったくダメージを与えられていない。


 何事もなかったように、陣から本体の全てを出現させた炎の塊。数秒後には、強いて挙げるなら、ネコ科の獣のような形態に落ち着いた。

 まるで燃え上がるしなやかな猫。ただしその大きさは、二階建てのちょっとした民家くらい。ギディオンさんの葬儀の時のアリよりは小さいけど、密度の高さが別次元。

 実態らしきものが存在しているのかすら怪しい。


 こんな高エネルギーの塊みたいなもの、どうやったら倒せるのよ。 

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