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夜明けの一歩

 もう気が遠くなるほど昔に感じる空手選手時代、「自分はできる!」と口に出して集中するメンタルトレーニングをよくやったものだった。


 「私は幸せ」と口にしたら、それがまぎれもない事実じゃないかと、今更実感した。

 グラディスとしてこの世に生まれてから、不幸な目になんて一度たりとも遭ったこともないのに。一体何に縛られていたのか。必死で逃げていた前世に、自分からしがみつきに行っていたみたいだ。


 一周目の記憶をダイレクトに引き継いでいた二周目のザカライア。

 その前世は、多少の不満はあっても、とても充実したものだった。引きこもりでも社畜でもいじめられっ子でもオッサンでもない。


 暑苦しいほど家族に愛され、友達やライバルに恵まれ、幼い頃から続けた努力は実り、最高の結果を得て、一流企業の内定も取れて、オリンピックにだって手が届く直前だった。未来には希望しかなかった。


 その大切なもの、築き上げたものの全てを、一瞬で失った。やり直すチャンスすらもなく。


 それだけでも普通にカウンセリングが必要なレベルの悲劇。それを受け止めるザカライア()は、地球ですらない場所で、底の見えない孤独に放り出された。共感を求められる相手なんて、世界のどこにもいない。


 全ての価値観がひっくり返った、異世界のスラム。最初に得た教訓は、他人を信じないこと。

 絶望の果て、少しでも前向きに生きていくにはどうすれば――頼れるものもないまま、自分なりに見つけた傷付かずにすむ方法。

 培ったメンタルコントロール技術と大預言者の無自覚な強い精神力で、心を作り替えていた。


 自分を苦しめる感情は、片っ端から見えにくい仕様に。孤独も怒りも妬みも嘆きも愛も、深い部分では何も感じない。その前に弾くから。この世界で一人で生きていくのに、随分楽になった。


 その都合よさがもたらしたものは、深い苦悩を味わわずにすむ代わり、心からの歓喜もない上滑りの人生。


 そんな呪縛を引き継いでしまった、三周目のグラディス()

 はっきりと意識させられてから、もう五年以上になる。

 本当になんで今まで足踏みしてたのか、自分で不思議になるくらい、今は全てが吹っ切れた気分だ。


 やっと本当の意味で、ザカライアの抱えた闇から完全に抜け出せた。

 もう、前世に翻弄されたりしない。記憶と想いは抱えていても、私の心は幸せしか知らないグラディスのものだから。


 隣のダグラスは私を見ながら、肩の荷を下ろしたように背もたれに身を預けた。役割が終わったとばかりに、かすかに口の端を上げた。


 ああ、確かにそうだね。あんたは亡き旧友の心残りを晴らしてくれたんだ。最期まで私を愛し続けてくれたギディオンに代わって。

 キアランから聞いてはいたけど、ホントにいい指導者になってたんだなあ。私まで導かれてしまった。まったく憎たらしいくらい粋な年の重ね方をしたもんだ。見習いたい。

 そういえば、私を立ち直らせる指針になった言葉も、元はダグラスの発言だったんだっけ。


 信じられないほど軽くなった心を意識する。私にその言葉を伝えて、最初のきっかけを作ってくれたキアランに視線を向けた。


「――グラディス……?」


 キアランが驚いた表情で、私を見つめていた。


 予感とは違う何かが、胸のどこかを駆け抜けた。

 

 初めて一緒にダンスした日のことを思い出す。あんな子供の頃から、私すら気付かなかった私の心を、真っすぐ見抜いていたキアラン。年季の入った私のカラ元気には、こっちが戸惑うくらい騙されてくれもせず。

 あの時に素直に泣けたから、今日の私にたどり着けたんだ。半世紀も自分を偽り続けてきた目隠しの現実を受け入れる――その最初の一歩が、多分一番難しかったはずだから。

 ああ、思い返してみたら、それ以来キアランの前でばかり泣いていた。


 今私の中で起こった心の変化も、そこで見ていたんだね。あれから少し時間はかかったけど、やっと自由になれたみたい。


 泣きそうなくらい晴れやかな気分で、自分にできる最大限の笑顔を返す。


 ――あれ?


 いつもとは違う何かを、そこに見つけた。

 どこか戸惑いながらも、探るように私の目を見返すアメジストの瞳に。キアランの中にずっと居座っていた頑ななまでの決意のようなものが、揺らいでいる。


 急に鼓動が早まった。


 えっ、あれっ、ええっ!? ちょっ、心拍数がいきなりえらいことにっ。


 なんだこれ!? そういえばこんな感覚が、今までに何回もなかったか!? そのたびにシャットアウトでスルーしてた気がする。まさに今世紀最大のビッグウエーブ到来な予感というかなんというかっ……!?


 いやいや、ちょっと待て!?


「――キア……」


 正体を確かめなければ……思わず身を乗り出すように近付こうとして、そこで動きを止めた。


 頭の中は、一瞬で別の事柄に塗り替えられる。


「来た」


 視線を、闘技場に向けた。


 私の極かすかな囁きはキアランだけでなく、エリアス、アレクシス、ダグラスの視線まで瞬時に集めた。この一言が、大預言者の予言だと理解してるメンツだ。

 みんなの視線も私に倣って、演舞真っ最中の中心に向く。


 まだ何の異常も起こってないのに、エリアスはすぐにいくつかの指示を周りに出した。


 その最中、森林公園の方から、異変を知らせる警報の鐘の音が響き渡る。一足先に向こうが始まったようだ。


 期待に満ちた数万の観衆と、戦意を高揚させて事態を待ち受ける貴族に向けて、こちらでも直ちに警鐘が打ち鳴らされた。

 辺りが一瞬で騒然とし、闘技場にいた演者たちは、段取り通りの訓練された動きで退避し始めた。


 ジュリアス叔父様が心配そうに私を見たけど、公爵エリアに残った騎士にもちゃんと役割は振られている。ロイヤルボックスは厳重な警備があるから、こっちは気にせずに頑張って! お互い、視線で激励し合った。


 期待に応えるように、優秀な騎士や魔導師が王族とその他のVIPを手際よくまとめて、守備をがっちりと固め終える。


「グラディス! キアラン君!」


 その守りの中で、ユーカが決意に満ちた表情で駆け寄ってきて、私に抱き付いた。


「ユーカ」


 私も腕を背中に回して、なだめにかかる。ちょっと入れ込んでるみたい。本来ユーカは守られる立場でここにいるのに、いざという時には私のために戦ってくれるつもりみたい。


「私、結構役に立ちますよ! まだ戦闘はできないけど、色々と小技が効くんです! だから、傍にいます!」

「うん、ありがとう。頼りにしてるよ」


 勇み足は心配だけど、気持ちがありがたい。頼もしい友達を、ぎゅうっと抱き返す。

 そのまま預言者集団に視線を送ると、エイダと目が合った。これからの彼らの行動に、頷いて賛同の意を返す。

 エイダが勇気付けられたように顔を上げ、配下に指示を出した。慌ただしく、その場で簡易的な準備が整えられていく。


 本来この後、競技場の中央で行われるはずだった祝詞の儀式。魔物の召喚陣に干渉して、多少なりとも抑制効果を発揮する。大人数でただおろおろしてるよりは、やれることがあるなら何でもやった方がいい。 


「迎え撃つ体制は整っている。とりあえず無茶はせず、ここで待機するぞ」


 同じく守られる立場筆頭のキアランが、気を揉むように忠告してきた。私たちはそんなに危なっかしく見えるのかね。これだけ万全に守られた状態で、無駄に跳ね返るつもりはないよ。まあ、ユーカはこれでなかなか考えなしの無鉄砲だけど、私はもうちょっと考えてる方だよ。――もうちょっとね。


 その一方でキアランは、アレクシスと一緒に、いつでも剣を抜けるように身構えていた。護衛の輪に囲まれた要人の中で、間違いなく一番強い二人だから、こっちも頼りになる。

 来賓のはずのダグラスは、すでにエリアスの護衛に張り付いていた。


「あっ、魔法陣です!」


 私にしがみついたままでユーカが叫んだ。


 二年前の600年祭を再現するかのように、闘技場いっぱいの巨大な陣が、光りを放った。 

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― 新着の感想 ―
[一言] 読み始めたばかりの新参者ですが… 漫画も少し読まさせてもらいました。 ただの感想です。 率直に言うと、自分はマックスとグラディスが結ばれて欲しかったです。 物語的にはそうであるべきだとは思う…
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