冗談
「わざわざお越しいただいて、申し訳ありません」
ルーファスが私に礼儀正しく挨拶する。
「ううん。私こそ、ずいぶん遅くなっちゃって……」
「いえ、お忙しい中、時間を割いていただいたのですから……」
人払いを済ませた応接間で着座を進められ、腰を下ろす。
ファーン大森林の件以来、話し合いの席を申し込まれてきてたんだけど、なかなか時間が取れなくて、こんなに遅くなってしまった。
場所は私に任されたから、前にも一回だけ来たことがある、アヴァロン公爵家別邸の一室にしてもらった。
うちにルーファス・アヴァロンが訪問なんかしたら、叔父様が同席なんてなりかねないし、マックスもうるさい。外だと護衛に取り囲まれちゃって、落ち着いて内緒話ができない。
ルーファスにはなんだかんだで世話になってるし、心配もかけ通しだったから、一回はこういう機会も欲しいと思ってた。なにより、魔術訓練の魔力補給者としても最適だから、そっちもお願いしたいというのが本音だ。
現状キアランに協力してもらうタイミングはまず皆無だし、実質マックス一人に負担がかかっちゃってる。信頼できる協力者は、一人でも多い方がいい。
まあ、まずは恒例のお説教を謹んで受けましょうかと、内心開き直る。だって、本当に開き直るしかない。
この前みたいな状況になった時、大人しく安全圏に引き上げるわけにはいかない。そんなことしてたら、間に合わなかった。
きっとこれからも、何かあれば、今まで以上に危険に飛び込んでいく状況になる。だからもう、できない約束はしないのだ。
「ああ、この前は、助けてくれてありがとう。まだちゃんとお礼を言ってなかったね」
正面から向き合って、ふと気が付く。前回現場で、ごたごたしたまま別れたきりだった。
「いえ、それは職務ですから。それより……」
おっと来ましたね。叱られる前に、こっちから先に謝っちゃおうかな。
「申し訳ありませんでした」
謝罪で切り出してきたのは、ルーファスの方だった。意味が分からず、目を丸くする。
「どうして、ルーファスが謝るの? 約束を破ったのは私なのに」
「できない約束を、無理にさせてしまいました」
嫌味なわけではなく、諦めと反省混じりの表情で、私の言うはずだった内容を先に行った。
「前回の件で分かりました。あなたに危険に飛び込むなと願うことのほうが無意味だと。ご自身の安全よりも優先しなければならないことがあったのですね? いくらただのグラディスとして生きていくつもりでも、人の命がかかっている時に、あなたが素知らぬ顔をして逃げるなどできるはずがありません。きっと、武闘大会の時よりも、遥かに大変な事態になりかけていたのではありませんか?」
私の弁解の前に、ルーファスは全部察していた。理解してくれていることに、思わず気が抜ける。
「うん。あのまま逃げたら、取り返しがつかなくなるとこだった。この先も、きっとああいうことはあると思う。ルーファスがフォローしてくれたら、すごく助かる」
「でしたら……」
ルーファスは席を立ち、私の元に回り込んできた。真っすぐな視線を私に向け、跪いた。
「私と、結婚してくれませんか?」
私の手を取って、そう言った。
そう来たか――内心で苦笑する。
「教師の間は、控えるんじゃなかったの?」
「あなたを危険にさらしてまで守るべき良識などありません。優先順位は決まっています。私は、堂々とあなたを護る立場が欲しい」
あくまで、真摯に申し込んでくる。
ほんの数日前、結婚についての思索で迷走した身としては、実に渡りに船な申し出だけどね……。
「ルーファスが、そこまで人生賭ける必要はないよ。私もどうせなら恋愛結婚がしたいし」
「私のことは、愛せませんか?」
「ルーファスも、愛じゃないでしょ?」
質問を質問で返され、ルーファスは複雑な表情を浮かべる。
「確かに、私の中から、あなたがザカライア先生であったという記憶は消せません。いくら今のあなたはグラディスなんだと自分に言い聞かせても、先生とグラディスを分けて考えることなんてできない。正直、もうそういう次元のことが分かりません。ただあなたは私にとって、本当に大切な人なんです。すべての危険から、一番近くであなたを護りたい」
自分の想いを、率直に伝えてくれているのが、よく分かる。
そこまで思ってくれるなんて、心から嬉しい。教師冥利に、胸が熱くなる。だけど――。
「私にも、分けて考えるなんてできないよ。こんな立派な青年になっても、あんたが、大切な可愛い教え子だった記憶は消せない。愛のない結婚で、あんたを不幸にしたいとは思わないよ」
私のはっきりとした断りの返事に、多分初めから答えを予測してただろうルーファスは、少し寂しげに笑った。
「あなたの教え子だったことを、後悔する日が来るなんて、考えたこともありませんでした。こんなことなら、再会した日のあなたのプロポーズを、受けておくべきでしたね」
冗談めかして沈んだ空気を払おうとする。少しでもルーファスの懸念を吹き飛ばすため、私もあえて自信満々の表情をにいっと浮かべた。
「いい報告も、あるんだよ。私意外と、無力でもないから」
ルーファスに繋がれたままの手を利用して、ちょっと魔力を拝借した。
光と魔法陣が生じた直後、私とルーファスは別の場所に移動していた。
「――こ、これは……」
さすがに唖然として、ルーファスが周りを見回す。
転移したのは、ファーン大森林の、ちょうどルーファスたちに助けられた場所だ。
まったく人の気配のない深い木々の合間にいるのは、私たち二人だけ。事後処理もすべて終わったここなら、誰かに見られる心配もない。
「大分限定的だけど、あの件以来、そこそこ魔術が使えるようになったんだ。グレイスと間違わないでね?」
ビックリさせてやったことに会心の笑みを浮かべる私に、目を見開いていたルーファスは、やがてぷっと噴き出した。
「全く、あなたという人は……本当に、いつでも私を驚かせますね。――でも……」
困った子供を見るような色を、その瞳に浮かべる。
「――えっ!?」
ルーファスに腰を引き寄せられ、ぎゅっと抱きしめられていた。
「油断しすぎです。こんな場所に連れてくるなんて。私が悪い男だったら、大変なことになるところですよ?」
静かな口調で、でも、腕の力は外せないくらい強かった。ルーファスに、こんな風に触れられたことは初めてだ。
6歳の可愛い男の子は、すっかり力強い大人の男になっていた。
危険は感じないけど、やっぱり私の心が高鳴ることもなかった。
「これは、悪い男の行いじゃないの?」
「もちろん、ただの冗談です。失礼しました」
ルーファスはすぐに私を解放して、真面目な表情で私を見つめた。
「ただ、あなたは信用した相手にはあまりに無防備です。誰が相手でも、どんな魔術が使えようとも、きちんと警戒はしてください」
結局はお説教へとたどり着いてしまうらしい。ルーファスの気遣いに、目頭が熱くなりそうなのを、必死で抑えた。
「――うん、よく言われるんだけどね。学習能力がなくてごめんね。……じゃあ、帰ろうか」
「はい」
何事もなかったようにルーファスの手を取って、元の応接間に戻った。
――ルーファス、ごめん。
笑顔で会話を続けながら、心の中で謝る。
抱きしめられた時、押し付けられたルーファスの胸の鼓動がとても早くなっていたことに、気付かなかったフリをすると決めたから。




