秘密
木の上から、真っ逆さまに落下中――覚悟した衝撃の代わりに、ふわっと柔らかく勢いを殺され、誰かの腕に受け止められたのが分かった。
硬直したまま目を開けると、すぐそこにキアランの顔があった。張り詰めた気配が、安堵に変わった。
落下の恐怖が一瞬で掻き消え、全身が歓喜に震える。
「――キアランっ……」
ああっ、助かった!!
感極まって、思わずぎゅっと抱き着いた。
心の底からほっとする。
なのにああ、何だこれ!? ものすごくドキドキする!! 動悸が止まらない!!
吊り橋効果ってやつだ! 初めて体験した。吊り橋どころか、魔物と猛獣に襲われて、高所から紐なしバンジーとか、ドーパミンもアドレナリンも出まくりだ!!
「グラディス、大丈夫か?」
「うん、かすり傷もない」
「そうか。じゃあ、降ろすぞ」
キアランは一度無事を確認した後、なぜか私の方をまったく見ないで、引きはがすように素っ気なく下に降ろす。
「――キアラン?」
「無事なら、まずその恰好を何とかしてくれ」
キアランは荷物から、私が諦めて置いてきたはずのジャージを、視線を外したままで差し出した。
「はっ!?」
言われて初めて気付く。
真っ逆さまに落下中を確保されたせいで、太腿どころかパンツが丸出し。その上、木に引っかけて破れて、体操着が結構無惨な状態になってた。
「見つけて持ってきてくれたのっ? あ、ありがとうっ……」
ばっと受け取って、背を向けたキアランを気にしながら、せかせかと着る。あ、靴下もあった!
なんか、これはさすがの私もちょっと、いや大分、恥ずかしい。露出のファッションは好きだけども、こんな少年マンガみたいなサービスはいらない。そして蜘蛛の糸からパンツを死守したあの時の私、グッジョブだ!
「グラディス!」
ちょうど着終わったタイミングで、マックスも近寄ってくる。あ、この野郎、待ちながら着替え見てやがったな。
でも、その顔を見たら、叱るわけにはいかないか。約束を破ったのは、私だもんな。
「心配かけて、ごめんね」
「分かってるなら、やるなよっ!」
マックスは声を詰まらせながら、私を抱きしめた。
ああ、ホントごめん。私を心の底から心配してくれてた気持ちが伝わってくるけど、このまま逃げるわけにはいかないんだ。
「ごめん。多分、もっとやらなくちゃいけない」
「グラディス、何言ってんだ!?」
マックスが目をむいて、声を荒げる。やっとの思いで無事を確認した私が、また危険に飛び込もうというんだから、怒るのも無理はない。
「何をすればいい?」
一歩引いて私たちを見ていたキアランが、静かなのに力強い目で、マックスを抑えるように訊いた。
「お前まで、どうしたってんだよ!? 助けに来たんじゃねえのか!?」
「――いつか、その時が来たら助けてと言われた」
それは1年以上前、私がカッサンドラの元に呼ばれて戻った直後、湧水からの帰り道で、キアランに言った言葉だ。
キアランは私を真っすぐ見て、質問というよりは確認をする。
「今は、その時なんだろう?」
「うん」
迷わず頷く。
それから、その確信めいた言動に、はっとした。マックスも気付いたみたいだ。
「お前、まさか……っ!?」
その呼び名を言葉にするわけにもいかず、そこで口を閉ざす。でも、言いたいことは正しく伝わっていた。
「知っている。グラディスが特別だということは。そのグラディスが必要だということなら、信じて支える。お前は、違うのか?」
キアランが淡々と答えた。
私もマックスも絶句する。私が、少なくとも預言者であることは、気付かれていた。
「お前……っ」
「心配するな。誰にも言わない。王家の秘密も教えたから、お互い様だろう?」
焦るマックスの機先を制して、キアランが私たちの不安を払拭しつつも促す。
「それでマクシミリアン。お前はどうするんだ?」
「行くよ! 俺が、グラディスを放り出すわけねえだろ!?」
マックスがやけくそ気味に叫んだ。
ああ、なんか、胸が熱くなる。油断したら泣きそうだ。
大預言者として、どんな使命があるのか、正直一人で心細かった。二人が、私のことを分かっていて協力してくれるなら、何とかなりそうな気がする。
「だったら、すぐに行こう。蜘蛛もいるし、もたもたしている余裕はないぞ」
「うん」
キアランの提案に頷いて、そのまま頼む。
「悪いけど、運んでくれる?」
「――ああ」
一瞬だけ戸惑った様子のキアランが、すぐに引き受けてくれた。すかさずマックスが突っ込む。
「ちょっと待て! なんでキアランなんだよ!?」
「え? 最大戦力が荷物抱えてどうするの。マックスは頑張って戦って」
「悪いが、グラディスの判断が正しい。力は貸すから、頼む」
私の当然の意見に、キアランも少し気まずそうに賛同する。
「ああ、もう、分かったよ、ちくしょう! さっさと行くぞ! 行き先教えろ!!」
こうしてキアランに抱えられながら、再び目的地を目指し始めた。
さっきまで何時間もかけてテクテク歩いていくつもりだったのに、このスピード感! ああ、やっぱり騎士タクシー、サイコー!!
これなら10分くらいで着きそう。
キアランにしがみつきながら、ふと疑問を思い出す。
「ところで、王家の秘密って何?」
「あれだ」
キアランが、先を行くマックスを視線で示す。
ヴァイオラたちが戦う前からさじを投げた蜘蛛を、マックスは流れるように二体撃破した。
「――ああ」
なるほど。実際に見たことはないけど、情報としては私も知ってるやつだ。
ザカライア時代、前の預言者筆頭から伝達された王家の力。能力の増幅。
マックスが明らかに、いつも以上に強い。逆に、蜘蛛は弱くなっている。
この能力って、ある意味最強なんだよね。増幅できるってことは、減退もできるってことだもん。
統率者として、王家を王家たらしめる力。この脳筋国家で、いまいち地味な印象の王家だけど、実は結構スゴイのだ。
まさに敵の弱点を突き、選手の実力を引き上げる名監督。
ザカライアの時は見る機会もなかったけど、きっと前の大預言者の時代には、大活躍した能力なんだろうな。侵略者たちとの攻防の度に。
そして、とうとう私の番が来たってことか。
「キアランは、いつから私のこと、気付いてたの?」
「まあ、付き合っているうちに、少しずつ、というとこかな」
私の問いに、キアランは少し苦笑する。
「お前は頭はいいのに、どうにも抜けているからな。何か事が起こるときは、いつも事態の前から一番に気付く。その意味では、ラングレー公も怪しいんだが」
その洞察力に、内心で舌を巻く。キアランに隠し事は、本当に難しい。もしかしたら、大預言者であることすら分かってるんだろうか。
「じゃあ、どうしてずっと口を閉ざしてたの?」
預言者の数は、そのまま国家の力になる。
まして色々と情勢が不安定なこのご時世。気付いたなら、すぐに動かなければいけないはずだ。私を預言者として、国に認定させるために。それが王家の人間としての義務。そうやってこれまで数多くの預言者が、国家の中心へと送り出されてきたのだから。
真面目なキアランが、どうして義務を放棄したのか。
なんだか、また動悸がしてきた気がする。
キアランは困ったように目を逸らして、答えてくれなかった。




