森の奥へ
何かに導かれるまま、安全とは正反対の方向に足を進める。
昔、登山にサンダルで来てた女子大生に、自然をナメんな! と内心で罵倒したもんだけど、私今、魔物ひしめく森林奥深くを、パンツで踏破中。
靴と半袖体操着と靴下片方という超軽装備です、スイマセン。
持ち込んだ荷物は、逃げ回る途中で放り出しちゃったし、ポケットに入ってたものはジャージごと諦めたから、完全に手ぶら。
ああ、これがただのハイキングだったらなあ……。本来なら今頃、年に一度の楽しい学園イベントを満喫してるはずだったのに。
さっきから枝やら蔓が、ほぼフルオープンな手足にパシパシと当たってきてイラつく。でもまったく痛くはない。
本来バルフォア学園のイベント用防御魔法は、ダメージはなくとも痛みはある仕様なんだけど、トロイのサービスが、すごくいい仕事してくれてる。
こんな自然をナメ切った軽装備で、痛みもかすり傷も虫刺されも何一つないとは……。――ホントにあとで妙なお礼とか、請求されないだろうなあ? まあその場合はスルーするだけだけど。
全方向に神経を研ぎ澄ませてみる。今のところ、危険な気配は感じない。比較的安全と思える経路を、目的地に向かってサクサクと進めている。
ティルダが気付いたみたいに、感知や予知が鈍ったら、逆に危険信号だと思えばいい。今は冴えてるから、割と不安は薄い。
少し向こうに、普通の魔物がいるな。よし、やっぱり冴えてる。
でも私の場合、普通の魔物が相手でも戦える力はないんだけど。
遭遇しない道を選んで、ちょっと遠回りだ。
なんだか不毛だなあ。私は何をしているんだろう。
約束を破ってわざわざ危険に飛び込もうとしてるんだから、よっぽど必要な役割があるんだろうけど。
まあ、行けば分かるか。っていうか行くまで分かんないの?
そもそも、わざわざ今日という日に、蜘蛛の魔物が発生したのは、どういう意味があるんだろう。
少なくともグレイスの召喚ではない。数は多いけど、個体自体のレベルは大分格下だ。いつもの大怪獣みたいのじゃないもん。
強力なだけで、基本、この世界にすでに生息する通常の魔物に近い存在に見える。このまま放置したら、普通に繁殖してこの世界に居着きそう。
召喚でないなら、自然発生ってことになる。必然半分、偶然半分ってとこか。
いつ空間が繋がってもおかしくない不安定な状態の時に、人が大々的に入って、いろんな仕掛けをしたり、魔術を使ったりで、刺激したせいかもしれない。
今日、学生とサポート人員が一斉に各所から入り込んだことが、危うく保っていた均衡を崩したのだとしたら……。だったら、遅いか早いかのことだ。
この先、きっとこういうことが増えていくんだろうなあ。
どうやってそれを食い止めればいいんだろう。
カッサンドラは、必要な時が来れば、その都度少しずつ預言からやるべきことの答えが降りてくる風に言ってた気がする。これがそうなのかな?
森林が無人の時より、騎士やら魔導師やらがたくさんいる今、事が起こったのは、逆に幸いだったのかもしれない。今回、被害者が出ていなければ、だけど。
遠くから、どおおんっ、と聞こえてきた。
さっきから、森林のあちこちで、時々激しい振動と轟音が轟いてる。
森林に突入した騎士団が、蜘蛛と戦闘に入ったんだろう。
ちょっと強くて数がいて特殊だけど、召喚魔物ほど突き抜けたバケモノじゃない。ちゃんとした装備と人員を揃えれば、粛々と駆除はできるはず。
このままどんどん数を減らしていってくれれば、その分私も楽になる。
あ、また感覚が鈍くなった。近くにいるかもしれない。
木の幹に体を寄せ、胸元の守護石に手を当て、じっと息をひそめる。
数分後、頭上を何匹かの蜘蛛がザザザザザッと通過していった。
侵入してきた外敵である騎士団に、組織的に対抗し始めたかな?
悪いけど、そのままたくさん引き付けといてくれたらありがたい。
ああ、切実にタクシーが欲しい。動くのは好きだけど、時間かかるわ。
感覚としては、目的地は森林のちょうど真ん中辺りなんだよなあ。立ち止まったり迂回したり、この調子だと到着するの何時間後だろう。
戦ってる騎士の中にいるはずのルーファスなら、連れてってもらえるかもだけど、絶対単独行動はしてないもんなあ。もし会えても、うっかり頼めない。普通に他の騎士に、強制避難させられるだけだわ。
感覚がまた戻りかけたところで、息を呑んだ。
熊がいた。目が合うなり、攻撃態勢。あと数十秒で到達する。
いや~~~~~!! そりゃ、森の中にいるのは魔物だけじゃないもんね~!!!
この守護石、生粋のこの世界の生物には、ご利益ないみたいっ。
住処の異常事態で、超気が立ってる熊が、今まさにこっちに突進してるんですけど!!
もちろん前世のサバイバル知識で、熊に遭遇したらの対処法も学んでいる。
熊は走ったら全盛期のボルトより早いのだ。追いかけっこは無理!!
とにかく大慌てで、寄りかかってた木に登った。この状況じゃ、それしかできないじゃん! 罠名人の私は、木登りも得意なのだ!
でも、熊も木登りは得意なのだ! この後どうしよう!?
トロイのサービス防御魔法は、リアルベアクローをどれだけ耐えられるんだろう!? 検証する気はないけども!
必死で上の枝、上の枝へとよじ登る私を、殺気立った熊が追いかけてくる。
あああ、こんなことしてる場合じゃないのに、私ひとりじゃ目的地にたどり着くこともできない。ほんとにどうしよう!?
しかもまた感知が鈍くなってきてるから、未来が見えないし、蜘蛛が近いってことだし、さすがにもう泣いていいですか!?
ああ、もう枝が折れそう!!
限界まで登って、しなる枝の先の方で、もはや立ち往生するしかない。
そして、私の目の前に、荒ぶる熊が迫っている。
せっかくのファンタジー世界で、強力な騎士やら魔導師やらいるのに、私自身は熊一頭にも対処できないこの無力感! ああ、私も魔法とか使えたらいいのに!
軽く現実逃避してるとこ、牙と爪を振りかざした熊の巨体に、突然白い糸が巻き付いた。
と思う間もなく、びょーんと逆バンジーのように熊が弾かれた。
きゃ~~~~~っ!! 熊の一本釣り! もう勘弁してください!!
現れた蜘蛛の獲物として、熊は抵抗すらできずにぐるぐる巻きにされた。
ええええと、この場合、何? 切り抜けた? それとも更なるピンチ?
とりあえずまた動きを止め、高い木の上で気配を完全に絶つ。
でも、私は頑張れても、枝は限界だった。
ミシミシと、嫌な音を立ててしなり続ける。
いやあ~~~~っ、ちょっ、ちょっと、待って~~~~!!!
許容範囲を超えて、とうとうバキッと折れる。がくんと自由落下を始めた私の目に、蜘蛛を一撃で仕留めるマックスの姿が映った。
きゃ~~~~、一足遅いよ、マックス~~~~!! 私今、真っ逆さまなんだけど!!? こっちこっち~~~!!!
必死で声を振り絞ろうとした瞬間、ふわりと抱き留められる。
「――間に、あったっ……」
いままで見たこともないくらい切羽詰まったキアランが、私を受け止めて、ほっと呟いた。




