母親
学園から屋敷に戻ったら、執事のジェラルドから、トリスタンが帰っていると報告された。
トリスタンがこっちにきたのは深夜で、私が寝ているうちだった。
朝は私が出かけるまで、トリスタンがぐっすりだったから、まだ顔を合わせてないのだ。
今日はジュリアス叔父様と一緒に、グレイス関連の話し合いで王城まで行っていたらしい。ジュリアス叔父様は終わったら、その足で大学に向かって、帰宅は遅いらしい。本当に忙しいところを煩わせてしまって、ごめんなさいだ。
ジェラルドの話だと、さっきクエンティンと戻ってきて、応接室に案内したところらしい。酒盛りが始まる前に、会っとこう。
外で呑んでこなかったってことは、今日の話し合いに関する内容ってことだろうしね。
「お父様、クエンティン伯父様、いらっしゃい!」
運び入れたワゴンから、酒とグラスの用意をするメイドもいる手前、ちゃんと言葉を選んで挨拶をする。
数か月ぶりの親子対面で、嬉しさは目いっぱい出すけど。
「グラディス!」
机を挟んで、クエンティンと向かい合ってソファーに腰を下ろしていたトリスタンも、すぐに立ち上がって私の元に大股で歩み寄った。
「ますます美人になったな!」
いつものように私を抱き上げる。私も遠慮なく甘えて抱きついた。クエンティンのなんとも表現しようのない表情が視界に入る。感動の親子の対面に、なんて顔してやがる。
「長旅お疲れ様、お父様」
強行軍での王都入りを労う私をそのまま抱っこして、トリスタンはソファーに戻る。
「お父様。さすがにこの年で、お膝抱っこはどうかと思うんだけど?」
「俺の楽しみを奪うつもり?」
そう言われてしまえば、私も嫌じゃないし、まあいいかとなって、そのまま横向きに抱っこされたままでいる。
「おい、俺はこれにどう対応すればいいんだよ」
家人が下がって、3人だけになったところで、クエンティンがうんざりしたように突っ込む。
「まあ、慣れてもらうしかないんじゃない?」
それが一番建設的な対処法だと思う。うん。
たとえクエンティンの目には、義弟でもある友人の膝に、恩師が乗っているように映っていたとしても。
「そもそも俺、あんたとどう付き合えばいいかってところから、悩みどころなんだけど」
「伯父様と姪でいいでしょ。ねえ、お父様」
「そうだな、グラディス」
親子で、ね~っ、とばかりににっこり答えた。いまさら先生扱いされても困るし。
「ああ、そうだな。真面目に考えるだけ馬鹿を見るのは俺だよな」
クエンティンも納得してくれたようで何よりだ。
「あ、私がいる間は、酒盛り禁止だから」
グラスに手を伸ばしかけた父と伯父に、すかさず禁止令を出す。
「どうして?」
「私、飲めないもん」
「あれ? そうだった?」
「うん、匂いでも酔いそう」
私たちのやり取りを見ながら、クエンティンは複雑な表情を浮かべた。
「そういえば、グレイスもまったくアルコールがダメだったんだっけな……本当に、ますます似てきたな」
「間違いそうなくらい似てる?」
結構真面目に質問すると、すぐに首を横に振ってきた。
「いや。あんたとあいつを間違えることはない。見てくれは似てても、全く別物だ。知ってる人間が見れば、すぐ分かるはずだ。まして中身がグレイスですらないなら、なお更だろう」
マックスと同じ回答に、少しほっとした。クエンティンなら両方を知ってるし、観察力も確かだ。
「それで、結局、グレイスの件はどういう話に落ち着いたの?」
早速本題に入る。会いたかったのも確かだけど、これが一番の問題だ。
「大体ジュリアスが話をまとめといてくれたから、俺は承認しただけだけど、うちとは一切関わりなしってとこだな。これまで通り、特に対応に変わりはない。もし俺の前に現れたら、魔物として普通に倒す」
トリスタンの答えは、予想通りの明快なものだった。クエンティンも頷く。
「うちもだ。死んだ妹に似てるが、ただの偶然。イングラム公爵家とは無関係。魔物をどう処理しようが一切関知しないしさせないと話をつけてきた」
それぞれ、前妻、妹とは思えないほど、淡白な対応だ。それがグレイスの生き方に対する、答えなんだろうけど……。
でもクエンティンの方はさすがに人間らしい感情もあるというか、少し苦い口調で呟いた。
「なあ……何で、グレイスだったんだ?」
「――一番の理由は多分、私を生んだから、なんだろうね」
その問いには、そう答えるしかない。
ただでさえ、数百年かけて魔物の瘴気と馴染んできた公爵の血脈。その上、異界を無数に往復してきた私の魂をお腹に宿して、そのフィードバックを確実に受けた肉体でもある。更に生まれ持った強い魔力。
場所も問題かもしれない。
グレイスの埋葬された場所は、確か3回目の生贄召還事件があった霊園と同じ区画だった。つまりあの辺りは、向こうと繋がりやすいような特性なりがあるはず。
魔物の本体がゲートをくぐり出たすぐ近くに、異世界の侵入者を受け入れるのに絶好の依り代があったということだろうか。
まあ、とにかく色々。ダグラスにも言ったように、奇跡的に条件が重なってしまったとしか思えない。再現が限りなく難しそうなことがせめてもの救いだ。あんなバケモノ、何人もいたらたまらない。
「それにしても……」
情はないけど同情くらいはなくもない血縁上の母に、思いを馳せる。
「グレイスは、可哀想な子だね……。学園に来てたら、問題児として私も更正に頑張ったはずなんだけどね」
自業自得とは言え、ここまで身内に愛されないのは、さすがに気の毒だな。私なんていまだにお父様のお膝の上なのに。
考えてみたら、育った境遇も結構ひどいかも。
仕事ばかりで関わりの薄い父親で、母親は早くに死んで、権力と才能だけはあるから我侭が押し通せた環境。止める者もなく、高慢な性格は際限なく育つ一方。
結局兄にも見放されて、一人きりの狭い王国の女王として、好き勝手に生きて、誰にも愛されず、何もなせずに孤独に死んだ。
強いて挙げるならその人生で、私を死なせて、私を生んだ。
なんというか、妙に私に絡んだ、数奇な運命だと思う。
「でも、きっとどんな手を使ってでも、学園には来なかったんだろうね。嫌なことを我慢する子じゃないだろうし」
私の呟きに、トリスタンとクエンティンは顔を見合わせた。