敗北
グレイスの姿を持った魔物には、どんな攻撃も通用しなかった。
まるでそよ風でも受けているような、優雅な仕草だ。
やがて溢れさせた瘴気を背中に集め、それを翼に物質化すると、悠然と飛び去って消えてしまった。そこに立ち尽くす私たちに、敗北感を残して。
騎士たちは為す術なく、屈辱と不甲斐なさに震えて立ち尽くす。
目の前の出来事が、一先ず終結したことに、私はほっと息を吐いた。とりあえず、人死にが出なかったことだけが幸いだ。
緊張感が解け、ようやく人心地付いたところで、ずっとキアランに抱きしめられていたことに改めて気が付いた。
本当は一人でも立てるけど、なんだかすごく居心地がいいから、もう少しこのままでいよう。
「グラディス、大丈夫か?」
キアランは私を支えたまま、至近距離から、私の気持ちを推し量る。
ようやく尻尾を掴みかけた犯人の姿形は、私と瓜二つ。それだけで、普通ならショックだもんね。ましてそれが、死んだはずの母親ともなれば、なお更だ。
でも、私は大丈夫だ。
安堵で力の抜けた体を預けたまま、笑顔を返した。
「ありがとう、キアラン。ちょっと驚いただけで、それほどの動揺はないから心配しないで」
素直に浮かんだ自分の思いを、そのまま伝える。
少し前とは逆に、キアランは私の目の奥深くまで、じっとのぞき込んできた。
ああ、私が無理をしてないか、観察しているんだな。そう思うと、おかしくなってくすりと笑ってしまう。
「本当に、大丈夫そうだな」
キアランもほっとして、少し表情を緩めた。
「さっきの魔物が何者であっても、関係ないよ。血の繋がりだってどうでもいい。私を支えてくれる絆は、他にちゃんとあるから」
グレイスは、私にとっては何の思い入れもない。産んでくれたことには感謝するけど、その前に殺されてるし、なんだかトントンで収支ゼロとでも言えばいいのか。正直愛着は皆無だ。親子として触れ合ったこともないし、実感として大切な家族の中には含まれない。
ましてその肉体だけリサイクルされていて、中身がまったく赤の他人も甚だしい魔物なのだから、それで私が悲嘆に暮れるようなことはない。
ただ、人として気の毒に思うだけだ。
家族と仲間に支えられ、見守られている私が揺らぐ理由もない。
心配してくれるキアランに、ありがたく甘えていると、すぐ横で咳払いが聞こえた。
私とキアランの間に割り込むように、私の護衛が声をかけてくる。
「お嬢様、そろそろこちらに。歩けないようでしたら、女性の護衛がおりますので」
非常事態が終わって、キアランも悪い虫に準ずる扱いに格下げされたらしい。あっさりと護衛達に引き離されてしまった。
せっかくいい気分だったのに、なんとなく残念。
よく見ると、撤収の準備を始める騎士や警備の人たちの視線を、ちらちらと感じる。
それも、私よりはキアランに。
どうやらキアランの正体がバレてるらしい。そういえば伝言の遣いは、キアランの護衛に頼んだもんな。
警備責任者がやってきて、キアランと何か打ち合わせを始め出す。
しばらくのやり取りの後、キアランがまた私の元に戻ってくる。
「とりあえず今日は帰宅できるが、明日王城に来てほしい。色々と聞き取り調査をすることになる。イングラムやラングレーが関わってくるとなると、話が少し大事になりそうだ。しばらくは緘口令が敷かれるだろうな」
「うん、分かった」
まあ、しょうがないよな。どう考えても関係者だし、それを抜きにしても、王子の同伴者として関わってるもんなあ。
「あ~あ、明日、みんなに会うの、楽しみにしてたんだけどなあ」
「そうだな。さすがにお互い、2~3日は休むことになるかもな。俺も調査の席には、できるだけ同席するから、気軽に対応してくれ」
「ふふふ。頼りにしてる」
本音で答える。本当に頼りにするつもりだ。
明日は、少し深く斬り込んだ話になるかもしれない。お偉いさんがいれば、前世の知り合いの可能性は高いし、可能な限りキアランの傘に隠れる態で、協力に応じよう。
多分これだけの事態になれば、ジュリアス叔父様がまず同伴して矢面に立ってくれるはずだし、トリスタンやクエンティンにも、ただちに召喚要請が出るだろう。
ああ、ホントにけっこう大事だ。
なのに、キアランの気休めが効いたのか、大変な状況なのに、思ったほど気が沈んではいない。
ずっと不気味で謎だった犯人の正体がはっきりしただけでも、スッキリする。
グラディスとして初めて対峙した、元グレイスの姿を思い返した。大丈夫。動揺はないと、改めて確認する。
そうすると、つい、どうしても気になっていたことに思考が行ってしまった。
「どうした? 難しい顔をして」
考え込む私を、キアランが気にかける。
「うん……考えたくはないんだけど、やっぱりどうしても、気になっちゃって……」
真正面から見据えて、食い入るように問い詰めた。
「――私とあの人、どっちがスタイル良かった?」
キアランが、珍しいくらい目を丸くした。
「――はあ?」
「だって、顔がそっくりなんだよ? そこ重要でしょ!? 私、なんか負けてた気がする! けっこう頑張ってるのに、まだ足りない!?」
どんなに忙しくてもエクササイズは欠かしていないのに、どう考えても努力とは無縁のグレイスに負けてるのは、かなり悔しい。いくら魔物補正があるとはいえ、もっと頑張れば私も更なる高みを目指せるのでは!?
「キアラン、どう思う!?」
あくまで真剣な私に、キアランはあからさまに失笑した。
「その様子なら、本当に心配はいらないようだな」
「ちょっと、真面目に聞いてるのにっ」
ふくれて抗議するけど、その柔らかな笑顔は変わらない。
「誰かと比べるな。お前は、今のままでいい」
すぐに限度を忘れるのは、お前の悪いところだな、なんて続ける。
「~~~~~~~~~」
その言葉で、私はもう次の句が出ない。
ああ、もう、なんでこう、そういうことを素で言っちゃうんだ。またハグしたくなるじゃないか、もう!
今、もの凄い笑顔が浮かんでる自信が、絶対あるんだけど!
なのに、なぜかキアランが目を逸らした。
ええ~、私の感謝の極上スマイルをスルーかよっ! なんでえ? こんなに嬉しいのに。
肩透かしで他に視線を移すと、周りにいる騎士たちもぱっと視線を外す。ルーファスだけ、なんだか複雑そうな表情をしていた。
こんな美少女から一斉に目を逸らすとは、わけが分からん。まさかさっきの魔物と同じ顔だから? それだと私にはどうしようもないけど。
結局私たちはその場で解散になり、私は行きの時とは比較にならない厳重な警護の元、屋敷に戻ることになった。
「キアラン。花火、見損ねちゃったね」
「花火は来年もある」
「うん――じゃあ、来年一緒に見ようね」
「ああ」
別れ際の挨拶をして、背を向ける。
なんだか、少し寂しく感じた。