目線
目立つ赤い髪を庶民的な帽子に押し込んで、一般人を装ったキアランが人波の奥にいた。
「キアラン!」
2週間ぶりの思わぬ再会に、思わず表情が綻ぶ。
賑わうお祭りの中、一人でちょっと寂しかった。ここで友達に会えて、なんかものすごく嬉しい!!
キアランも笑みを浮かべ、人混みの間を器用に縫って、私の元に近寄った。
「グラディス。一人で祭り見物か?」
「さっきまで仕事だったの。今はプライベート。王妃様から花火のベストスポットを聞いてたから、見に行ってみようと思って」
「母上から?」
一瞬怪訝そうに私の言葉を訊き返し、それから溜め息混じりに、帽子越しの頭に手をやる。
「俺も、母上から気晴らしに花火見物をして来いと、追い立てられた。――おかしな気を回されたようだな」
「みたいだね」
私も思わず同じような苦笑を浮かべる。
アレクシスは、私にキアランをグイグイ押してたからなあ。かつて自分たちがデートを楽しんだ場所に、息子を送り込んだか。キアランの方でも、なんかいろいろ余計なことを言われてそうだ。
「でもせっかくだから見に行こうよ。今年は新作の花火が出るって聞いて、すごく楽しみにしてたんだ」
「そうだな」
初めから一人を覚悟してただけに、余計に嬉しい。いつもよりもはしゃぐ私に、キアランも頷く。
それから私の足元を見た。
「それにしても、今日の装いもなんというか……あえてコメントは控えるが、その靴は大丈夫なのか?」
ちょっと心配そうに訊いてくる。
もちろんヒールが13センチある靴のことだ。
この5年間で随分開いていた身長差が縮まり、キアランの目線が、いつもよりずっと近い。
「ふふふ。初めて出会った頃みたいだね」
あの時のように、キアランのアメジストの瞳を間近に見つめてみる。
「まるで物のように凝視されたな。今のお前になる前だったからか?」
「ごめんね。宝石みたいにきれいだから、じっくり鑑賞しちゃって。美しいものは、昔から大好きだったから」
「男がきれいと言われてもな……」
キアランはただ苦笑いするしかない。確かに強いとか言われた方が嬉しいんだろうけど、それがあの時の本心だもんなあ。
「今でもそう思うよ」
本当に一度見始めると、全然飽きない。ずっと見ていられる。次のジュエリーは、アメジストをメインに作ろう。
「――行こうか」
キアランが困ったように、ふと視線を逸らした。
――ああ、またつい見つめ過ぎちゃった。成長がなくてゴメン。
「キアランはいつこっち戻ったの?」
森林公園の広場へ歩き出しながら訊ねる。
「母上とエインズワースの従兄弟たちと一緒に、今日の夕方戻ったばかりだ。それからすぐ、若者なら夜遊びくらいしてこいと、母上に命令された」
「王妃様らしいね」
失笑気味に、顔を見合わせる。
「そういえば、お互いの影の護衛団も、なんとか衝突してないみたいだね」
後ろの気配を探ってみても、不穏な様子はない。入り混じって共存している感じか。絶対ポジション取りとかかぶってるだろうしな。
「一応外でグラディスに会った時の注意事項を伝えてはあったが、本当に役に立つとは思わなかった」
「だね」
二人でくすくすと笑いながら、人の流れに乗って進むと、奥の方から陽気な音楽が聞こえてくる。
「久し振りに踊ろうよ」
「その靴で踊れるのか?」
「さあ? リーダー次第かもね?」
「うまくできなかったら俺のせいにする気か?」
広場に着いてから、笑いながら向かい合って組み、周りの人たちに合わせて見よう見まねで踊り出した。
子供でもその場で覚えられるくらい単純なステップを、繰り返すだけのダンス。簡単だけど、さすがに靴のせいもあって、足運びはおぼつかない。
いつもの私なら物足りないはずなのに、キアランとの5年ぶりのダンスは、すごく楽しかった。
あの時は泣きながら踊った。今の私は、笑顔でいられる。諦めの中で、形だけの作った笑顔とは違う、心からの本当の笑顔。
それは、きっとキアランのおかげだ。
「キアラン、ありがとう」
「急に、どうした?」
「ふふふ。まだ、お礼を言ってなかったなあと思って……。今は、すごく感謝してる」
「――そうか」
それ以上はお互いに何も言わず、取り留めのない別のおしゃべりを楽しみながら、何曲か立て続けにリズムに合わせてステップを踏んだ。
動いていたせいか、途中、徐々にキャミソールの肩ひものリボンが緩んで、二の腕にずり落ちた。ほとんどほどけかけている。
「おっと。これは改良点だな。素材を変えた方がいいかな。それとも縫い付けるか」
見下ろしながら、どう作り直そうかと考える。シャーリングのおかげでベアトップ状態で胸元に張り付いているから、とりあえず下にずり落ちることはないけど、片側の肩が丸出しの状態だ。
このまま売り出したら、買ってくれた女の子が人前で恥ずかしい思いをするかもしれない。
いやまさに私が今そうなんだけど、そんなに恥ずかしくもないのは、私の中身がすでに女の子の範疇に入らないからだろうか。
――いやいや、そんなことはきっとないはず……。
とにかく緊急で改善しないといけないな。販売前に気付いてよかった。
「ごめん、キアラン。ちょっと結び直してくれる?」
「……」
ちょっと気軽に頼んだら、キアランが呆れたように深い溜め息をついた。
いや、確かに王子に頼むことじゃないんだけど、ここにはメイドもスタッフもいないし。着た状態じゃ、自分ではうまくできない。
「だから、ごめんって。いくら私でも、通りすがりのダンス中の他人を呼び止めて頼むのは、さすがに気が引けるんだけど。護衛の業務でもないし」
「俺ならいいのか」
キアランが珍しく憮然と答える。
「そりゃ、王子様に頼む仕事じゃないけど」
「そうじゃなくて、そういうことを男に頼むなと言ってるんだ」
「ええ? マックスとかこういうのうまいけど」
「――マクシミリアンの立ち位置は遠慮すると、前にも言ったぞ。そもそもあいつも大概おかしいからな」
もう一回わざとらしい溜め息をつきながら、キアランは私の手を引いて、邪魔にならない端の方までさりげなく誘導していく。
「本来人目のある場所でやるようなことじゃないからな?」
ん~? ああ、なるほど。身支度とか、電車で化粧するようなものか? 確かにそれは美しくないかも。
本当にキアランは気が回るなあと、感心しながら付いていく。
もともと目立つ私たちが人目を避けようと思ったら、ガッツリ物陰にでも入らないといけない。広場から外れて木の陰に入ってから、立ち止まる。
「手間かけてごめんね。ササっとお願い」
邪魔にならないように反対側に髪をまとめて、むき出しの肩を差し出す。
「――お前は、全然成長してないな。本当に前世で大人だったのか?」
キアランが恒例のお説教タイムに突入か。ぶつぶつと言い聞かせながら、私に手を伸ばして、垂れ下がっている前後の肩ひもを取る。
「ユーカでも、他人か男友達か護衛の3択だったら、同じようにキアランに頼むと思うよ?」
何がこの世界の説教ポイントなのか、いまいちよく分からない。
この程度でもダメとなると、もうダンスだってダメなんじゃない? ほとんど抱き合ってるようなもんじゃん。どうも境が分からないなあ。
まあ私の場合、一周目でスキンシップの激しい兄貴3人いたから、そういうデリカシーに欠ける部分は否めないかもしれないけども。
お小言を聞き流しながら結んでもらっていると、キアランの指が作業の途中で、微かに首筋に触れた。
「ひゃあっ!!?」
反射的にビクリとして、素っ頓狂な声を上げてしまった。キアランが驚いてるけど、私も驚いたわ。
「――悪い……終わったぞ」
「あ、ありがとう」
キアランがぱっと手を放し、私もお礼を言う。
「……」
「……」
なんか、変な空気だ。
それにしてもなんだ、さっきの。すごいビックリした。
まだ感触が残ってる。ドレスの着付けを人にやってもらうのなんていつものことなのに、こんなの初めてだ。
そもそも男に着替えを手伝ってもらったこと自体ないもんなあ (マックス除く)。大きい手が、違和感なのかもしれない。
やっぱり男に頼むなというキアランの方が正しかったのかな?
その瞬間、鼓動が跳ねる。
微かに感じていた動悸が、別の動悸に上書きされた。
脳裏に浮かぶ、突然のビジョン。
前回闘技場で召喚を阻止した、ケルべロスもどき。
――たった今、この公園に召喚された。