? ? ?(指名手配犯)
武闘大会は、ちょうどいい釣り日和だ。
異世界人の転生者は、多いほどいい。
向こうの世界の要素を持つ彼らは、こちら側からゲートの拡大と固定をするのに最適の存在だ。生贄に捧げるほどに、強固なゲートが完成に近付く。
夏至は、1年のうちで最も異世界との繋がりが強くなる日。その時は、念入りな儀式と特別な生贄が必要になる。去年、召喚者を生贄に捧げたことで、ゴールへの距離は一層縮まった。
おそらくは、あと1~2回の夏至の儀式で、ゲートは完成するはずだ。
現在私が把握している転生者は、グラディス・ラングレーとトロイ・ランドールの2名。更に私が召喚したフジー・ユーカ。その他は全て血の供物とした。
残る3名には、簡易結界に加え、厳重な護衛が付いていて、不用意に近付くことはできない。
だから、今日の武闘大会は、転生者釣りだ。
黒い瘴気を、舞台の中央に狼煙のごとく立ち上げる細工は、うまくいっているようだ。
あの瘴気は、あまり出し過ぎると強烈な嫌悪感をこの世界の人間に呼び起こすが、あのレベルなら、異世界関係者か預言者でもなければ、判別できないだろう。
おそらくその嫌悪感というものは、生理的なものなのだろう。取って代わられる恐怖が、本能に訴えかけるような――。そもそも命に上下などないし、善悪もない。ただ、自然界の弱肉強食があるだけ。
ゲートが完全に開いて、向こうの住人たちの移住が始まれば、確かにこちらの人間にとって地獄の始まりとなるはずだ。
私の知ったことではないが。
この世界で生まれ変わり、新しい体を得てから、ずっとこのために動いてきた。長かったが、もう一息だ。
私は観客席の一角で、黒い瘴気に反応を見せる者がいないか、観察する。
魔術師も大勢いるから、ローブ姿でも不審には思われない。一般人と同じような装いができればいいのだが、今の体は性能こそ素晴らしいものの、この世界では異常に目立つらしい。隠密活動には全く不都合な肉体だが、こればかりは選べるものではないのだから仕方ない。会場では魔術も使えないから、幻視も効かない。
特にここ数年で、図らずも顔が売れてしまった。今、この会場で素顔を晒せば、間違いなく計画に支障を来たす。
場合によって使い分けることもあるが、結局魔術師に扮したローブ姿が一番無難だと、学習した。
指名手配書には、身長180~185と推定されていたため、今日は別の靴で10センチ程高さを変えている。ローブの色はもともと黒が主流だから、そのままでいい。
さて、瘴気に反応を見せる観客はいるだろうか。
いないならいないで、それでも構わない。
ゲートを開くもう一つの有効な手立ては、こちらの住人の血肉と、強い恐怖の感情。
向こうの世界と結びつける効果的な呼び水になる。
ゲートの隙間をこじ開けて潜り抜けるのは、困難が伴う。その際、強い恐怖の感情は、精神体に近い存在である向こうの住人によく馴染み、安定させて導くジャイロ効果のようなものをもたらす。
だから、数万の人間が集まるこういったイベントは、釣りと同時に、召喚の絶好の機会となる。数が多いほどに、恐怖の感情は膨れ上がる。
だからここでなら、普段はできない強大な存在の召喚ができる。数万人の強烈な恐怖は、向こうからの侵入者を引っ張り上げる強い引力になるのだ。
そして出入りの回数を増やすほどに、ゲートはより強固に固定されていくことになる。10数年かけて、密かに召喚を繰り返し続けてきた。
異世界人の召喚には、向こうの住人の生贄も伴う。わずかに黒い瘴気を纏わせた程度で、生身の人間をこの世界に引きずり上げることなどできない。
強力な個体を、人体に吸収させることで、魔物の召喚と同じ現象を起こすのだ。そしてその肉体は、人間と魔物、双方の要素を半々に持った最高の生贄――そして道標となる。
宿主の肉体は、生きていれば、本来の持ち主の精神に勝つことはできない。死んでいれば、ただの肉の塊だ。取り込むことはできない。
犠牲なしに、現地の生物の肉体をただ乗っ取ることができれば、遥かな昔に侵略は成功していたことだろう。奇跡でも起こらなければ、まず不可能なことだ。
ユーカの時の異世界人召喚は、大観衆の恐怖の力を利用するため、大掛かりなものにする必要があった。道ができた二度目なら、比較的簡単なはずだった。
ところが、預言者一団の活躍のせいか、直前に警備が厳しくなり、攪乱に余計な手間がかかったのは想定外だった。
ユーカを向こう側に与えてしまったことは、情報戦の上では痛手だ。あれの力は、これからも上がっていくはず。今後は更に注意が必要となる。
さて、決勝が終わるまでに、異世界の転生者が見つからなかったら、直ちに闘技場の結界を破壊し、召喚を始めよう。
召喚陣を潜り抜け、こちらに出た瞬間から、その個体にとって、もっともその存在を安定させ得る形状の魔物が生成される。物質的な肉体を持たなければ、精神体のみの自我は、この世界では長く保てない。
観衆を深い恐怖に陥れるような、より恐ろしい外見が望ましい。
注意深く観客を観察していると、やはり早速グラディス・ラングレーが動き出した。
隣のフジー・ユーカにも見えているはずだが、あの者の感覚は馴染み深い黒い瘴気を、違和感と捉えないようだ。異常事態に気付かず、そのまま観戦を続けている。
感知されないほど薄めた、糸のような瘴気の触手を伸ばし、念のためグラディスの追跡をする。
何をする気だ? まさか、結界を壊す装置を捜しているのか?
まもなく、トロイ・ランドールが途中で合流した。つまりは、奴に付いた護衛もどこかに潜んでいる。あまり下手には動けない。
彼らは警備には頼らず、単独で事態に当たることにしたようだ。参加者の弟が優勝候補だから、騒ぎは起こしたくないのだろう。だったら、少し様子を見てみるか。
あの部屋には、邪魔者が侵入した場合に備えて、洗脳の罠が仕掛けてある。
異世界人が持たされている移動式簡易結界は、転移や物理攻撃の防御に特化したせいで、精神系には穴がある。
もし入室したなら、その場で捕らえてやる。
数時間の監視を続けた結果、グラディスとトロイは、とうとう仕掛けのある部屋にたどり着いた。
中の仕掛けが発見される。
さあ、罠の出番だ。
だがここで、予想外の事態が起こった。
――何故だ?
グラディスは、部屋に入って、確かに罠にかかった。
なのに、全く作用しない。何か、簡易結界とは別の、強い力で護られているようだ。こちらの術が効かない。
今のままでは、捕らえることは不可能だろう。
ならば、別の罠でいこう。時間はかかるが、ゆっくりと絡め捕ってやればいい。すでに、その種だけは仕掛けられた。
残念だが、今日はここまで。引き上げることにしよう。
――もう少しだけ、自由の身を味わうがいい。