バトン
なんか、壁に金庫の中身くらいの穴が開いてる。
っていうか、実際、本質的に金庫と同一のものなんだろう。カッサンドラからもらった守護石を鍵として開く金庫。
ザカライアの時には見つけられなかったわけだ。
果たして、魔術で別の空間に厳重に保管され、封印されていた金庫の中身は?
一冊の薄い本だった。見た感じ古ぼけた感じもないから、この金庫は時間の流れがおかしな空間なのかもしれない。カッサンドラのいた空間のように。
「なんだそれは?」
「探し物が、見つかったみたい」
アイザックに答え、手に取ってみた。
表紙には何も書いてない。めくってみて、最初に目に飛び込んできた文字にはっと息を呑んだ。
「何だ、これは?」
横からのぞき込むアイザックには理解できなかった。当然だ。日本語だから。
「2代目の大預言者、デメトリアの手記だね。最初の私の国の文字――『日本語』で書いてある」
「大預言者というのは、皆前世がそうなのか?」
「――らしいよ。ついでに言うと、約300年ごとに、五大公爵家の血統から出る流れになってる」
その説明に、アイザックは怪訝な顔をする。
「ザカライアは違うはずだ」
そう。ザカライアはスラム出身の孤児。貴族とは縁もゆかりもない出自だ。
「ザカライアの存在は、イレギュラーだったらしいよ」
手記に速読で目を通して、また金庫的空間に本を戻した。すると、何もなかったかのように、元通りの壁になる。
「ザカライア?」
せっかく見つけた手掛かりをまた隠した私を、アイザックが不思議そうに見る。
「中身は記憶したから、後で大体のまとめた内容を翻訳して渡すよ。これは、外には出さない方がいいと思う」
「理由は?」
「300年前、デメトリアはドラゴンを封印した、って伝えられてるよね」
「そうだな」
「実際は、ドラゴンはデメトリアの協力者だった。人間に力を貸し、今回と同じような異変を食い止める手助けをしてくれていた」
「まったく正反対じゃないか」
「うん。この世界では、向こうの勢力の妨害で、歴史が正しく伝わらないらしい。黒のローブ男みたいな内通者もどこにいるか分からないし。だからデメトリアは、後世に残すはずの手記を、別の空間に厳重に隠し続けていたんだと思う。300年後、私がここに来るまで」
多分そのために、カッサンドラの力を借りて、強力な封印をかけていたのだろう。
記憶は残っていないけれど、300年前の私からのバトンは確かに受け取った。だから、失われたり変質したりする前に、本来の姿のままで保管しておきたい。
妨害の心配がなくなる、その日が来るまで。
「アイザック。この人生でやることが分かった」
不安の中にも、どこか吹っ切れた気分がある。
「私の代で、全部終わらせる」
自分に言い聞かせるように、宣言した。
手記に書いてあったのは、デメトリアがあと一歩で、ゲートの完全封印に失敗してしまった経緯。
この世界には、もともと4か所のゲートの芽があった。数百年ごとに、それが芽吹くように活性化し、世界が繋がりかける度に、各地の執行者が何とか食い止めてきた。
そして長い年月をかけ、カッサンドラの協力もあって、すでに3ヶ所は完全に封鎖された状態になったという。
残り1カ所が、この国。その封印に、デメトリアは失敗した。
最後の希望でもある1カ所に、異世界の勢力の猛攻が集中し、ゲートの活性化が収まるまでの数年を何とか防ぎ続けるので精いっぱいだったと。
その時と同じことが、今回は更なる規模と周到さで起ころうとしている。デメトリアは、今度こそ完全封印を成功させるための足掛かりを残してくれていた。
「もう、そう先のことじゃない。私が学園にいる間には、事が起こる。エイダとも情報を共有して、その時に備えよう」
そして私の終わらない転生の人生にも、完全決着を。
「――ザカライア……」
「ザカライアじゃないよ」
私の名前を呼んだアイザックに、訂正をする。
「今の私は、グラディスだから」
「ああ、そうだな……グラディス、か……。確かに今のお前は、昔とは同じようで、違うな」
「ふふふ、あんたが言うなら間違いないね。変わる努力をした甲斐がある」
少し言葉を選ぶように黙ってから、アイザックは訊いてきた。
「今は、幸せか?」
前の私が、その表面的な部分から見えるほどには幸せでなかったことを知っている、旧友の問い。あの頃の私は、諦めた人生を、ただ面白おかしく生きるだけだったから。
私は迷いなく答えた。
「そうだね……抱えるものも秘密も、前より増えた気はするけど――間違いなく幸せだよ」
「そうか……。ならいい」
旧友の気遣いに感謝しながら、何となく拭えないでいた疑問を口にする。
「本当に、ザカライアの人生は、どうしてあったんだろう」
別に自虐するわけじゃないけど、あるはずのないワンクッションに、純粋に疑問は感じる。
「どの大預言者も使命を持って、それを全うしてたのに、ザカライアだけが、好きなことだけやって、生きて死んでった。どうして今の私の前に、ザカライアがいたんだろう」
「普通の人間は、そういうものだろう。大預言者だから意味がないといけないのか?」
「――そうだね。考えてもしょうがないか」
アイザックの率直な指摘に、素直に頷いた。
それからいくらかの打ち合わせをし、一通りまとめて、解散となる。
ひと足先に図書館を出て、帰るために通路を歩くと、後ろから呼び止める声があった。
「まあ、グラディス!」
噂をすれば影とでも言うべきか――振り返ると、さっきアイザックとの話題に出たばかりの、アレクシス王妃がいた。
私の教え子で、キアランの母親。黒髪に、キアランと同じ紫の瞳が印象的な迫力系美人。王妃に収まるまではエインズワース領で、バリバリ魔物狩りに励んでいた超武闘派だ。
今でも休暇にはキアランを伴って実家に戻り、一族挙げて未来の王を鍛え上げているらしい。キアランが騎士になるほど強いのは、100パーこの母親の影響だ。
それを許して大らかに見守るエリアスの懐の深さも、さすがキアランの父親と言える。
私が、ご愛用のドレスやスポーツウエアのデザイナーだったことを知ってから、機会があればお声がかかるようになった。まして今は息子のクラスメイトだし、むしろ素通りの方が不自然なくらいだ。
なんだかんだでお茶に誘われ、引っ張るように連れて行かれる。昔から強引なところは変わらないけど、王妃になってから輪がかかったんじゃないか?
まあ、彼女の用事は大体、商品についての意見交換。着用感とかデザインとかの率直な感想を、きっぱりはっきり言ってくれる貴重なモニター的上客だから、お誘いにはできるだけ応じることにしている。
お買い上げいただいた商品を広げて、いつもの展開になるのかと思ったら、今日は本当にお茶と世間話だけだった。ただ、その会話の内容が、一点に絞られていた。
アレクシスは身を乗り出して、楽しそうにグイグイ訊いてくる。
「で、うちの息子とはどうなってるの? もうキスくらいした?」
――おおう、そっちが目的でしたか。




