同郷の転生者
トロイは、魔術狂いだった。
朝から晩まで、とにかく魔術の勉強と訓練に没頭している。ルーファス少年はそんな様子を、少し前の自分に重ね合わせて心配していた。
先生なら何とかしてくれるだろうかと頼られ、週に一度の参加日に、学園まで強引に連れてきたのだ。
会ってみて、確かにその不安定さがうかがえた。6歳の子供が、ひたすら魔術だけに打ち込んでいる。学園の高レベルな魔術の講義は食い入るように聞き入り、けれどそれ以外は、ちょっとした会話すら厭わし気に拒絶する空気。
講義中、私は机の後ろからトロイを覗き込み、そして絶句する。
教科書の書き込み、日本語!!?
隙を見て、二人だけになった瞬間に聞いてみた。
『君は、日本人だったの?』
この世界で初めて使った日本語。それを聞いた彼の驚愕と歓喜の反応は、ちょっと言葉では表現できないほどだった。
私のように、簡単に適応できる人間ばかりじゃないんだね。この世界に転生して、よっぽど心細かったんだろう。誰にも頼れないまま、元の世界に戻れる一縷の可能性を求めて、魔法にすがるしかなかった少年。
前の世界でも12歳という子供のまま、車の事故で記憶が途切れたそうだ。一緒にいた家族を思って心を痛めている。
今の家族にも相談できず、ただあり得るはずのない現状に戸惑うことしかできない。精神自体もまだ子供なんだ。
初めて自分と同じ立場の、頼れる大人に出会えたトロイは、すっかり打ち解けて心を開いてくれた。
私はこの子を支えて、この世界で生きて行けるようにしてあげないと。
そう決意し、毎週の授業は私も担当することになったんだけど、想定外の事態が起こり、それどころじゃなくなった。
……コーネリアス国王が、死んだんだ。
それからの3か月ほど、新しい体制を整えるために、学園を休まざるを得なくなった。
忘れがちだけど、本業は政治の方だからね。
新国王に立つまだ若いエリアスの足元を盤石にするため、アイザックと二人で奔走してた。トロイとはかろうじて手紙のやり取りができるだけで、会う機会は持てなかった。
そんなトロイから、すごい文献を見つけたから一緒に調べてほしいと、文面からでもはしゃぎっぷりが読み取れる手紙が届いたときは、少し微笑ましくなった。
あの子も頑張ってるようだ。
私ももうひと頑張りだ。来週には学園で会おうと、約束を手紙にしたためた。
そうやって怒涛の3か月を過ごし、やっと一段落が付いた。
明日ようやく学園に顔を出せる。
私はこの夜、アイザックを誘って下町の安酒場で飲んでいた。
一番楽しかった学園時代、街に繰り出して三人で飲んでいた思い出の店だ。
忙しいアイザックが、文句も言わず付き合ってくれた。
今思えば、なんでこんなセンチメンタルな追悼会を開こうと思ったのだろう。私の予感が、働いたのかもしれない。
いや、逆か。予言の力は、この夜は働かなかった。きっと運命だったんだろう。
「いい奴ほど早く死ぬもんだよね」
私はしみじみと呟く。コーネリアスの死因は脳梗塞。事故や暗殺でもない限り、私にも回避はできなかった。
「老いるのはまだ早い。エリアスを一人前にするまでは、引退はさせんぞ」
アイザックがやっぱり真面目に答える。
「ふふふ、憎まれっ子は長生きするんだよ」
「じゃあ、100まで生きるな」
「そのつもり。今度生まれるあんたの孫だって、いずれ学園でしごいてあげるよ」
「あまり馬鹿なことばかり教えるなよ。うちの娘も、悪いことは大体お前から教わってる」
「あんたもでしょ」
幼馴染との、遠慮ないやり取り。そこでアイザックがふと思い出す。
「エリアスとアレクシスは、生まれる子が王子だったらコーネリアスと名付けるつもりらしい」
「それはよくないね。やめさせよう」
私はきっぱりと否定する。
「たとえ生まれ変わりだったとしても、新しいまっさらな人生であるべきだよ。前の他人の人生を、勝手に背負わせちゃダメ」
私の言葉は、アイザックには意外なようだった。
「お前は転生を信じていたか?」
「はは。私、転生者だからね。前の人生の記憶あるよ」
「それは初耳だ」
「初めて言ったからね。あんたが全く驚かないのが、驚きだけど」
「今更だ。お前なら何でもありだろう」
酒を酌み交わしながらの、淡々とした会話。結局この人生で、一番長く一緒にいた奴だった。
これが、アイザックとの最後の会話になる。
アイザックと別れて、さらに街の奥へと歩いていく。もう少し、一人で飲みたい気分だ。
雪が降ってきた。いつもはまだにぎやかなはずの通りから、あっという間に人影が消えていく。
酒で火照った体には丁度いい。
雪が積もっていくのを、散歩がてら眺めていた。
「ああ、そういえば、予言を伝え忘れてたな」
感傷的になり過ぎたのか、もう一つの本題を忘れていた。
まだはっきりしないけど、最近なんかよくない兆候が出てたんだよね。
多分これから、魔物が増えて、凶悪化していく流れになりそうなんだけど……。
何かが動き出しているような、そんな感じがする。
「まあ、今日明日のことじゃないし、次でいいか」
遠くから馬車の音が聞こえた。
いつもは必ずどこかに張り付いてるはずの護衛の気配がしない。珍しくはぐれたらしい。
――そう。きっと、そういう運命だった。
雪が積もっているのにこんなに飛ばして、危ないな。なんて他人事みたいに思ってた。
――これは二周目、『ザカライア』が終わる夜のできごと。