ロイヤルボックス
「貴族の貴賓席より、ずっと近いね」
過去の観戦の中で、一番いい席だったらしいノアが、嬉しそうに感想を漏らした。
巨大なすり鉢状の観戦席の、舞台正面、最も臨場感が体感できる一角。その後列の席に、ノアとユーカと並んで座る。
国王を始めとする国の重鎮が前列を占領するから、王子のご学友程度は、残念ながら後ろの方だ。
最前列のキアランとは少し離れてるけど、観戦するのに最高の場所には違いない。
「わあ~、観客席からはこう見えるんですねえ! 私、あそこに現れたんですか?」
ユーカが興奮気味に、闘技場の中央を見渡した。
そう、この闘技場は、ユーカが2年前に召喚された場所。精神的に大丈夫か事前に確認を取っておいたけど、この様子なら全然大丈夫そうだ。無理してる感じもないし、すっかり吹っ切れて、むしろ完全に楽しんでる。
「ウインブルドンのロイヤルボックスにいる気分です!」
さすが元チアリーダー。スポーツ観戦もお好きなようでよかった。ここで行われるのは、スポーツというには大分過激すぎるけど。
厳選された将来有望な若手騎士、64名によるトーナメント戦。
治癒魔法という便利なものがあるため、1日で6戦全勝しないと優勝できない鬼スケジュールになっている。
全63試合をこなすため、3回戦までは、4面使って4試合ずつ進めていく。
見る方としてはサクサク進んでくれるから楽しいけど、参加選手は相当ハード。怪我だけは治っても、気力体力の方は本人次第。
だから例年なら、気力体力経験の充実した20代の現役騎士団員の方が、有利とは言われている。けど、今回は公爵家のサラブレッド学園生が大量参加で、下馬評的にも面白いことになっている。
ザカライア時代、本来お祭り騒ぎイベントに関しては、参加義務もないのに、毎年国王の隣の特等席で観戦を楽しんできた。その私にして、こんなに面白いトーナメントは初めてだ。
ワクワクしながら闘技場に視線を向け、そこにあるはずのないものの存在に、目を凝らす。
「――」
おいおい、ちょっと勘弁して~~~。内心で呻いた。
この闘技場は、すでに二人の日本人が召喚された場所。そのため、厳重な結界が張られているはずなのに、うっすらと染み出る黒い瘴気が見えた。
この場に預言者はいないし、気付いてるのは私だけか。
多分ユーカには見えてるんだろうけど、むしろ馴染み深い気配だから、あの程度だと逆に違和感も感じないんだろう。
ダメで元々のつもりで、座り直すふりをして、隣のユーカの腕に軽く触れてみる。
幸か不幸か、予言は見事に降りてきてしまった。
……ナニ、アレ~?
決勝の直前、あの闘技場の中央から、アリの時に匹敵する巨大怪獣が出現するビジョン。なんか見るからに凶悪な、巨大ケルベロスみたいなやつ。
――ああ、そうだ。あいつは、こういうイベントごとが大好きな派手好き野郎だった。人が集まる場所ほど、騒ぎを起こしたがる、死神。
「グラディス、どうしたの?」
私の険しい表情に気付いたユーカに訊かれ、軽く溜め息をついた。
あ~~~っ、楽しみにしてたのに~~~!
「ちょっと頭痛がしてきて。医務室で診てもらってくるね」
「えっ、大丈夫ですか!?」
「薬を飲めば落ち着くと思うから、戻るのが少し遅れても気にしないでね」
「分かりました」
「ノアは、ユーカのことよろしくね」
「――分かった」
何かもの言いたげなノアには、強引に後を頼んで、そっと席を立った。
開会式も終わって、1回戦が始まる直前、人混みに逆らって、通路へと出て行く。
いつもなら頼りになる協力者が誰かしらいるんだけど、今日はアイザックもエイダもルーファスもいない。社交時期でもないから、トリスタンとかの主戦力はみんな自分の領地。私一人で動くしかない。
戦闘とかだったらどうしようもないけど、今必要なのは、単純に人手。私一人でもなんとかなる。
今、この闘技場で起こっている事態を、整理してみよう。
闘技場全体に厳重な結界が張ってあるため、本来黒い瘴気の漏れ出る穴は凍結されている状態のはずだ。それにもかかわらず、ごくわずかな隙間が空いている。
それは闘技場のどこかに、結界をじわじわと蝕む術式が仕掛けられているから。
そもそもこの場所は、二度に亘る異世界人召喚で大穴を開けられ、向こうの世界との結び付きが強くなっているのかもしれない。結界が張ってあるからと、安心はできない場所にもはやなってるなら、もう国家行事とかで使わないで、完全封印した方がいいんじゃないか?
すでに最初の結界も、二人目の日本人召喚の際に、魔物に破壊されている。
張り直されたばかりの結界が、今度は人知れず緩慢に削られつつある。
一体いつ仕掛けたのかは知らないけれど、穴の大きさが一定のラインを超えれば、ダムのように一気に決壊し、ちょうど決勝の直前に、ケルベロス大召喚の未来が待っている。ある意味ちょっとした時限爆弾だ。
つまりその未来を阻むためには、結界を蝕む仕掛けを、ぶっ潰せばいいわけだ。腕力も魔力もいらない。
そして私は、自分がそれを成功させるビジョンを、薄っすらとだけど見た。
逆に、匿名で警備に情報を流した場合の未来も見えた。兵が動いた時点で、仕掛けが急激に作動し、直ちに召喚がなされ、会場にパニックが巻き起こる未来が。――だから、私が動くしかない。
ただ、残念ながら場所がはっきり分からなかった。仕掛けを探すのはローラー作戦になる。
手間はかかるけど、私一人で動く方が、確実な結果に繋がるなら仕方ない。
ドラゴン謹製の守護石もあるし、警備兵はそこら中にいるから、誘拐とか襲撃の心配はないはず。むしろあまりうろうろして、私が不審者扱いされる方が心配なくらいなんだけど。無闇に目立つ質だからなあ。
とにかくまずは捜索だ。みんなの戦いを楽しみにしてたのに、ホントに腹が立つ。
でもあれだけ頑張ってきたマックスの晴れ舞台を、台無しにするわけにはいかないからね。
予言から得たイメージでは、北側の部屋のどこかなのは確かだ。緩やかにカーブを描く1階の大通路を、北に向かって足早に歩く。
コロシアム状の闘技場は、3階から地下1階までの建築で、外周がサークル上に囲むような施設になっている。
四分の一に絞られたと言っても、範囲は相当に広いし、あまりゆっくりはしていられない。
広さも問題だけど、それ以上に厄介なのが、立ち入り禁止区域にどう入るかだ。
コロシアム内なら比較的自由に出入りできても、施設内の方は一般人は入れない場所の方が多い。確か北側は、倉庫とか、設備関係の部屋がまとまってたか。関係者以外の出入りは多くないはず。
今日は地位のある同伴者もいないし、一令嬢の私一人だと、ちょっと厳しい。
思案する私の前方に、ふとある人物が見えた。
彼は、私に気が付くなり、満面の笑顔を浮かべて弾むような足取りで歩み寄ってくる。
うわ~~~~、なんでこんな時に。思わず顔をしかめる。
空気も読まず、私の前でニコニコと立ち止まったのは、元日本人のナンパ師――いや、魔術師のトロイだった。




