武闘大会前日の夜
いつもとは違う空気感の中で一日の授業が終わり、マックスとは会わないまま、放課後を迎えた。私はさっさと職場へ向かうのが、入学してからの習慣になっている。
今日は、『インパクト』での打ち合わせ。仕事自体は順調に終わったけど、その後のお喋りの話題は、やっぱり明日の武闘大会でもちきりとなった。
「新聞の下馬評だと、騎士団よりも学園勢の方が、活躍しそうな感じですよね」
「そりゃあ、次期公爵が4人もいるものね。やっぱりガイ・ハンターとアーネスト・イングラムの一騎打ちかしらね」
「私は今年デビューのラングレー家とオルホフ家が楽しみです。特に、オーナーの弟さんなら、絶対かっこいいですよね~」
スタッフは、大体そんな感じで盛り上がってる。店内の様子を見ても、お客さんの世間話は同様だった。
世間一般の評価は、今のところまだ見てくれに集中している。特に女性陣は。まだ実績がないんだからしょうがないし、そっちの方が、むしろ気が楽だ。
マックスも、いっそこっちに目を向けて、もっと気楽にやればいいのになあと、思わないでもない。
一仕事終え、なんとか晩餐の時間ギリギリに帰宅した。叔父様と二人での食事。マックスがそれに同席することは、あまりない。
夜遅くまで、厳しい鍛錬を続けてきているから。ここ最近は特にそうだ。
治癒魔法のある世界というのは、ちょっと根のつめ方が半端じゃない。骨折だって、かすり傷扱いなんだから、尋常でなく強くなってくのも納得というもの。
ちゃんと私監修の訓練メニューで、体の負担は抑えてるけど、今心配なのはメンタルの方なんだよなあ。
限界まで見守ってたけど、大会はいよいよ明日。そろそろフォローが必要だろう。
今日も訓練内容を抑えることなく、いつも通りの時間に帰ってきたマックス。
落ち着いた頃合いを見計らって、最後の激励に向かう。
「マックス、ちょっといい?」
「――ああ……」
部屋の中のマックスが、扉を開けて私を迎え入れる。
いつもと違って、殺気立つほどに、すでに神経が刃物のように研ぎ澄まされていた。だからこそ、会いに来た。
「ふふふ。ルーファス・アヴァロンが優勝したのが、16歳と10ヶ月。明日勝てば、マックスは最年少記録を大幅に更新だね」
あえて軽い口調でからかうように言う私に、マックスは険しい顔つきで答える。
「当然狙うからな」
「――そうじゃないよ」
マックスを正面から抱きしめる。珍しく戸惑って身を引きかけてたけど、逃がさない。
「――グラディス……?」
「力が入り過ぎ。これじゃ、勝てるものも勝てない」
私の言葉に、はっと息を呑む気配がした。私の背中に、強張った手が回される。微かに震えているのが分かる。張り詰めるほどの緊張感で。
あのトリスタンの後継者として、初めて世に出る。それはどれほどのプレッシャーなんだろう。
一般人のトリスタンに対する評価は、あまり高くない。
けれど、騎士級の貴族なら、その実力は誰でも知っている。傍にいるだけで、そのあまりに隔絶した能力を肌で感じるほどに。
ものぐさなトリスタンがあらゆる大会をスルーすることが黙認されたのも、実質は健全な大会運営のためだ。常軌を逸した怪物が一人混ざっただけで、フェアなトーナメントでなくなってしまうから。
そのトリスタン・ラングレーの跡継ぎのマクシミリアン・ラングレー。顔立ちや風貌だけは、瓜二つ。
で、肝心の実力は?
――マックスは、そういう注目の仕方をされている。
きっと、分かっている者ほど、比べてしまうだろう。あの化け物に、どれだけ迫れるか。それともただ、一般人に顔だけで騒がれる凡人か。
気にするななんて、とても言えない。マックスは私の代わりに、それを一身に背負ってくれているのだ。まだ15歳の身で。
大会が近付くほどに、がむしゃらに無茶な訓練を重ねることで、何とか心の平静を保っていた。それほどに自分を追い込んでいたし、切羽詰まっていた。
「そんなに怖がらなくていい。マックスは、誰にも侮られたりしないだけの経験も力も、ちゃんと積み重ねてきている。明日は、ただそれをみんなに――私に、見せつけて」
「……」
マックスは言葉の代わりに、私を抱きしめる腕に力をこめた。私の肩口に顔を埋めて、心の中の嵐と向き合っている。
私は優しく抱きしめ返して、落ち着くのを静かに待った。
トリスタンのような、預言者能力まで持った天才と比べる方がどうかしている。間違いなく歴史上最強の騎士だ。
天才ではなくとも、血の繋がった父親、ランスロットによく似た、力も魔力も技も思考も、バランスが取れた優れた騎士。だけどマックスの強さは、血筋と才能だけのものじゃない。
あの常識も限度も知らない化け物の元で、物心つく前から鍛えられてきた。大預言者でなかったら……少なくとも魔力さえ持っていたなら、私が担っていたはずの全ての義務を果たすために。
マックスの努力と研鑽を、私は世間に知らしめてやりたい。
だからこそ、来年もチャンスはあるなんて思わず、狙える記録なら狙ってほしいとも思う。プレッシャーを押し返す自信にするためにも。
「史上最年少で優勝――なかなかいい響きだね。若手程度の大会なんて、いつも通りにやれば、私の自慢の弟は誰にも負けないよ」
「――負けないってとこは賛成だけど、弟って部分には、訂正が欲しいとこだな」
ゆっくりと時間をかけて、いつもの調子のマックスに戻ったことが分かった。同じ優勝を狙うにしても、心の持ちようは全然違う。強迫観念ではなく、絶対の自負。
ほっとしながら軽口に応じる。
「残念ながら、そこは私にも保証できないところだけどね」
「じゃあ、優勝したらなんかご褒美くれ。絶対勝てる気がする」
「ふふふ。エッチなことでなければ」
「――言わねーよ、そんなこと!」
「間があったけど?」
「……」
しばらく無言で考えていたマックスは、顔を上げて、至近距離で私の顔を見つめる。
「明日は、誕生日に贈られたドレスを着てくれ。癪だから、それを燃料に絶対勝つ。そしたら、俺が選んだドレスをお前に贈りたい」
「私がもらうの?」
「俺がやる気になるんだから、いいんだよ」
自分がドレスをプレゼントしても、突き返されるだろうことは、承知していたらしい。キアランだけじゃなくて、叔父様にも対抗心持ってるからなあ。育ての親に張り合ってどうするんだってとこだけど。
「そんなことでいいなら」
「それから……」
「まだあるの? ちょっと欲張りなんじゃない?」
冗談めかして軽く睨み付ける。マックスは真っ直ぐ目を逸らさずに言った。
「明日は、俺だけを応援してくれ」
「当たり前でしょ?」
迷いもせず、即答した。何人友達が出場してようとも、私が応援するのはマックスだけだ。勝つのは一人。みんな頑張れなんておためごかしを、言うはずがない。
「それは当然すぎて、おねだりにもならないよ」
「――ははは。それで、いいんだ。最高のご褒美だ」
そう言って笑うマックスからは、もう追い詰められたような切迫感は消えていた。