弁慶の泣き所
「キアラン、止まって!!!」
危機感全開で、なりふり構わず叫んだ。
私のただならぬ金切り声に、キアランが緩やかに制動をかけ、停止する。
「どうした?」
「……い、いる……、アレの集団がっ……」
「アレ?」
怪訝そうに、キアランは進むはずだった前方に視線を戻した。
この世で唯一と言ってもいい、私の絶対的な泣き所。それはもう、青いネコ型ロボにおけるネズミに等しいレベルの鬼門が、この先にある。
それはさながら、アレのトンネル。普段から無意識レベルで避けているけど、キアランにコースを任せていたせいで、群棲地帯に近付いてしまった!
目には見えないけど、今、私たちの行く手には、無数の危険生物が散らばっているのだ。私には気配で分かる。
震え上がらんばかりの私の恐怖の様相に、キアランもああ、と思い出す。
「アレって、毛m」
「いやああああああっ!!!」
その名を聞くのもおぞましい。悲鳴で遮る私に、キアランは困った顔をする。
「そこを通り抜ければ、運動場まですぐなんだが……」
「無理無理無理無理!! 絶対無理!!」
目前に広がる戦慄の気配に、すでに思考力も硬直している。他に言葉が出ない。
「仕方ないな……」
キアランは溜め息交じりに呟いて、私をしっかりと抱え直した。
「5秒間だけ、目を瞑っていろ」
「……え?」
キアランの行動は、基本的に常に堅実。
それはつまり、その場の感情より、より良い結果を優先する現実家ということ。私の特に実害もないだろう一時の嫌悪感よりも、迅速な救助と、怪我の治療に重きを置くのが、当然の判断なわけで。
――そう、当然の判断として、目の前の最短コースに躊躇なく突入した。
「いやあああああああああああああああっっっっっっ!!!!!」
360度から、身の毛がよだつ気配に包まれる。限界を超えた怖気に、一瞬で全身に鳥肌が立った。
正直、その直後からの記憶が曖昧だ。いっそ気絶できればよかったのに。
なんか、すごいスピードで移動したり、高いとこから飛び降りてたりしてた気がするけど、私はそれどころじゃない。
「着いたぞ、グラディス」
しばらくしてかけられたキアランの言葉に、ぼんやりと現実に引き戻される。
運動場に戻ったようだ。順番待ちの騎士クラスの生徒たちがたくさんいる。
しばらく夢の世界にでも遠出してたようだ。でも、まだ体の硬直は解けない。頭の中は真っ白だし、あまりの気分の悪さに吐き気すらする。
アレの大群にあんなに囲まれた経験なんて、どの人生でも初めてだ。
「グラディス! 大丈夫か!?」
マックスの声が聞こえた。騎士クラス担当のルーファスも近寄ってきたらしい。
「すぐに医務室へ……どうした? 様子がおかしいが」
私の尋常でない様子に、ルーファスの声の調子が微かに変わる。
「それは……」
キアランは答えず、ただ来た道を振り返った。鬱蒼と茂る山林を。
「「ああ……」」
その視線を追い、二人は納得して同時に頷く。マックスは不審げにルーファスを凝視するけど、ルーファスはスルー。
今、私の弱点がアレだと知っている3人。
そうだ、知っているのに、キアランはとんでもないことをやらかしてくれやがった。いくら迅速な救助のためだからって、青いネコ型ロボをネズミの巣に放り込むような非人道的な真似が、許されていいものだろうか!?
逆恨み!? やっていいことと悪いことがあるんデスヨ!!!
目いっぱいの文句を言い立ててやりたいのに、喉まで凍り付いて、言葉も出ない。
こんなことがバレたら、今後のあらゆるイベントに差し支える。絶対に隠し通さなければならない弱点。少なくとも私が対戦相手の弱点を知ったら、確実に突く。それがこの学園だ。
幸い3人とも表沙汰にしない方向で対応してくれてはいるけど、肝心の私はまだショック状態から抜け出せていなかった。
ああ、この憤りをぶつけたいのに!! ぶるぶると震えながら、涙目でキアランを睨み付ける。
「キ、キアランの、ばかぁっ……」
何とかそれだけ、声を振り絞った。
「――す、すまない……」
キアランが目を逸らして謝った。謝る時はこっちを向かんかあ!!
「まったく、お前は、何てことしてくれてんだっ!!」
マックスが私の代わりに怒ってくれて、キアランの腕から私をひったくる。
そうだ、言ってやれ、マックス!! 最大限のクレームを!!
「今ので何人のヤローの心臓撃ち抜いたと思ってる!? せっかく鋼の女のイメージ付いてたのに、とんでもない真似してくれたな!!」
怒るとこ、そこじゃね~~~!! なにアサッテな抗議してやがる!! そんなの知るかあっ!!
「――す、すまない……」
キアランも、なに謝ってんだ!? だから、問題はそこじゃね~し!! お前ら、私のイメージ戦略の参謀ポジション気取りか!?
ああ、まだ脳内が錯乱してる。なんとか、抜け出すきっかけが……っ! ルーファスは何やってんだ、責任者だろ!?
「グラディスさん!」
そんな時、私を呼ぶ声が。
はっとして見ると、すっかりダメージから回復した姿のベルタが駆け寄ってきた。その後ろにはヴァイオラもいる。
「グラディスさん、私のために、ありがとう、ございましたっ! この通り、もうすっかり、大丈夫です。グラディスさんも、早く医務室に……」
話すことが苦手なベルタが、必死で長文を言葉にする。
「まったく、男どもはダメねえ」
ヴァイオラが苦笑しながら、マックスから私をするっと奪い取った。
「え……?」
ぽかんとする3人を放って、ベルタとともに医務室にUターン。
やっぱり頼りになるのは女友達だな!
私を運びながら、ヴァイオラがくすくすと笑う。
「不特定多数の狼がいるとこで、あんな顔しちゃダメよ、グラディス」
さもおかしそうに、忠告をされた。
友人の忠告ならぜひ聞きたいところだけども、頭が回らなくて、どの顔のことか見当がつかないから、結局参考にはならなかった。
医務室に連れて行ってもらって、治癒魔法のエキスパートの保健医に、怪我を完璧に治してもらう。
でも、気分だけは魔法では治らず、お昼まで寝込むことになった。
私がベッドで休んでる間、ユーカがぶっちぎりのゴボウ抜きで、先頭切って戻ってきたらしい。ホントに山の神だったね。持久走は負けるかも。
そして後日、グラディス・ラングレーに良からぬ手出しをしたのではないかという噂に、品行方正なキアラン王子はしばらく煩わされることになった。
でも、申し訳ないとは思わん!!