遭難救助
「いたあ~っ」
ベルタを抱えた状態で、窪地に横たわる。段差は1メートルくらいだから、落ち方に気を付ければ、そんなにひどいことにはならない。
ただ、ベルタをかばいながら、無理な態勢で着地したせいで、左の手首と足首をかなり痛めていた。
歩くのはちょっと無理っぽい。
まったくこの私に怪我を負わせるとは、ベルタのドジはある意味神懸ってるな。まあ、私の回避能力を上回るほどの粗忽者に、遠くからうっかり声をかけちゃった私のミスだ。
「ベルタ? 大丈夫?」
返事がない。意識を失っていた。けど、特に深刻な怪我とかはなさそうだ。
どっちみち動けないし、ここで助けが来るのを大人しく待ってよう。むしろ意識ないほうが、不安から解放されてこの子にはラッキーなくらいだ。
放送で1分ごとに告げられる時報によると、まだ2限の半ばくらいだ。体育の時間が終わるまで、まだ2時間以上ある。
それまでここで無駄に待ってるのも退屈だなあ。
騎士クラスが展開してるのって、どのへんだっけ? たしかコース取り自由で、山頂まで行って戻るタイムトライアルをやってたはず。こっちの方まで足延ばしてくれると助かるんだけどなあ。
ダメ元で、適当な木の枝を拾って、木の根をカンカン叩いてみた。音が結構反響して、なんか楽しくなってくる。リズムに合わせて、退屈しのぎに歌って暇潰しだ。
一周目のように空手とカラオケで鍛えた喉はないけど、生れ持った美声がある。なかなかいい調子。
ザカライア時代には控えていた前世の歌も、今はユーカに教わったという言い訳ができるから、平気で歌えるのがありがたい。
遭難したとはいえ、高レベルの騎士の索敵能力なら確実に発見してくれるから、実にのんきなものだね。今日はルーファスもいるし、見つけられない心配はまずない。体力温存より暇つぶしが重要課題とは。
何曲か立て続けに歌ったところで、歌声に惹かれて誰か来る気配がした。
おお、ラッキーだ。歌はやめて、木をガンガン叩くことに専念する。
「どうしたの、グラディス?」
ヴァイオラが、窪地にハマってる私たちを上から見下ろしてきた。
おお、予定より大分早く助けが来てくれたぞ。問われて、ほっと肩をすくめる。
「見ての通り」
「相変わらず面倒見がいいわね」
状況で全てを察して、ヴァイオラは呆れたように笑った。
「え……あ、あれ? グラディスさん? 私、どうして……」
ちょうどいい。大きい音を立てたのと体勢を変えたせいか、ベルタが目を覚ました。
「とりあえず、ベルタを連れて戻ってくれる?」
「なんなら二人まとめて運べるけど?」
「手首痛めてて、しがみつけそうにないかな。別に急ぎじゃないし、少しくらいここで待てるから。あちこち怪我してるみたいだから、そっと運んであげて」
「分かったわ。途中で誰かに会ったら、グラディスのこと伝えるわね」
「お願い」
二人でさっさと話しを進める横で、ベルタが珍しいくらい表情を崩した。
「グラディスさん、ごめんなさい……私のせいで……」
「ふふふ、悪いと思うなら、これからも頑張ってガイを追い払ってちょうだい。それでチャラね」
「は、はいっ」
とりあえず窪地から出してもらってから、木の幹に寄りかかる。ベルタを慎重に抱えて去っていくヴァイオラを見送った。
ヴァイオラがレースのタイムより、こっちの確認を優先してくれてよかった。
早ければ、復路ですれ違う次の誰かに連絡が伝わるかもだし、遅くとも運動場まで戻れば、ルーファスなり他の生徒なりいるだろう。
一人残され、座ったまま、痛む足をさする。歩けるようだったら、自力でコースに戻って、体育の続きをしたんだけどなあ。私が迷子になることはないし。
騎士なら大抵治癒魔法も使えるけど、授業に関わらない勝手な魔法使用は禁止されてる。だからヴァイオラも、治療ができなかった。緊急を要さないこの程度の怪我だと、医務室まで我慢だ。
出血がひどい状態とか、きちんと治療できるまで時間がかかるとかでもないから、応急処置も必要ない。魔法がある世界って便利だなあ。私は1ミリも使えないのが腹立つけど。
それにしても、とんだ森林浴だ。でもこの雰囲気は嫌いじゃない。
みんながゼイゼイ汗を流してるときに、ゆったり過ごせるのも、それはそれで贅沢なことだね。学園が忙しくて、最近メサイア林にも行けてないし。
私との勝負に燃えてる最中のユーカには、ちょっと悪いんだけど、救助が来るまではちょっとのんびりしてようかな。
なんて、せっかくポジティブに思ってたのに、お迎えは思ったより早かった。
「グラディス、大丈夫か?」
座ってる私に、キアランが近付いてくる。ヴァイオラの次のスタートはキアランだったか。
でもまあよかった。
別に騎士なら誰でもその能力はあるけど、よそのクラスのよく知らない男子とかよりは、友達か女子の方がいいもんね。
多分騎士の方も、総合の成績順だったのかな。一般クラスとは逆に、高成績順。だとするとヴァイオラの前がマックスだったのかも。
運動場に戻ったヴァイオラに私の遭難を聞いて、慌てて駆け付けてこないといいんだけど。
「手首と足を痛めたそうだな。歩けないか?」
キアランが私の足元に膝をついて、私の足の状態を診る。
「うん、痛くて無理。随分早かったけど、ヴァイオラに会った?」
「ああ。山頂を目指す途中で、ベルタを抱えたヴァイオラに聞いた」
「ごめんね、授業、中断させちゃって」
「気にするな。――手首も痛めてるなら、こっちの方が負担がなさそうだな」
キアランが、おんぶではなく横抱きにして私を抱え上げる。騎士の力でしっかり支えてくれてるから、痛めてない右手だけ首に回しとけば安定する。
「ありがとう」
「できるだけ最短距離で行く。遅れると、マクシミリアンが心配のあまり駆けつけてきそうだ」
「あ、やっぱり?」
失笑する私を腕に、キアランは極力衝撃を吸収する動きで走り出した。スピードが抑えめな分、揺れが少なくて快適だ。
これならものの数分で、到着しそうだ。
と思った瞬間、強大な障害が私の前に立ち塞がった。一瞬にして全身を走り抜ける悪寒。
ここは緑豊かな山の中。
――ヤツらが、いたのだ。
そう……この世で唯一、私をパニックに陥れることができる、恐怖の存在が……。