初授業
バルフォア学園の授業は、スケジュールがギチギチだ。慣れるまで短縮授業とか、甘っちょろい無駄はない。
一大イベントも終わり、休日を1日挟んだ翌日からは、早速通常授業の開始。
午前中はクラスの教室で必修単位の授業を受け、午後から選択科目に分かれる。
1時限目は『政治』のハイデン・ノートン先生。
二十代前半の新人教師だから、私も完全に初めましてだ。
熱血体育教師みたいな印象で、はきはきと政治を語る様子がなんか面白い。後ろに選挙カーとかあっても違和感ないな。
キアランとかノアとか、将来ガッツリ政治に食い込む予定の生徒も多いし、内心プレッシャーだろうなあ。もちろん表立っては絶対見せないだろうけど。
私は記念すべき最初の授業で、早速内職中。
ここがこの学園の面白いところで、授業の邪魔をしなければ、けっこう机上での自由が許される。これは貴族の子弟が多く、家業の手伝いその他で忙しい学生のための、ある意味救済措置的な暗黙の了解。
ジュリアス叔父様も学生時代は、学園の机で、大学でしていた研究の続きとか、ラングレー傘下の企業関連とか領地の経営なんかの手伝いをしていたそうだ。
ただし基本的に全てが自己責任だから、単位が取れなければ当然落第する。
とはいえ私が落第なんて有り得ない。社会系全般、前世での専門分野だからね。
そういうわけで、昨日から溢れ出て止まらないインスピレーションを描き出すため、机いっぱいに広げたデザイン帳に、次々と色鉛筆を走らせていた。昨日からもうペンが止まらない。健康管理に厳しい私が、うっかり睡眠時間を2時間も削っちゃったほどだ。
他にも内職中の生徒は何人かいるけど、私ほど露骨なのは珍しいのか、幾分周りから視線を感じる。いいから授業に専念しなさい!
もちろんせっかく一生懸命授業をしてくれているノートン先生の言葉は、手を動かしながらも一言一句漏らさず聞いている。元教師として、そこは気持ちが分かるからね。
ただ、先生にはそんな心積もりまでは伝わらない。授業を完全シカトしてるとしか思えない学生がいたら、ちょっと戒めなりお手並み拝見なりと思っても無理はない。まして私、世間的に天才らしいし。
早速のご指名を受ける。
「グラディス。25ページの課題2に関して、君の見解はどうだ?」
ノートン先生は授業に関する教材を一切出していない私に、普通に質問を突き付けた。
25ページの課題2って言うと、あの問題か――手を止めないままで、考える。
学園の授業は、予習は当然している前提で進められるけど、これは予習してるだけじゃ答えられない、自らの思索が問われる設問。しかも、偶然とはいえ私自身に深くかかわるテーマでもある。
いいね。私を利用して、授業のレベルの高さを生徒に刷り込んでやるつもりかな? きちんと勉強してこないと恥をかくぞと。天才と目される私が答えられても、答えられなくても、どちらでも効果はある。
若いのになかなか策士だな。最初が肝心。協力してやりましょう。
「宗教と国家の関連について、それが顕著なバルーア王国を例に、我が国との比較がなされていますが、この見解には私は反対意見です。確かに我が国の宗教は国家に介入できるほどの力がなく、形式的なもので、政教分離がなされているように一見見えますが、実質、宗教に変わる存在があります。それが預言者です。まして大預言者ともなれば、個人で国家の政治を左右してしまうこともあります。それについては、156ページの5章2項で詳細が記されていますが、これでは完全な政教分離とはいいがたい。その例でも分かる通り……」
デザイン帳を新しいページにめくり、作業を続けながら、5分にわたって立て板に水のごとく、滔々と持論を展開した。
私のサービス精神は旺盛だぞ! ノートン先生が望む以上のパフォーマンスを見せてやるのだ! 予習を怠った怠け者はたっぷりと焦るがよい!
こちとら半世紀大預言者やってたっての。政治の中枢に携わった期間は、君の人生より長いからね。ちなみにその教科書の著者も私の教え子だ。
「なるほど、だがグラハム氏の理論では……」
先生も分かったもので、小気味良いテンポで、意見の応酬をしばらく行う。やがてはそこから、クラス中へとディスカッションの流れを作っていく。さすがにうちの学園の教師は新人と言えども優秀だ。
私の仕事は終わったかな。タイミングを見計らって、さりげなく議論を見守る姿勢に移行した。
と思ったら、一通りの意見が出尽くしてひとまず議論が終わったところで、先生の矛先がまた私に戻った。
「ところでグラディスは、教科書を全部記憶しているのか?」
授業と関係のない質問をする。う~ん、生徒の尻を叩いてやる気にさせるために、とことん私を活用するつもりだね? 教育に貪欲ないい先生だ。
「はい。教材の類は丸暗記したら手間が省けると、叔父のジュリアスが経験談を教えてくださいましたので。さすがに、叔父のアドバイスは有意義です」
「――なるほど……」
暗に、全教科覚えてるぞ、と披歴してやる。そんなの普通の頭脳では無理だっての。一周目が脳筋の馬鹿だった私にもよく分かってる。
天才が天才にした異次元のアドバイスに、クラスメイトもあんぐりだ。訊いた先生まで若干引いてる。
でもあえて高いレベルを見せてやるのは悪くないでしょ。みんな教科書丸暗記する勢いで、頑張って勉強してくれ。
「それから……」
さっきまで淀みなかったノートン先生が、おもむろに声のトーンを落とす。はきはきした青年が、歯切れ悪くどうにも言いにくそうな様子だ。
おや、他にもまだ何か?
「衣服までは許容するから、教室で下着のデザインはやめなさい」
「……」
叱られた。
手元のデザイン帳に視線を落としてから、周りを見回すと、主に男子生徒がさっと顔をそむけた。ノートン先生も教師とはいえ、二十代前半独身の若者。確かに女子には注意しにくかろう。
「――これは失礼を……」
オバチャンは気にならないけど、周りは発情期のオスだらけでしたか。どーもすんません。
ページをめくり、ここは素直に謝っといた。
この日の私は生徒の立場から、授業を陰でサポートしつつ、仕事もいい感じで進められた。――ランジェリー以外は。