オリエンテーション
入学式の翌日。これから5日間は、オリエンテーションに充てられる。
上級生は今日から普通に授業開始で、新入生はそれを自由に見学できる。気になる教科を漏らさず見学させるための期間。
同級生たちは、慌ただしくあちこちの教室を移動している。
私は半分近くの教師と授業内容は把握してるから、教科の興味に関係なく、知らない先生の授業を中心に回っている。
こうして後ろから授業の様子を観察してると、新米教師の研修を思い出すな。ザカライア時代、ベテランになってきたらたまにあったんだ。
あの頃ガンガンダメ出ししてやってた新人が、今は学園の中心になってるんだから、感慨深い。……まだ15歳なのに、どうにも年寄臭いなあ。
新入生のオリエンテーションは、単独行動が基本。見学しながら、友達とお喋りなんてもってのほか。
将来の進路とスキルを決める重要な考査の場で、仲間とちゃらちゃらやってる余裕なんかないよな――という無言の圧力が確実にある。
一周目の大学時代なんか、友達と同じ科目を適当に選んでたけど、そういういい加減なことは、ここでは許されない。みんな実に真剣だ。きっとここでこんなにのんきなのって、私くらいだな。
16年ぶりでも、時が止まったみたいに、空気感が変わらない。
半世紀前になるけどすでに一回卒業してるし、その後30年教壇に立ってたもんな。ぶっちゃけ、あんまり新しく習うことがないから、今回は今まで関りの薄かった講義を中心に選ぶつもりでいる。
『経済』の授業をのぞいたら、シャンタル・ディンズデールのやつ、教壇から私と目が合うなり、うっすら緊張しだした。生徒の手前冷静に進めてたけど、解説の手順いっこ飛ばしてたぞ。
面白そうだから、『経済』は選んでやろう。間違ったら容赦なく指摘してやる。「先生、そこ、間違ってます」って。
レオノール賞を受けるにあたって、経済関係の知識は片っ端から網羅したけど、ここで選ばないなんて思いやりは、私にはないからね。可愛い後輩にガンガンプレッシャーを与えてやらなければ!
実に都合の良いことに、天才ジュリアス・ラングレーの姪もやっぱり天才だった――という認識に、世間はすでになっている。
まあ、叔父様みたいな瞬間映像記憶とか、方程式抜かして複雑な計算の解答に一瞬で到達とかまではいかないけど、速読と見聞きしたものを記憶する能力は十分天才の域だとは思う。
その上ほぼ90年の人生経験と知識がある。うち40年は政治に、30年は教職に携わるという知識階級の濃さ。一周目の日本での知識も異質なものだろう。
そういうのも全部含めて、もしうっかり、知識と預言者能力を垣間見せちゃっても、『天才だから』で乗り切るつもりだ。
楽しく見て回ってると、あっという間に午前の授業が過ぎて行った。
正午の鐘が鳴ると、すぐに通路は各学年が入り乱れた。
やっぱりじろじろ見られている。見るだけならいいけど、うっかり気を抜いた瞬間にナンパ野郎がわらわら寄ってくる未来が浮かぶ。
いちいち相手にしてられない。意識的に近寄りがたい雰囲気を纏いつつ、待ち合わせ場所の食堂に向かった。
「ユーカ!」
人の流れの中、通路が交差するホールで、どの通路を行くべきか分からずにフラフラしてるユーカを見つけた。
「グラディス! よかった、道に迷いました」
ほっとした顔で、小走りに合流してきた。
「学園の見取り図は、完全に記憶しておくと有利だよ。校舎も、その他の施設も、庭も、とにかく広大な塀の中全般ね」
生徒教師、両面知ってる上でのアドバイス。学園内では何が起こるか分からないからね。ちなみに私は校舎裏の木一本の位置だって完璧に覚えてる。散々駆けずり回った庭だからね。
「あ、あと重要な忠告。この新入生オリエンテーションの時期限定で……」
説明しかけて、言葉を切る。遅かったか。
この学園で、何が起こるか分からない……というか、何を起こすか分からない筆頭が近付いてるぞ。
さあっと波が引くように割れた人混みの向こうから、無頼なモーゼがやってくる。
一族特有の青い髪、ペリドットの瞳、すでに現役騎士と言ってもいい風格を持った長身の青年が、男女6人の取り巻きを引き連れて歩いてくる。
学園最大派閥のハンター家。そのうち会うとは思ってたけど、早かったなあ。
7人中の4人が、同じファンタジーカラーの特徴を示している。あの一族は仲間を身内だけで固めている。取り巻きは全員血縁と見ていい。
長い歴史を見れば、ハンター家の勢力にも波があるけど、今年は間違いなく最強レベルだ。
何しろハンターチームを率いる先頭の男は、3年のガイ・ハンター。ヒュー・ハンター公爵の跡継ぎだ。きっとサシでも、マックスと張り合えるレベルだろう。
せっかく見た目の造形は整ってるのに、野性的な面構えと粗野な物腰が、実にもったいない素材だ。
上級生たちは、蜘蛛の子を散らすように退散していく。一方で新入生は、不穏な空気は感じるものの事態を理解できずに困惑している。
「な、何事ですか!? 昔の『少年漫画』みたいな登場です!」
ユーカがワクワクと呟く。まあ、確かに傍で見てる分には面白いけどね。これからちょっとひと悶着起こるんだよ。
何しろこの時期、度胸試しと腕試しを兼ねた、ハンター家の恒例行事がある。
それは新入生対象マウンティング祭り!!
要するに犬と同じだ。順位付け。年度頭の示威行動。俺の方が上だと、目ぼしい新入生にいきなりガツンと突き付けて、今後の牽制とする。
ただ、学内で訓練以外のガチ戦闘はご法度。違法行為にならないよう、連中なりの厳格なルールがある。
おさわり禁止。一撃必殺。
以上2点で失敗すれば、潔く撤退。
で、実際に何をするかと言えば、相手が男子ならボタン狩り。ボンタンじゃなくて釦。
相手の体には一切接触せずに、ボタンだけむしり取るなかなかの高等技術。まして狙う相手が、未来の騎士とか魔術師なんだから、至難の業だ。
そしてなんと、女子が相手の場合、スカートめくり! 学生時代は、私も面白がって作戦参謀をやってあげたもんだ。アイザックにスゲー怒られた。
私が知る限りで失敗は、相手が公爵の直系級以外ではなかった気がする。もちろん学生時代の私は、ギディオンが撃退するとこを傍で見てた。
もともとは男女ともにボタン狩りだったらしいけど、さすがに女子相手にボタンを無理やりむしり取るのは暴行一歩手前じゃないかと、スカートめくりで妥協した歴史があるらしい。
違いがよく分からん。これを何十年も連綿と続けてるってんだから、ホントにバカで傍迷惑で面白い一族だよな。
この周りで一番強そうな新人って誰かな?
他人事みたいに思いながら何気なくガイを見ると、ペリドットの瞳と目が合った。
その瞬間、ガイの姿が一瞬で消える。
おいおい、私かよ!? 私、戦闘職じゃないんですけど!!?