ルーファス・アヴァロン(教え子・教師)
今日は、バルフォア学園の入学説明会及び手続の日だ。教職員は入学予定者の対応のため、休校日に全員駆り出されている。
今年から週2日、戦闘訓練の指導教官として、嘱託を受けている私も、例外ではない。現在の本職は王都騎士団所属となるが、ここでは教師の一人だ。成人したての後進の指導に邁進しなければならない。
近年凶悪な魔物が王都を跋扈する事案が増え、戦力の強化が急がれる。
教師として説明会に参加するのは初めてだが、今回は雰囲気がピリピリしているらしい。
無理もない。来年度の入学予定者には、大物が例年より多数いる。
そのトップは、間違いなくキアラン王子。エリアス陛下の後継、次期国王となる人物が、教え子となる。学生の立場は全員平等とは言え、教える側として憂慮するのも仕方ない。
更には、異世界からの召喚者、フジー・ユーカの入学も内定している。安全上の理由でまだ公表が控えられているため、ここにはいないが、移動式結界の目途が立ったため、ほぼ間違いないだろう。後援者として、ラングレー家が名乗りを上げているから、信用の上でも問題はない。
誘拐事件以降、ユーカは明らかに変わった。頑張る姿は同じでも、自然体で、以前のような無理を感じない。そして、時折嬉しそうに、新しい友人の話をする。その様子から、心から慕っているのがよく分かる。
あの人は、いつもそうだ。関わった者をいい形に変え、周りから愛される。たとえ昔と、どんなに姿形も立場も変わっても、そういうところは変わらない。
それから、クレイトン宰相の孫のノア・クレイトン。王子の親友でもあり、いずれ政治の中枢に立つ人物。学生たちの多くにとって、将来直接の上司になる予定だけに、様々な思惑が絡んでくるだろう。
その上、誘拐事件の際、その揺るぎない剛腕で周辺を震え上がらせたラングレー家から、次期公爵のマクシミリアン・ラングレー。さっき面接で身近に見たが、あの年齢ですでにあり得ないほどの強さを感じた。
そして……。
説明会の騒がしい空気が、突然静まる。
ラングレー姉弟が、扉からホールに入ってきたせいだ。
相変わらず目立つ二人だ。ここにいる人間の大半は、噂には聞いていても、実物を見るのは初めてだろう。会場中から息を呑む気配が伝わる。
手紙でのやり取りはあったたものの、誘拐事件以来、グラディスを見るのは初めてだ。ずっと心配していたが、元気そうな様子でほっとした。
目の前で誘拐された時には、心臓が凍り付く思いだった。足止めされたパーティー会場で、私もグラディスの捜索に行きたいと、どれだけ切望したことか。ユーカを二の次にした時点で、私は護衛失格だ。
男女問わず、彼女の姿に見惚れているのが分かる。相変わらず、常識から外れた見慣れないデザインの衣装が、とてもよく似合っている。
すでに成人して、ますます美しく魅力的になった。笑っていない顔は、氷のように冷たく近寄りがたい。それでも、その完璧な造形から、誰もが目を離せない。
こういう場では、いつも当たり前のように腕を組んで寄り添っている姉弟に、表現しがたい感情が湧き上がってきて戸惑う。マクシミリアンが、憧れのトリスタンさんそっくりなだけに、余計複雑だ。
グラディスの冷ややかな表情が、不意にふわりと花のように綻んだ。
不意打ちに、鼓動が跳ねる。
二人の登場に気付いたキアラン王子とノアが、最前列の席から手を振っていた。グラディスたちは当然のように歩み寄り、隣の席に座る。
昔のあの人は、接し方がほとんど一律で、誰に対しても変わることがなかった。それは、本当の意味で誰も特別じゃなかったせいなんだろうと、今なら理解できる。
今の彼女は、心を許した相手への態度が、他人とははっきりと違う。完全無防備体制で、常に隙を見せない彼女が、全面的に無警戒になる。あまりの無防備さに、時々ハラハラするほどだ。
以前、体調不良で倒れた彼女に、目前で遭遇したことがある。それを考えれば、私も少しは信頼する相手として、及第点をもらえているのだろうか。
王子たちとの合流で、ますます会場の注目が集まり出した。あそこだけまるで別世界だ。
彼らも慣れているのだろう。未来の同級生たちの視線を、まったく気にもかけもせずに、おしゃべりを楽しんでいる。
意識的に目を逸らした。教師として、特定の生徒だけ見ているわけにはいかない。内心で、溜め息をつかずにはいられない。
こんな感情に、気付きたくなかった。
ジュリアスさんが、ハーヴィー賞を受けた時のパーティーを思い出す。
キアラン王子といるグラディスに、衝撃を受けた。おそらく誰が見ても、少年少女が寄り添って踊る微笑ましい光景。
けれど、グラディスが泣いていた。
言い表すことができないショックを覚えた。誰よりも豪快で強かで陽気な先生の、弱い姿を初めて見た。
自分は今まで何を見ていたのか。あんなに尊敬していた先生を、何も分かっていなかった。
出会って間もないはずの王子が、先生を支えている姿に嫉妬を覚えたし、自分の不甲斐なさに歯噛みした。
何故、先生に頼られているのは自分ではないのか。
とんだ思い違いをしていた事に気付いた。強いだけの人間なんて、いるわけがない。
弱さを持った、守るべき一人の女性に、初めて見えた。
それから、妙に気になって、意識的にグラディスを観察した。というよりは、同じ場に入れば、勝手に視線が行ってしまった。
会うごとに私の知らない顔が見えて、ザカライア先生のイメージが、ガラガラと崩れていった。
私が今見ている人は、誰なのだろう。
ザカライア先生か。それともグラディス・ラングレーなのか。――いや、そもそもそんな考え方がおかしいんだ。
ただ、目の前のあの人を見ればいい。それが私と王子との差でもあったのだから。
そうして見てきた結果――認めざるを得ない、この感情。もう、尊敬というだけでは誤魔化せそうにない。
――正直、参った。
なんでこんな時に、私は教師なんだろう。その一方で、むしろ教師でよかったとも思う。
立ち止まる言い訳ができるから。
たとえ生まれ変わった別人であっても、私にとって敬愛する大切な恩師である事実は一生変わりない。まだ、今の関係を動かす覚悟は持てなかった。
かといって、彼女を理解する彼らと、笑い合うあの姿を見ていると、無性に胸が騒ぐ。
何の先入観もないからこそ、彼らは今の彼女だけを見れるのだ。私より年長のジュリアスさんも、ある意味ではそうだ。だから、あれ程懐かれるのだろう。
ザカライア先生を知っている私は、その点で随分と不利なのかもしれない。
今は、指導者としての立場が抑止力になってくれる。
しかしいつか、立場が許される時が来たとき、私は、グラディスとの距離を、今のまま保ち続けることができるだろうか。