藤井悠華(召喚された日本人)・2
信じられないくらい綺麗な女の子がいた。
輝くプラチナブロンドの髪に、南の海みたいに澄んだ瞳。人形よりも完璧に整った顔立ち。長身にスラっと伸びた手足、華奢なのに出るとこは出ていて、外国のモデルみたい。
生き生きと、楽しそうに女の子同士で踊っている。
ああ、私も、半年前まではそうだった。友達や先輩と、毎日踊っていた。あの日に、戻りたい。
周りの話だと、とても偉い人のお嬢様だという。結構有名な人みたい。トロイさんが見た瞬間に『運命だ』と目を輝かせた。私をエスコートしたまま、また口説きに行くのかとげんなり。私も付き合わなきゃダメ?
間近で見た彼女――グラディス様は、圧倒されるくらい綺麗。しかも銀髪の凄い美少年と腕を組みながら、トロイさんをゴミみたいな目であしらってる。超クール。ちょっといい気味とか思っても、バチは当たらないよね。思わず先輩と呼びたくなる迫力。
そして思わぬことに、私をダンスに誘ってくれた。さっきまでとは全然違う、とても優しい天使みたいな笑顔で。
何も考えず、頷いていた。内心では『はい、先輩!』と答えながら。
ああ、久し振りのダンスだ。私がやってたのとは違うけど、やっぱり楽しい。グラディス様のリードが凄くうまいんだ。
楽しい。楽しい。
グラディス様の私を見る目も、なんだかほっとする。他の人みたいに、警戒心も好奇心もない。普通の女の子を見る目。久し振りに心が安らぐ。
――なのに、どうしてそんなことを言うの?
私の心の奥に隠していたものを言い当てて、土足で踏み込んで、容赦なくえぐってくる。
やめて!! 私に現実を突きつけないで!! 私は全力で頑張っているのに!
――もうこれ以上は、頑張れない!!
心にガッチリはめ込んだ蓋が、溢れそうな感情で開きかけた時、グラディス様が私を抱きしめた気がした。その瞬間眩しい光と同時に、覚えのある落ちていく感覚。
気付いた時には、また別の場所に誘拐されていた。
どうして、どうして私ばかりこんな目に!?
しかも今度はグラディス様を巻き込んでる。狙われたのは黒髪――つまり私。
心の中では、召喚術を使ったテロリストに会いたいと願っていた、これは罰なの? だからまた召喚術で呼び寄せられたの?
でも、一人でなかったことに、ほっとしている自分もいる。嫌な人間だ。
しばらくして、縛り上げられてから閉じ込められた。誘拐犯がいなくなって、脱力した。緊張が解けたら、途端に涙が止まらなくなる。ずっと我慢してたのに、もう限界だ。
泣いて謝る私に、グラディス様は、なんと頭突きをした。
こんな時なのに、少しも動じてない。それどころか、私を守ろうとしてくれてるんだ。そのために、ホントは逃げられたのに、一緒に来てくれた。
綺麗で、強くて、優しくて、勇気もあって……。
どうして、世の中にこんな完璧な人がいるの? 私には、もう何もないのに。全部失ったのに。
そう思ったら、ずっと抑えてきた感情が、爆発して止められなくなった。
私はこの世界で一人きり。誰にとっても、意味のない存在。どんなに頑張っても。
心の中では、もしかしたら私を呼んだテロリストは、私を必要としてくれているんじゃないかという、捨てきれない期待もしていた。
でも、結局こんな目に遭う。縛られて、閉じ込められて。
誰も、私を必要としない。――もう、こんな世界で生きていくのはいやだ……。
そんな私に、グラディス様は言った。
「大丈夫。私は、あなたの支えになる。絶対に見放さない。倒れても、立ち上がれるまで手を貸すわ。あなたが、この世界でちゃんと生きていけるように。たとえあなたがいい子でなくても。だから自分を偽らなくてもいいの。私は、本当のあなたと、友達になる」
私が心の底から欲しかった言葉。でも、そんなわけがない。こんなすべてを持っている、神様に特別えこひいきされたみたいな人が、私のことなんて分かるわけない。
思わず日本語で反論していた。分からなくていい。ただ、思いの丈を叫びたかった。
そして知る、衝撃の事実。
グラディス様は――グラディスは、元日本人だった。
しかも、中身は相当ガサツで図太い感じだった。見かけは天使なのに。
ある意味、本当に先輩だったのか。
心が、信じられないほど軽くなった。グラディスの言葉は、全部自分の経験から、重ねた想いから来たものだったんだ。全部グラディス本人が通ってきた道。
本心から私を理解し、助けようとしてくれている。
それを知っただけで、無理に無理を重ねて、今にも折れそうだった心が、立ち直っていた。
トロイさんとは違う。諦めじゃない。
すべての葛藤を乗り越えて、本当にこの世界の住人になった人。
私もそうなれるように、支えてくれると――本当の私と友達になると、言ってくれる人。
溺れかけていたこの世界で、やっと息ができた気がした。私自身を、見てくれる人がいるというだけで。
今日初めて会ったばかりのグラディスを、私はすでに心から信頼している。
この世界でやっとできた、初めての友達。
力を合わせて、ここから脱出する計画を立てる。こんな時なのに、なんだか久し振りに気分が高揚している。
必ず無事に帰る。二人そろって。
さっきまで終わったと思っていた私の人生の続きが、また見え始めたから。――思ってもいない方向に、細く分岐してたとしても。
脱出チームのリーダーはグラディス。危険な方をグラディスが引き受けてくれたの、分かってるよ。でも、余計な口は出さない。
私はフォーメーション通り忠実に動く。躊躇いは失敗を呼び込む。だから一瞬も迷わない。グラディスの指示通り、ただ思い切りやってやる。
隠れていた隣の部屋から、争う音が聞こえた。演技の直前、音楽が鳴る瞬間のような緊張感。
グラディスの合図を聞いて、一目散に部屋を飛び出した。廊下に飾ってあった剣を手に取って、階段を全力で駆け降りる。
私の役割は、正面玄関から外に出て、助けを呼びに行くこと。障害物は、すべて排除する。
グラディスの予想した通り、玄関には見張りの男がいた。でも、一人だ。相手の命は考えない。
私とあんたの命の方が大事――グラディスはそう言った。私もそう思う。
だから、後先考えず、見張りに剣を振り回した。扉は目の前だ。どいてくれさえすればいい。
でも、距離があったから奇襲にはならなかった。剣で受け止められる。でも止まらない。
息が続く限り剣を振り回した。
早くしないと、グラディスが残ってる!!
剣を握る握力がなくなりかけて、慌てて握り直して振りかぶろうとしたとき、突然玄関の扉が吹き飛んだ。
正面を立ち塞ぐ見張りごと。
「大丈夫?」
少し苛立たしげな顔をした男の子が、そこに立っていた。見覚えがある。グラディスのパートナーだった子。助けが来たんだ!
「グラディスが!!」
「大丈夫だよ。義父さんが行ったから。いいとこ持ってかれた」
不満げに愚痴る少年を置いて、元来た階段を必死で戻った。グラディスの元へと。
息を切らせて駆け付けると、グラディスは、さっきの少年を大人にしたみたいなすごくかっこいい人に、お姫様抱っこされて笑ってた。
――まったく、もうっ!! ……でも、よかった。
抱き合ってお互いの無事を喜び合った。この半年、ずっと我慢してきた涙が、今日はやたら流れる。
でも、今までのように、無理に止めようとは思わなかった。グラディスは優しく抱きしめて、受け止めてくれる。
私は、前にトロイにも投げかけた質問を口にした。
『……ねえ、私、もう、日本に戻れないのかな……』
グラディス、お願いと、心の中で祈る。
『うん。戻れないよ』
グラディスは、はっきりと答えた。
『私たちは、この世界で生きて、この世界で死んでいく』
『――そっか……』
――ああ、ありがとう、グラディス。私の未練を、捨てきれなかった希望を、断ち切ってくれて……。
私の気持ちを、体験として知るあなたの言葉だから、受け入れられる。
でも、今だけちょっと泣かせて。すぐに元気な私に戻るから。
ひとしきり泣いて落ち着いた私に、グラディスは別の希望を持たせてくれた。
また、学校に行けるかもしれない!
きっとグラディスなら、どんな無理だってやり通してくれるんだ。
だったら、私はもっと言葉を頑張ろう。読み書きも。もう、無理はしない。だって、目の前に実現可能な希望が見えるから。
ファンタジー世界に落とされてから――この日は一番辛くて、一番嬉しい日になった。
そして1か月後、一番危険と言われた夏至の時期が終わってから、初めて、この国の文字でつづった手紙を届けてもらった。何日もかけて、やっと書き上げた手紙。
この世界で、私の初めての友達へ――と。