藤井悠華(召喚された日本人)・1
半年前の誕生日のあの日、私の人生は一変した。
それまでの私は、次の大会優勝を目標に、毎日チアリーディング部の練習に励む、普通の高校生だった。
親友の梨沙が、16歳の誕生日のお祝いをしてくれることになってた。オシャレをして、うきうきと待ち合わせ場所へ行く途中、落とし穴に落ちるように地面に吸い込まれた。
そして、この剣と魔法のファンタジー世界へと転がり落ちていた。
コロシアムのド真ん中、いきなり中世ヨーロッパ風の鎧の集団に囲まれ、剣を向けられた。喋ってる言葉も理解できない外国語。
いったい何の悪夢なの? 恐怖で腰を抜かす体験を、人生で初めてした。いっそ気絶でもできればいいのに、人間って怖いくらいじゃなかなか意識を手放せない。自分の健康体を恨んだの初めてだった。
でも、武装集団に捕獲された割に、扱いはそこそこ丁寧で、そこはほっとした。最初はタイムスリップでもしたのかと思ったけど、初めて見る魔法に唖然とする。
子供の頃から体育会系で、全然本を読まない私に、梨沙が押し付けてきたラノベを思い出した。普通の女子高生が、魔法ありの異世界に召喚されて、聖女として活躍するらしい話。実は最初の20ページくらいで挫折したから、内容をほとんど知らない。こんなことならちゃんと読んでおけばよかった。まさか私の身に降りかかるとは。
大きなお城に連れて行かれ、けっこう素敵な部屋に案内された。乱暴な扱いはされないし、ちゃんと三食の食事も出る。監禁状態だけど、とりあえず牢獄とかでなくてよかった。
私は何のために、ここに連れてこられたんだろう。早く元の場所に帰りたい。ラノベではいきなり言葉が通じてたけど、普通に外国語だ。身振り以外の意志疎通ができない不安と不便さに、3日で限界を感じた時、救いの主が現れた。
名前はトロイ・ランドール。背が高くてすごくかっこいい感じの異世界人が、いきなり流暢な日本語でしゃべりだした時は、逆にぽかんとした。
なんでも日本人の転生者らしい。向こうの世界で一度死んで、こっちの世界で生まれ変わったとか。
この3日間驚き過ぎたせいで、驚きのハードルが大分上がった気がする。この世界では、転生というのは、ちょっと珍しい現象ぐらいの現実として、普通に受け入れられているらしい。
トロイさんは前世の死亡時の年齢が小学生だったそうで、外見も振る舞いも立派な青年なのに、言葉遣いだけちょっと幼くて残念臭がした。きっとこっちの言語でなら年齢相応なんだろうけど。
でもかえって気を遣わずに済む。言葉が通じる人の存在は、まさに砂漠にオアシスの心境だ。
やっと出会えた日本語のできる人に、たまりにたまった疑問をたくさん投げかけた。トロイさんは人当たりの良い人で、分かることは何でも答えてくれた。良くも悪くも率直に。
それによると、私は、このお城の誰かに望まれて召喚されたわけじゃなかった。数年来王都を騒がせるテロリスト的な勢力によって、何らかの目的の元、呼び出されたと思われている。
そのせいで、お城の人たちも、保護した私の扱いには困っていて、この対応は相当温情的なものだそう。悪くすればテロリストの手先として、投獄されていてもおかしくなかった。
ちょっと待って。聖女とは言わないけど、私、何の役目もない? むしろ厄介者? そんなヤバイ立場にいたの?
やっぱり一刻も早く帰りたい。その方法をトロイさんに訊いたら、きょとんとされた。
そんな方法、ないよ――と。あればとっくに僕がやってる、とも。
愕然とした。何度確認しても、回答は同じ。トロイさんと同じく日本人転生者だったという、偉大な大預言者でも、元の世界に戻る手がかりを掴めないまま人生を終えたのだと。
嘘! 嘘だ!! 二度と元の世界に戻れない!? 家族にも、友達にも会えない!? ゲームの続きは!? 学校は!? 次の大会は!? 私の人生はどうなるの!? 戻れないなんて、そんなはずがない!!
そうだ、私を召喚したテロリストは? 呼べたなら、戻す方法だってあるんじゃないの?
トロイさんの答えは、シビアだった。
『もしもあったとして、それをテロリストに頼むの? 責任取れって。言葉も通じないのに? だいたい聞いてくれるかな? 何か必要があって召喚したんだろうに、何の見返りもなく送り返してくれる? 酷い目にしかあわされないと思うよ? 壊すだけで造ることなんてないのがテロリストってやつでしょ。そもそも国中から追われてるのに尻尾もつかめない犯罪者と、会う方法がないよね? 会えたら会えたで、国に本物のテロリスト認定されて、味方がなくなるよ。犯罪者の仲間入りで、今度こそ牢屋行きがオチだよ』――だいたいこんな感じ。
口調は軽いけど、内容は厳しかった。ぐうの音も出なかった。どこまでも現実的な忠告だった。
私はこの世界で、何もできない。――普通に生きていくことすら。テロリストの被害者として、かろうじて世話をしてもらっている危い立場なんだ。そこから一歩でも外れたら、今の恩情処置すらなくなるかもしれない。
まずは足元を固めないと。もし放り出されでもしたら、即野垂れ死にもあり得る。一人でそれなりのことができる様にならなくちゃ……せめて、言葉くらい分からないと、帰る方法すら探せない。
だからトロイさんの協力の元、とにかく言語の習得を頑張った。勉強は苦手だったけど、他にやることもない。なにより、人とお喋りがしたかった。この世界で、精神的に一人きりは、辛過ぎた。
今まで部活にかけていた情熱の全てを、この国で生活するための術を手に入れることに注いだ。勧められたことには、何でもチャレンジした。人間関係にも、特に気を付けた。
私はチアリーダーだ。どんな時だって最高の笑顔を見せてやる。
ちょっと疲れるけど、日本に帰ることをモチベーションにすれば頑張れる。
トロイさんは明るくて親切だけど、あのどこか諦めてしまった投げやりな目が、苦手。そして、ときどき私を見る目が、辛そうだった。
いつも軽くて、女の子を口説いてばかりいる人だというのは、出会って二週間で理解した。でも、軽蔑する気持ちは起こらなかった。今の私は、何にでもがむしゃらにならなければいられない状態だけど、きっと同じことなんだと思ったから。
あの人はああいう生き方で、この世界との折り合いをつけたんだろう。
そうやって、この世界に来て半年ほど。周りの人とも会話できるようになってきて、いい関係も作れている。友達とは言えなくても、親切にしてくれる。最初は険しい目で私を監視していた人たちも、今は落ち着いた目で護衛してくれている。
でも、ほっとはするけど、安らぎはなかった。私は今、笑えているのか、たまに自信がなくなる時がある。
どうしてだろうか。この国のことがだんだん理解できて来たのに、前よりも不安が強まる。一睡もできない日が、徐々に増えている。
梨沙に借りたラノベを思い出して、空笑いしてしまった。こんな理不尽な状況、あんなにあっさり受け入れられるわけがないじゃないか。
でも、今は頑張るしかないんだ。他に、生きる術がない。まるで目隠しで崖っぷちに立ち続けている気分だ。いっそ、前か後ろに足を踏み出したら、楽になれるのだろうか。
ああ、弱気は駄目だ。日ごと、努力は実っている。最近少しずつ、建物の外にも出してもらえるようになった。私はしっかり前に進んでいる。
今日だって、初めてパーティーに連れてきてもらった。ずっと話題になっていた異世界からの召喚者のお披露目を、少しずつしていく予定だそうだ。
私の頑張りは、受け入れられている。この世界に、居場所が築けるかもしれない。
――あれ、私の目的って、なんだっけ? 帰ること? ここで生きられるようになること?
私は今、ちゃんと笑えている?
あの子に会ったのは、そんな時だった。




