いつか
「さて、俺の娘の足にあざを作った奴はどいつだ? 万死に値する」
トリスタンは私をお姫様抱っこしたまま、室内を見回した。
「脛のあざは、そこで寝てる奴ね。足の甲は、そこでフラフラしゃがんでる奴で、拳はそこの左の奴」
私はすっかり安心して抱き付きながら、一人一人指差していく。ちなみに私はまだ攻撃は全く受けてない。全部自分で攻撃した結果の、ある意味自傷だ。
でも私の告げ口に、意識のある3人は、一斉に顔から血の気を失った。
国内最強の呼び声も高いラングレー公爵トリスタン。その強さとともに、娘への溺愛ぶりは特に有名だ。
元・壁だった場所から吹き込む風に、絶望的な次元の違いを見せつけられて、誘拐犯たちは震えあがるしかない。死刑執行人が目の前にいる気分だろう。
四階の建築物を4段重ねのケーキみたいに上から切断するには、どれだけの魔法を並行利用しながら、剣を振るう必要があるんだろう。しかも、ハンター家ご自慢の先祖伝来の結界ごと。人間業じゃない。
それと、あとでヒュー・ハンターとケンカになるな。
「あ、ユーカは!?」
「1階の子なら、マクシミリアンに任せた。あいつもこっちに来たがったが、これは俺の役目だからな」
「そうか、よかった」
ほっと一息つく。これで完璧に安全が確保された。
「すぐにこの場所、分かった?」
私の問いに、トリスタンが笑った。
「ああ、結界の効果が薄い玄関から格闘の気配がしたからね。さすがになんの目印もなしじゃ厳しいけど、見当さえつけば、結界内にいたって君の気配は探せるよ」
おしゃべりをしてる間にも、部屋の犯人たちは全員床に昏倒していた。いつの間に。相変わらず何をやったのか分からない。
「ところでここ、ハンター家の別邸なんだけど、分かってる?」
「そうか。じゃあ、あとでヒューはボコボコにしておこう」
「いや、あっちもむしろ被害者だから。屋敷勝手に使われたあげく、ぶっ壊されてるからね。私も壺とか絵とか壊しちゃったし。そこそこ穏便にしなよ?」
「グラディス!!」
話していた私の耳に、ユーカの声が聞こえた。マックスに助けられるなり、4階まで駆け上がってきてくれたらしい。ゼイゼイと息をつくユーカの後ろに、ほっとした顔のマックスがいた。
「ユーカ!!」
私はトリスタンの腕から飛び降りて、ユーカと抱きしめ合った。
『怪我はない、ユーカ? 助けが来たのは、あんたが玄関で頑張ってくれたからだよ。ホントに、よく頑張った!』
『ううん。全部グラディスのおかげ。グラディスが背中を押してくれたから、頑張れた。助けてくれて、ありがとう……』
ユーカは涙声で、私の肩に顔を埋めた。震えながら、しばらく無言でいる。
きっと、一段落付いて安心したところで、心の中に押し込めていた葛藤が、抑えが効かないほどに蠢きだしてるんだろう。
私は黙ってそれを見守る。
『……ねえ、私、もう、日本に戻れないのかな……』
勇気と覚悟と諦めと悲しみと……その他にも、色々と複雑な感情が混じった声で、ぽつりと呟いた。一緒に危機を乗り越えた、遠慮なく話せる元日本人の私にだからこそ、口にできた呟き。
『うん。戻れないよ』
その問いに、はっきりと答える。
この世には、持たないほうがいい希望もある。もしかしたら、来れたのだから帰れる方法もあるのかもしれない。でも、片っ端から書物を読み漁った大預言者人生の間ですら、手掛かりは見つけられなかった。
そんな悪魔の証明じみた可能性にすがって、人生の全てを賭けることに意味はあるのか。その生き方は幸せにつながるのか。
『私たちは、この世界で生きて、この世界で死んでいく』
『――そっか……』
ユーカはそう言ったきり、今度こそ、私にしがみついたまま声をあげて泣いた。
泣くだけ、泣けばいい。私ももっと早くそうするべきだった。三周目になるまで気付かなかったせいで、随分こじらせて、未だに後を引いている。
『……グラディス、ダンスしてるときに言ったよね。外国……私たちの場合、異世界だけど、そこで暮らす精神状態には四段階あるって』
泣きながら、ユーカは鼻声で話し続けた。
『三段階から後、聞いてない』
『ふふ……これからのユーカだよ。だんだんとこの世界に慣れて、適応してくる。そしてやがては、故郷との違いも受け入れて、この世界の住人として自然に生きていけるようになるよ』
『……そう、なれるかな』
『多分ね。私はずいぶん時間がかかったけど、その分、ユーカの支えになれると思うよ?』
『ありがとう……グラディスと出会えて、よかった。……友達になってくれて、ありがとう……』
ユーカは私から体を離して、涙をぬぐった。
『私、これからも頑張るよ。もう、無理はしない程度に、私らしく』
泣きはらした顔で、宣言した。自分に言い聞かせるように。
『じゃあ、目標を決めよう。ユーカが今、この国で一番したいことは何?』
尋ねられて、ユーカは驚いた顔をした。でも、答えは初めから決まっていたみたい。
『私、学校に行きたい。前みたいに、勉強して、友達もたくさん作って、一緒に遊んだりして、ちゃんとこの国のことを知っていきたい』
『そう……ではまず、言葉を完璧にしないとね。ちゃんと会話と読み書きができるようになったら、私がどんな手を使ってでも、ユーカをこの国で一番いい学校に入れてあげる。そこを卒業したら、どこでだってやっていけるくらい凄い学校だから』
『グラディスの言う凄いって……かなり不安になるんだけど……ふふ、励みになるね。うん、私、まず言葉から頑張るよ!』
「じゃあ、これから『日本語』禁止ね」
「うん!」
話が付いたところで、終わるまで待っていてくれたマックスに歩み寄る。謎言語で会話してた私たちに戸惑い気味だけど、まあ私のことだから納得してね。
「マックス。ユーカを助けてくれてありがとう。心配させてごめんね」
「ああ、お前が無事でよかった」
いつものハグより大分強めだけど、今日は仕方ない。強く抱きしめる腕の中で、早い鼓動と心からの安堵を感じ取った。家族の元に戻れた安心感が、やっと実感として胸に広がる。本当に凄く心配させちゃったな。
こんなに心配して、すぐに助けに来てくれる身内がいる私は、とても幸せだ。必要とされている喜びが心を満たす。
それだけに、ユーカの孤独が強く響く。ユーカはどんな気持ちで、今の私を見てるんだろう。
帰ったらすぐに、ユーカの力のことをアイザックに伝えよう。黒い靄に対抗し得る存在だと。
今は、利用されるしかないだろう。でも、頑張り屋のユーカが、自分の有用性を示し続ければ、そしてひたむきな姿を見せ続ければ……きっと、いつかユーカ自身の価値を見出す人間は増えるから。あんたを心から愛してくれる人たちが。
「帰ろう」
しばらくして、名残惜しそうなマックスの腕を離れ、私はみんなに言った。
屋敷の中や周辺は、いつの間にか随分にぎやかになっていた。
高級住宅地の公爵邸がいきなり大破壊されたら、大騒ぎにもなる。
その上すでに手際よく色々な手配はすんでいて、誘拐犯たちは速やかに捕縛されて、王城へと護送されていった。
ユーカには、王城から迎えの馬車が来ていた。乗り込む直前のユーカに、ふと思い出して声をかける。
「ねえ、ユーカ。『カルチャーショック』の話ね、実は五段階目があるんだよ」
「え? なに?」
「住んだ国に馴染みすぎちゃってね。故郷に帰ったら、逆に故郷の文化にびっくりしてショックを受けるようになるの」
ユーカは驚いてから、笑った。
「頑張る。いつか、そうなる」
拙い言葉で力強く答えて、手を振りながら馬車で去っていった。




