脱走
陶器の破片で、なんとか縄を切ることに成功した。
『やった!』
拘束が解けたことに、ひとまずほっとする。自由の身になって、それぞれに軽いストレッチ。
天井まで続く階段を上って、地下室唯一の出入り口になる扉部分を上に押し上げてみる。やっぱりびくともしなかった。
『地下だから窓もないし、防音も完璧か。見張りもなしで放置するわけだよね。――こういう時の定番、分かってる?』
私の質問に、ユーカはニヤリと答える。
『もちろん。映画なら、換気口とかの出番でしょ』
『地下室はカビが生えるからね。必ずあるよ。通れる幅ならいいんだけど』
手分けして捜してみると、棚が並んだ方の角の天井近くにすぐ見つかった。ギリギリ潜り込めそうなサイズだ。
『ユーカのドレスは丈が長いね。ちょっと切ろう』
『……もったいない』
『また新しいのあげるよ。それデザインして贈ったの私だから』
『え~!!』
驚くユーカの足元に膝をついて、陶器の欠片で切れ目を入れて、ドレスの裾を膝丈に引き裂いた。不本意だけど背に腹は代えられない。縫ってくれたお針子さんたちには申し訳ないから、あとでパティスリー・アヤカのケーキでも差し入れよう。
『さてと、上がれる自信はある?』
『もちろん。これでも超体育会系のチアリーディング部だったからね。アクロバティックなアクションは得意だよ』
『ふふふ。それは良かった。この国と体育会系は相性がいいんだよ』
『え、そうなの? もっと華麗で優雅な宮廷文化的なイメージだと思ってたんだけど』
『慣れてくればすぐに分かるよ。物分かりのいい弱者より、我が強い強者が正義だから。強さを示した方が、この国ではうまくいく』
『アメリカ的な感じね』
『そのもっと極端なやつね』
靴とストッキングを脱いで裸足になる。棚の一番上に上り、換気口の蓋を外して、まず私から体を押し込んだ。埃とか蜘蛛の巣とかを覚悟してたけど、すごくきれい。魔法で空気が絶えず循環してるせいかな。他にも清掃に適した魔法が乗っかってるんだろうけど。
ダクトは残念ながら、外にすぐ通じてるタイプじゃなかった。横に伸びたり上に行ったり、長く続いている。この大掛かりさ。いよいよ大物の貴族の屋敷っぽい。セキュリティーの強度具合が心配になるな。
腕だけの匍匐前進だから、かなりきつい。運動神経は自信あるけど、筋肉量は大分抑えてるからなあ。
後ろのユーカの方が、私より小柄な分余裕あるかも。
進みながら、ちょっと奇妙な感覚を覚えていた。
私の予言は、一連の敵対勢力にはほとんど効かなかった。それに関することだけ靄がかかったように邪魔をされて、先が見通せない。お互いに妨害を掛け合う隠蔽状態が拮抗していて、こちらの情報が漏れにくい替わり、向こうの情報も掴みにくい感じ。
でも数時間前、初めて見えた。突然、生贄の犠牲者となるユーカの姿が。そして、それを行う黒いフードをかぶった、ローブ姿の男が。
靄が薄らいだ感覚は今も続いている。
理由は何かと言えば、ユーカの存在しか考えられない。
ずっと自分自身を抑えに抑え続けてきたユーカ。私の挑発で、初めて強い感情を溢れさせた瞬間に、未来の画が見えた。
連中の世界の黒い瘴気の中を潜り抜けて、あの魔法陣から召喚されたユーカには、何らかの耐性めいたものが備わったのかもしれない。ユーカが自分を抑えることをやめることで、その力が発動して、妨害の拮抗状態が傾いた、とは考えられないだろうか。
ユーカの存在は、いうなれば予言キャンセラーキャンセラー。
この想像が正しければ、ユーカの価値は計り知れないものになる。王城の誰も、蔑ろになんてできない。それどころか、今度は本気の警護態勢が敷かれるはず。ちょっと鬱陶しい気もするけど、とにかく大切にはされる。奴らに対抗しうる切り札なのだから。
ああ、すぐにアイザックとエイダに教えてやりたい。エイダも、予言の儀式で答えが得られなくて困ってたからね。
そのためにも、まずはここから脱出しないとだね。
進む途中で出られそうな横穴を、何回か素通りした。安全な気がしなかったから。しばらく進んで、やっと大丈夫そうな出口を見つけ、そっと蓋を外して頭から這い出した。高い位置にあるから、けっこう怖い。
仰向けで、まず上半身を起こしながら出して、狭いダクトに足を広げて体を支えながら、一度座る体勢を取る。出口の枠を掴んでバランスを取りながら足先まで全部出たら、そのまま2メートル近い高さから飛び降りた。
見事着地。ふ~、こんなお転婆をしたのは何十年ぶりだろう。
すぐにユーカを下から支えて、床に降ろす。
人の気配のない長い廊下に出た。
一目見て、明らかに貴族の屋敷だと確信する。かなり金がかかっていて、しかも趣味はあまりよろしくない。
使い込まれた鎧とか、骨董レベルの武器とか、狩った魔物の剥製とか、飾ってあるものに激しい脳筋臭がプンプンと漂っている。
おいおい、ちょっと待て。まさかこの屋敷って……。
はっきりと覚えている。この趣味の悪いインテリア。ずっと昔、半世紀以上も前に、来たことがある。
学生の頃、ザカライアとして。ってことはここは、王都の14区ってことか。
「……あ~~~~」
正直ガッカリして、額に手をやった。
この屋敷の持ち主が犯人だった……なんてお手軽な展開期待してたんだけどなあ。どうやらそう簡単にはいかないらしい。
この屋敷の主や身内が、事件と関わりがないことは断言できる。そもそも小難しい悪事を企める脳みそがない。強いけどバカには定評のある一族だからな。
五大公爵家中、バカの呼び声を欲しいままにする脳筋一族ハンター家だ。今の当主は、トリスタンの先輩で友人のヒュー・ハンター。私の教え子の中でも上から数えたほうが早い問題児。
大体あいつらは自分の本拠地が大好きだから、社交シーズンなんてホントに最低限のものだけ王都に顔出したら、さっさと一斉に引き揚げちゃうんだ。
確か先週のうちにはとっくに領地に引き揚げてたはず。
空っぽになった王都の屋敷を、誘拐一味に勝手に利用されたってとこだろうな。
確かこの辺りは、数百年単位で地脈の魔力が安定している。転移魔法陣なんて特殊魔法には、環境も重要だからね。転送先には、とにかく安定が必要不可欠らしい。数百年前の資料では、特に地下が発着施設に適しているという記述が残っている。
無人の地下室なんて好条件、他になかなかなかったんだろう。
周囲を警戒しながら、遠い記憶を呼び起こす。
シーズン以外完全に無人で、滞在日数が少ない分、この屋敷のセキュリティは異常に生活感がなかった。
試しに廊下に面したガラス窓を開けようとしたけど、壁の絵かってくらい、ピクリともしない。多分、割ることすらできない。
やっぱりそうだ。昔から、正面エントランス以外、出入りができない結界が張り巡らされてたんだよ、たしか。
学生時代、遊びに来た時も、窓を開けようとしたらこうだった。
たった数週間の滞在で、結界の内容をいちいちいじる手間をかけるくらいなら、窓なんか開かなくていいだろって発想らしい。細かいことを気にしないにも程があるだろと、私ですら思ったものだ。かえって面倒じゃないのか。
テラスも通用口も換気窓も、出入り口という出入り口が開かないもんだから、主人も客も使用人も業者もみんな正面エントランスから出入りするカオス状態。いや、確かにセキュリティー面では有効なんだろうけども。
この結界内への侵入は、それこそ想定外の転移魔法でもない限り、不可能なんじゃないかな。
つまり、誘拐犯たちはここの正規の鍵を入手していると見ていい。そのルートから、あの死神男を探ることはできるかな? 管理人の安否が気になるとこだけど。
そこで思考が中断される。階下から、騒々しい気配がした。
『抜け出した事がバレたみたい。上に逃げよう』
『え? 上に? でも、そうしたら、逃げ場がなくなっちゃうんじゃ……』
『唯一の出口の玄関は、抑えられてる。このまま玄関に向かっても、他の奴に見つかって辿りつけもしないよ。今は、少しでも逃げ続けることが大事』
私ができるのは、とにかく逃げることだけだからね。こんなデカい屋敷でのかくれんぼなら、姿さえ見せない限り、こっちが断然有利。
私たちは気配を消しながら、急いで階段を捜し出して駆け上がった。