消失
少し先に、半年ぶりに見る、召喚された少女、ユーカがいた。噂の人物の登場に、会場の注目が一斉に浴びせられる。
言葉も片言ながら日常的な意思疎通が可能になり、この世界にも段々慣れてきたらしい。だから、外の世界に少しずつ慣らしてやってほしいと、アイザックに要望を出しておいた。
その結果、ある意味リハビリというか、異世界での社会復帰というか、そういう一環で、ちょこちょこ城の外にも案内しているという。
ユーカにとっては初めてのお使いならぬ、初めてのパーティーか。
今日のパーティーは、会場が王城から近いし、ホールと庭園を解放した昼間の気楽な奴だから、お試しとしてハードルも低いだろう。
フォーマルな装いのルーファスが、少し距離を置いた場所にいた。隣のパートナーは女性騎士だな。招待客を装って、身近から護衛してるみたい。普通の装備の騎士も、この規模のパーティーにしては多い。
本人の知らないところで、あちこちから監視込みの警護をされている。
生贄の魔法陣が出現する夏至まで、あと1か月もないことを考えれば、アイザックなりに、ユーカを人前に晒して、敵の出方をうかがう意図があるんだろう。ユーカは敵にとってどういう意味のある存在なのか、呼び出しただけで目的は果たされたのか。それとも他に何かの利用方法があるのか。
これで揺さぶりをかけることはできるのか、確かに見極めておきたいところだ。ユーカには悪いけど。
何も知らないだろうユーカは、トロイにエスコートされて会場を歩いている。それだけでも、もの凄い緊張感が漂ってくる。普通の日本人女子高生が、外国の貴族のパーティーにいきなり放り込まれたようなもんだろうから無理もない。
マダム・サロメからの体裁で私が提供したドレスが、よく似合っている。ちゃんと日本人の女の子に合うように、シンプルながら可愛くデザインしたからね。
私は不自然にならないように一瞬で目を逸らし、トロイにも少女にも気付かないふりで、マックスの元に戻った。
ところが残念なことに、ナンパ師トロイは真っ直ぐ私のとこにやってきた。3年前に見たのと全く変わらないものっスゴイ笑顔で。
「やあ、またお会いできてこんな感激はありません。まさかあなたがあのグラディス・ラングレー嬢だったとは。以前の可愛らしさに加えて、更に輝くばかりにお美しくなられて。やっぱり僕たちはこうして再会する運命だったんですね」
相変わらずの調子で、話しかけてきた。
おい、隣のユーカはどうした? お前のナンパに無理やり付き合わせる気か?
「あら、どなたかしら?」
マックスと腕を組んで見せながらの対応は、つい冷たくなってしまう。
いくらこういうキャラだからって、エスコートされてるユーカも、いい気はしないだろーが、この女の敵め。ただでさえ、他に頼れる相手もいないのに。
ユーカを見ると、やっぱりどこか死んだ目で、浮わついたパートナーの様子を無言で見守っている。
「トロイ・ランドールと申します。3年ほど前、あなたと運命の出会いを果たして以来ですね」
「あなたの運命の相手はそこら辺にいくらでも転がっているようよ。他を当たったらいいわ」
「ああ、その冷たい視線も素敵だ。僕だけの女王様になってほしいところです。先程のダンスは素晴らしかった。私も是非一曲お願いしてもよろしいですか?」
めげなさ加減も絶好調だ。まったく懲りもせず、図々しく申し込んできた。だからそれは、ユーカに言ってやれっての。
ああ、そうだ。いい考えを思いついたぞ。ここでさりげなくユーカと友達になっちゃえばいいんだ。
私から近付くのは問題だと思って避けてたけど、偶然向こうからやってきてくれたんだから、グラディス・ラングレーとして自然な付き合いを始めればいい。私の変わり者好きは、さっきのティルダとの一件で周囲にも印象づいてるだろう。そもそも私自身が、誰より変わり者認定受けているしな。
「あなたと踊るくらいなら、そちらのお嬢さんと踊るわ。どうかしら? あなたが噂のユーカでしょう? 前に闘技場で一度見たことがあるわ。私がダンスを教えてあげる」
トロイへの態度とは打って変わって、親密な笑顔で誘ってみた。
アイザック情報では、好奇心が強くて行動的な性質であることは聞いている。鳶に油揚げをさらわれた顔のトロイを無視して、反応をうかがってみれば、ユーカの顔が照れながらも輝いていた。
「私も、踊りたい、です。さっきの、とても、キレイ。楽しい」
一生懸命、覚えたての言葉で、私に答えてくれた。
「ではお手をどうぞ?」
ユーカの手を取ると、タイミングを見計らって音楽が流れだす。私がリードして、丁寧にステップを踏んだ。
ユーカは日本人の女の子としては平均的な体型で、ここでは少し小柄に感じる。平穏な日常を送っていた、普通の女子高生。この世界では珍しい黒髪黒目の、可愛らしい顔立ち。初めて間近に見たその顔に、どこか懐かしさを覚えた。
「あら、上手ね? さっきのを見て覚えたの?」
「はい。私、学校で、ダンスの仲間。ダンス、好きです」
ユーカが楽しそうに答えた。ダンス部ってことかな? 言うだけあって、動きもリズム感もなかなかのものだ。多分チアダンスとかヒップホップとか、今時な別ジャンルだろうけど、踊り慣れてる感じは伝わる。
きっと慣れない世界で幽閉紛いに王城に閉じ込められてきて、ストレスが溜まってるだろうに、どこまでも明るく前向きに見える。
実際、周りから伝え聞く評判は、いいものばかり。
元気があって誰にでも気さくで優しくて気配りもできて、なんにでも全力で取り組む頑張り屋で、辛い境遇に愚痴も弱音も吐かなくて、助けてくれる周りの人への感謝を常に忘れない。
――そんな人間、いるわけない。
私は知ってるよ? それが本当の元気じゃないことを。それが本当の君ではないことを。
ユーカの顔を真正面から見下ろしながら、ゆっくりと話しかけた。
「ずーっと昔、外国生活が長い人に聞いたんだけどね、異国で暮らし始めた人の精神状態には、四つの段階があるんですって」
私の言葉に、ユーカは笑顔で耳を傾けている。
「一段階目のうちは、色々物珍しくて楽しいみたい。でも二段階目になると、そのあらゆる違いが欠点に見えてくる。些細なことが気に入らず辛くなったり、故郷に帰りたくてたまらなくて引きこもったり――精神的に不安定になるそうよ。――今、ちゃんと眠れてる?」
ユーカの張り付いた笑顔が、凍り付いた。
当然だ。まだ16歳の女の子が、耐えられるわけがない。家族も友達も故郷も、大切なもの全部から引き離されて、この先一生会える保証なんてない。いや、多分二度と戻れない事は、薄々気づいている。
君がいい子なのは、分かってる。でも――。
「偽るのをやめないと、いつか心が壊れるよ?」
ひび割れた笑顔の奥に、やりきれない激情が顔をのぞかせたのを見た瞬間――。
「――っ!!!?」
背筋がゾクリとした。なんだコレ!?
ヤバイ! ヤバイヤバイヤバイ!!!
今までにはない、避けがたい予感。今までは、常に回避可能だから余裕があった。これは違う。
何故なら、ここが爆心地だから。
――狙いは、私じゃなくてユーカ。魔法陣の上、自らの血だまりに横たわるユーカの姿が、確かに見えた。
ユーカが、次の生贄だ。
遠くに見えるトリスタンに、視線で助けを呼んだ。目が合った瞬間、トリスタンは、隣で驚くクエンティンを置き去りに、一直線に跳んできた。
――間に合わない。
判断した私は、とっさにユーカを抱きしめた。
その刹那、瞬く間だけ現れた極小の魔法陣が私とユーカを包んで掻き消し、タッチの差でトリスタンの腕は空を切った。