召喚
地面に浮かび上がった巨大な魔法陣が、エイダ以下預言者たちの足元を覆う。彼らは一切の迷いもなく、即座に出入り口へと退避した。エイダには事前にこの可能性を警告していたからね。ちゃんと、もしもの時の打ち合せはしてあったようだ。
入れ替わるように、警備の騎士や兵たちがなだれ込み、一斉に光る円を取り囲む。
闘技場の観客席は、一昨年の巨大アリの騒動を思い出し、瞬時にパニックになった。一様に立ち上がり、我先にと出口へ殺到しだす。
「ちょっ~、アリの時よりでかいわよ!? あんなの、一体何が出てくるの!?」
ロクサンナが、他の面々の感想を代表するように叫ぶ。
でもさすがに強者揃いの公爵エリア。家族として同席する一部の女子供くらいしか動揺してない。素早くそれぞれに戦闘態勢を整える。
マックスと叔父様が、瞬時に私の前に立った。
私は立ち上がって、二人の背中に手を伸ばし、その間に割って入る。
「グラディス?」
「グラディス、後ろにいろ」
「大丈夫。それよりも、よく見せて」
不審そうな叔父様と止めようとするマックスを押しのけて、隣に並んだ。一応怖がっている風を装うため、左右二人の腕にしがみつく。こういう場でなければ両手に花なんだけど。
巨大な魔法陣の中央が光りだした。
意外なことに、危険は感じなかった。
正直、あれだけ大掛かりな魔法陣を要しなければいけないほどの存在感を、あの光の中にまったく読み取れなかった。
トリスタンも同様に、欠片ほどの脅威も感じてないんだろう。つまらなそうに足を組んだままで座っている。
ラングレー家の緩んだ態度に、目敏いクエンティンがいち早く気付いた。
「なあ、トリスタン。あれ、ヤバくねえのか」
「戦いにもならないな」
トリスタンの敵を察知する能力は、一目置かれている。拍子抜けするくらいあっさりとした断言に、クエンティンは足を止めて、魔法陣の光に視線を戻した。
周囲の公爵や親族の騎士一同も、疑わし気に推移を見守り始めた。こういう場面でのトリスタンの信用、スゲエな。おかげで私にとっては、いい目くらましになってくれる。
静観の構えを取る公爵家エリア。それとは対照的に観客席は、闘技場いっぱいに広がるあまりに巨大な魔法陣に、アリ以上の大怪獣の出現を予感し、恐怖と混乱を極めていた。怒号が飛び交う中、騎士たちは、いつでも一斉攻撃できるような態勢で攻撃の合図を待つ。
王家の人たちは、厳重な警護の元にいち早く脱出させられている。連れて行かれるキアランが、心配そうにこっちを見た。
大丈夫だよ。安心させるように、笑顔で手を振って見送った。
ノアの姿はもう見当たらないから、とっくに避難済みだろう。ソニアのエインズワース家は、一族総出で敵を迎え撃つ準備を整えている。
それにしても、これを演出した奴は、性根がねじ曲がってるね。さぞ楽しいことだろう。これだけの大恐慌を引き起こしながら、これから出てくるのは、トリスタン曰く『戦いにもならない』程度の小物。
なんだっけ? 一周目のことわざにそんなのがあったよな。一匹のネズミでも出てくるっての? ああ、そしたら私でも大笑いするわ。
中央の光が、徐々に収まる。
光が完全に消えた時、そこに立っていたのは、一人の少女だった。
「!!!?」
見守っていた一同が、驚愕に息を呑む。
どんなとんでもない魔物が出てくるのかと戦々恐々で見守っていたのに、現れたのは、10代半ばの黒髪の女の子。
見るからに華奢で魔力も感じさせず、戦える雰囲気なんて微塵もない。
「マックス、目の色、分かる?」
遠すぎて見えない。でも、特殊能力持ってる騎士って、この距離でもはっきり認識できるらしい。
「黒だな」
当たり前のようにきっぱり答える。
犯人こだわりの、黒髪緑目とは関係ないらしい。
「あれ? あの服……」
おかしなことに気付いて、よく見ようと目を細める。
「服がどうかしたの? 『インパクト』のデザインっぽいけど。今年の夏に流行ってたやつよね?」
ロクサンナの問いに、首を振る。
「違う……確かに形は似てる。でも、アメリカンスリーブのミニワンピは、まだ世間には出てない。今この国であんな服、誰も着てないはず。あの子は、どこから来たの……?」
季節外れの、完全な夏服。転生してから初めて見るコルクヒールのサンダル。この国では珍しいポニーテール。最近やっと開発に成功したばかりのファスナーが付いたショルダーバッグ。その手に握っているのは……スマホ?
「――嘘、でしょ……?」
思わず、掠れた声で呟いた。叔父様とマックスの腕にしがみついた両手に、震えるほどの力が入る。
――いったい、何を召喚してんだよ!!
黒髪の少女は呆然と周りを見回し、凍り付くような悲鳴を上げた。預言者の真言を観衆に届けるためにセットされていた魔道具の拡声器が、少女の恐怖を会場中に余すところなく伝えてくる。
怯えたようにへなへなと腰を抜かしてへたり込こむ様子を、私はただ遠くから眺めていた。
普通の女の子が、いきなり完全武装の殺気立った戦闘集団のど真ん中に放り込まれたら、そりゃトラウマに残るレベルだっての。物騒なこととは無縁に生きてきたなら、なおさらだ。
『なにこれ、どうなってるの!? いやだ、助けてっ、お母さん!!』
聞こえてきた悲痛な声は、日本語だった。
私は思わず、叔父様の腕に顔を押し付けて俯いた。込み上げてくる怒りの表情を、誰にも見せたくなかった。
腹が立って仕方がない。本当に、何てものを召喚してやがる。
この世界に、死んで生まれ変わって赤ちゃんからやり直すのと、人生の途中で生身のまま無理やり連れ込まれてしまうのは、一体どちらがマシなんだろう。
――二度と、元の世界には戻れないことが前提で。