嫉妬
上山悟は東京の会社に就職して一年目。
「この夏休み、アバンチュールあった?」
三十前の大先輩が彼に聞いて来た。
彼は正直に答えたかった。しかし、できなかった。
同期入社の田山亜由美が近くでパソコンで文書入力している。しかも、この会話に聞き耳を立てている様子だ。
10日以前、上山悟は青春18切符で下関に住む祖母の所に行こうとしていた。
途中、広島の手前で同世代の女の子が乗りこみ、少し離れて、彼の横に座った。
彼女は時折、上山悟の横顔をちらりと見ては、また、視線を外すのであった。
そんな事が20分程続いただろうか。真昼の普通列車に、他の乗客はなかった。静かだった。
彼は思いきって、声をかけた。
看護学生だという。会話ははずんだ。広島観光をする事になった。
原爆ドームをはじめ、路面電車で動物園などをまわった。
夕方、わたし、学校出たら東京に行くからと言う言葉を残して、彼女は去った。
30前の大先輩はさらに聞きてくる。
「上山くん、なんか好い事あったんだろ?」
周りの先輩たちも騒ぎ始めた。
彼は正直に言うべきか迷った。
上山悟と田山亜由美は三回ほどデートを重ねていたが、最近は二回続けて、不自然な理由をつけて断られている。
もう、だめかも知れない……
彼はそう思い始めていた。
彼は事実を言うことにした。
「えぇ、ありましたよ」
刹那、田山亜由美はパソコンを打つ手を止めて、上山悟をキィッと睨んだ。
彼はその表情にドキリとした。同時に可愛いという感情も起こった。
もう一度だけ、デートに誘ってみよう。
上山悟は賭けに似た決心をした。