5 突然の来客です
急遽お客様がいらっしゃったということで、慌てて侍女と共に身なりを整え客間へと向かう。
整えるといっても髪を結い上げるだとか、服がよれていないか確認するくらいだったのでそれほど時間はかからなかった。
こういう時ほど、着やすいワンピースでよかったとリリスは思う。本来のドレスのようなものでは、身なりを整えるだけでかなり苦労するからだ。
とはいえ、周りの様子からどうやらお客様は上位貴族らしく、いつも相手をしている下位貴族ではないようなので、この服装が失礼に当たるのではと内心ドキドキしてしまう。
王宮から伯爵家の馬車でやってきた来客。いったいどういう人だろう。
遠目で見た姿は青味がかった銀髪で、体格からして兄と同じ少年。身なりは良く、馬車から降りた所作は優雅だった。
「失礼します。お父さま、お呼びとうかがいまいりました」
「リリスかい。入りなさい」
「はい」
軽くノックをし、中から入室許可をもらい所作に気をつけながら扉を開ける。
来客用だけあってかなり広い部屋に、年季と上品さを兼ね備えたテーブルとソファーが置かれてある。周りには調度品らしきものはなく、これも財政圧迫のあおりを受けていずれ手放さずおえなくなるだろう。
そんな部屋にはすでに両親と兄、姉、そして来客と思われる見知らぬ少年が一人がけのソファーに座り対面する形でこちらを見ていた。
うっとリリスは一瞬身じろぎをするも、なんとか取り繕いスカートの裾をつまむと淑女の礼の形をとることができた。
必死に笑みを浮かべお嬢様然とするが、この空間に自分がいるのは場違いな気がしてならない。ひくひくと顔が動いてなければいいと、心配になってくる。
(美形家族にならんでも遜色ない美少年!)
日を浴びキラキラ輝く銀髪に、まるで澄み切った青空のような青い目。
女顔なのか少し中性的に見えるけれども、まだ少年の域を脱していないので、成長すればきっとかなり端正な顔立ちの青年に長じそうだ。予想通り年齢は兄と同じくらいとみた。
戸惑いつつも挨拶をし、家族の所に座る。少年は何が楽しいのかニコニコと笑っている。その中に中傷や侮蔑の色がないことに、リリスはほっとした。
こんな美少年にそんなことをされたら、いくら精神年齢が高く図太いリリスでも寝込んでしまいそうだ。
「リリス、リビア、急に呼び出してすまなかった」
「いえ……」
「それはよいのですが……」
姉も自分と同じく説明もなく呼び出されたらしく、共に戸惑いながら頷く。
対峙している少年が二人とも気になり、なんとも気もそぞろな返事になってしまったのは仕方ないだろう。見ただけで高位の貴族然としているうえに、かなりの美少年なのだ。
父は苦笑と共に眉を下げ、少々困惑したまま続けた。
「こちらのお方はアスレン・ルエリエ殿下。どうやら、お忍びで我が領内を回るためにいらしたらしい」
「っ……!」
殿下!?というと王子様!?と叫ぼうとしたのを慌てて堪える。それでも息がつまってしまい僅かに声がもれてしまった。
なんで王族がここに、しかもお忍びで来ているのだ。
息を詰める姉妹の隣で、兄が疲れた顔でため息をもらす。
不敬に当たりそうな態度にも、アスレン殿下は表情を崩さず「彼の手を借りて、抜け出してしました!」と堂々とのたまった。
「し、失礼ですが、殿下と息子はお知り合いでいらっしゃましたか?」
母の質問にアスレン殿下は「いいえ」と首を振り「今日初めて会いました」とさらに衝撃的なことを言っている。
「元々マクベシー領のことは気になっていたのですが、王族という立場上早々視察にも行けずやきもきしていまして。
そんな時に、マクベシー家の者が謁見で来たのを聞きまして、無理を言って彼の馬車に同乗させてもらたんです」
「……」
アスレン殿下の言葉に声も出ず、部屋が静まり返る。
ただ一人だけ兄は「断ったんだ……」とやや遠い目をして呟いている。
「あれだけの被害を出したというのに、我が王家は費用を出すのみでほぼ放置に近い形でいましたので、気になっていました。
遣わした役人に詳細を聞いたりもしていたのでが、文面では全状況把握は無理だと思いまして来た次第です。ああ、連絡と公務はお気になさらなくても結構です。
いつ脱そ……お忍びをしてもいいよう公務は前倒しで処理しましたし、少々へまをしてしまいましたが出くわした兵士に伝言と、念のための書置きも置いてきましたから」
お忍びと直した王子さまは、それはそれは清々しい笑みを浮かべて万全ですと言い切った。
再び静寂が支配する部屋に、アスレン殿下の茶器の音と「これは」と興味深そうにお茶を見て呟く声だけが響く。
いつも最上級のお茶を口にしているので、我が家の安いお茶は逆に珍しいのかもしれない。
これだけでも羞恥ものだというのに、とうのアスレン殿下はそのお茶を一口すると興味深そうに再度口に含んで何やら思案していた。
「……訪問の理由は分かりましたが、こうして殿下がいらしても、見てのとおり我が伯爵家はおもてなしすら叶わないありさま。
領内を回るにしても案内をする者すら手配できそうにもありません。治安も悪く、もし殿下の身に何かありますれば、ルエリエ国の一大事となります。
どうぞ今日の所はお引き取り願い、後日正式に訪問としていただきとうございます」
アスレン殿下の説明に困惑した顔で父はそう言った。
ただしその内容を要約すると「そのお茶を見てもわかるだろう。そんな安い茶を出すくらい困窮してんだ。王子の護衛まで人を割くマネなどできるか。正式に訪問の許可をもらって、寝床と自分の身を守る者を自分で確保してから来い」といったようになる。
なんとも貴族らしい遠回りかつ、不敬にならない言い回しに、母も「そうですとも」と同意していた。
両親ともにこの訪問は困惑と同時に迷惑らしい。まだ子供のリリスでも、これはないだろうと思うほど、この王子さまはお気楽思考に思えた。
まずお忍びで来るというのがいけない。治安が悪いことは報告が上がっているはず、それなのに着の身着のまま着て「視察したいから面倒見て」はないだろう。
それに伝言を一般兵に預け、置手紙をしてきたらしいが、それが彼の身を狙った賊の工作行為だと王家で受け取るかもしれない。最悪、復興に不満を持ったマクベシー家が王子を攫ったと受け取ってしまう可能性だってある。
王子の傍つきにはみすみす見逃した罪で、厳罰が与えられてしまうかもしれない。
それに公務は済ませたというが、実際その日の公務は、その日にならないと分からないものもあるはず。すませたからではすまない。
きっと今頃王宮内では、蜂の巣をつついたような騒ぎになっているに違いない。
「……まあ、伯爵の言うことは正しいです。でも正式に訪問となれば日程の調整や、現地の事前調査をした後、とり決められた日程をこなすだけ。
私は、そんな決まりきったものを見たいわけではありません。この目でその土地の者がどう生活しているのか、何に困っているのか見たいのです。
伯爵家の皆さんには失礼ですが、現に国はマクベシー家の困窮具合を軽く見ていたようですし……。資金援助をすればいずれ立て直せると思っている、頭の軽い者が多い。
それではなんの為の援助と支援か分からない。
そんなことは王もわかってはいるのですが……とはいえ、王家が一貴族だけに深く肩入れするわけにもいかないので、全面的に支援すると貴族院に言えないのです。歯がゆいものです」
意外だった。見た目だけが良い頭の軽そうな王子に見えたが、アスレン殿下は色々と考えていたらしく、機動性も考える能力もお粗末だと、国の対応を切って捨てた。
敵国が攻めてきて荒れ果てた土地だが、いち貴族でしかない伯爵家を王家が全面的に支援するわけにもいかないのは理解できた。
隣国と接しているために、かなり王家に優遇されているのは確かだし、両親は国王夫妻とは学園時代から続く友。
そこだけに肩入れすれば、均衡を破ってしまう恐れがある、それに高位貴族からなる貴族院は、政をし、時には王の暴走を止める役目を担っている。――王とは貴族院が決定したものを吟味し、了承するのが仕事なのだから。
そんなところに目をつられれば、復興どころか潰されてしまう。王と友人であろうとも、貴族院の決定は重いもので簡単には覆せないものなのだ。
「マクベシー伯爵、そう難しく考える必要はありません。そうですね……おそらくもう少しすれば、王家から何かしらの連絡は来ると思います」
「しかしそう言われましても……」
「そうですわ、アスレン王子殿下。いかに殿下が、我が領を心配なさっているのか、よくわかりました。
ですが旦那さまがおっしゃっていたように、殿下に何かあっては国の一大事になります」
母も言葉を選びつつ、いかに穏便に王都へと帰せるか言い募る。
そんな必死な両親に、リリス達も不敬になると思いつつ「おかえりください」と小さな声で援護した。
特に連れてきてしまった兄は、責任から誰よりも帰そうとしていた。しかも最後は最早敬語ですらない。
「うーん、やっぱり王族っていうのは不便だよな。王位継承権も足かせにしかないし。
そもそも私は王より官吏になりたいというのに、誰も許してくれないし」
「当たり前です!」
ルエリエ国は男児継承なので、アスレン殿下以外は王女殿下しかいない王家では、弟が生まれない限り臣下にはなれない。
普通王族ならば、官吏よりも王になりたいと思うものだと思うのだが、この王子さまは違うらしい。
本当に変わり者の王子さまだ。
「失礼します。旦那様、王宮から使者の方がいらっしゃってます」
「王宮から、か」
なんとも言えない雰囲気の中、執事が新たな来訪者を告げた。しかも王宮から。
これは先ほどアスレン殿下が言っていた、王宮からの使者だろう。顔を強張らせ、父が使者をこちらに通すよう執事に伝えた。
「さて話はここからが本番ですね」
にっこりと人好きのする笑みを浮かべているというのに、どこか薄ら寒い空気を漂わせたアスレン殿下に、リリス達はゴクリと息を飲み込んだ。