97 見守りの期限(12)
「立村、言いたいことあるならまず座ろう」
しかしなんとまあ関崎の冷静なことか。顔色ひとつ変えやしない。
「人を怒らせといてそれはないだろ!」
さすがに人目をはばかり声は押さえる。もちろん落ち着いたわけがない。上総の顔を座ったまま見上げ、関崎は真摯に答えようとする。
「怒っているのはお前のひとり相撲だ。それにとりあえずは、一学期終業式での、例の借りを返すのも悪くないからな」
「借り?」
━━関崎が俺に借りを作った?
一瞬ぴんとこず尋ね返す。とたん、あの日の暑さが身体に読みがえる。
情けないくらい疲れはてて自転車ごとまとめて運ばれたあの夏の日だ。
「関崎、お前、そういうことか!」
テーブルを支えていた両腕から力が抜けた。椅子に座り込んだ。そういうことであれば、関崎が上総になにかしても、とりあえずは言い返すことなどできない。
顔を背けた。しっかりと寝技で押さえつけられ、身動きとれない心境だった。
関崎は変わらない。たんたんと語り続ける。いまいましいほどに。
「今だから言えることだが、俺は心底驚いた。なんで清坂がそんなこと言い出すのか俺には不可解だったからな。立村、お前だけだ、わかっていたのは」
「そんな前のこと、なんで持ち出すんだよ」
「だが、結果としてはあの場にいた羽飛も含めて生徒会でいい関係になったわけだしそれはそれでいい。だが、人の気持ちを利用していろいろ策をめぐらせるのは俺としてはあまり好かないのも確かなんだ」
「悪かった、悪かったよ」
体勢を建て直して一矢報いたいのが本音だが、なにせ見つからないのだからしかたない。一学期終業式で上総は確かに関崎へ、騙し討ちに近いことをしたのは事実なのだから。かつての恋人とされる美里を、あえて上総の目の前で関崎にぶつけることにより、よい方向に向かうんじゃないかと言う完全な思い込みだった。正直なところ、関崎の押し付けがましい友情に辟易していたのも否定はできないし、ここで勝ちに持っていきたいという本能が働いていたこともたしかだ。
もっともあのあと、羽飛と話したり、静内さんという女子の存在などを知ったり、生徒会の繋がりが出来上がったりといろいろあって、結局はもうなるようになるしかないのではと思っていた。上総は単に、美里を勇気づけるきっかけを作りたかっただけだしその目的は達成している。そう信じている。関崎にはどんぐり眼の弟分の面倒だけきっちり見て迷惑かけさせないようにしてほしい、その一点のみ。
━━関崎はいい奴なんだ。それは中学の時からよくわかっている。
━━けどさ、なぜ、よりによって、こういうことするんだよ。
━━見てみろ、あいつ正義だと信じきってるし。
「これも機会に俺の言いたいことをすべて言わせてもらう。黙って聞いてろ」
上総の思惑を知ってか知らずか、関崎は滔々と語り出した。幸い周囲は上総たちにさほどの関心をむけていない様子だった。それだけが救いだった。
「彼女の件は俺も前から誤解を解きたいと考えていたがなかなかチャンスがなかった。こういってはなんだが、俺は最初から、彼女のような性格の人間は友人としても苦手なタイプだった。それを本来は最初に伝えればよかったのだろうが、いろいろな事情が絡み合ってそれも果たせなかった。そこまでは、わかるか」
軽くテーブルを叩く関崎。答えたくもない。答える必要なんてない。
「一方でこの学校に入り、俺は初めて知ったんだ。立村の名前を知る生徒のほぼ百パーセントがお前の本心をしっかり見抜いているということを、だ」
━━ああそうだろうよ。俺はでき損ないの評議委員長でクーデターで引きずり下ろされたみっともない奴だからな。俺のことをそりゃ知っているだろうよ。けど、本心を見抜く? そんな暇な奴どこにいるんだよ。何様のつもりだよ。
口に出したら関崎との人間関係が崩壊しそうなことを何度も心で呟く。
全く気づいていない。この鈍感さというかおおらかさというか。
━━こういうところが、理想のローエングリンと重なったのか?
無視して関崎の大演説を聞き流す。無視したくても目の前にいる以上終わりやしない。
「さまざまな誤解曲解はあったにしても、いわゆる彼女がらみのことで間違った認識している奴を、俺はなぜか一人も出会ったことがない」
ここで関崎は言葉を切り、またまっすぐに上総を見つめた。今はできれば避けてほしいその眼差し。無視する。
「いや、ひとりいるか。当の本人、立村、お前だけだ」
絶対に耳にいれたくない言葉を、関崎は力込めて言いきった。
「誰もがお前の、彼女に対する溢れんばかりの本心を気づいているにも関わらずなぜ俺に無理やりくっつけようとするのかそれが最初は理解できなかった。もちろん彼女の気持ちも、俺なりに想像はしていたが、受け入れられるものではない。きっちりけりをつけるべきだと機会をうかがってはいたんだが、俺も他力本願なところがあったのも事実だ」
━━他力本願かよ。さっさと杉本が別の奴に熱あげてくれるのを待っていたってことだな。悪いがお前は杉本のことを全然知らないからそんなこと言えると。
思いかけたところで、関崎の言葉がまっすぐ上総を刺してきた。
「たぶん立村、お前が彼女になにかアクションを起こして俺の問題は自然消滅するであろう、と読んでいたからだ」
━━こいつ、この一年間、そんなこと考えて……!
まじまじとにらみ返した。関崎に対する好感度が思いきり下がるのは、奴の自業自得だ。つまり上総がさっさと杉本に手を出すなりなんなりして、関崎を解放してくれると期待していたというわけか。
━━杉本にとって一番耐えがたいことをしでかすほど、俺はそこまで落ちていないつもりだったのに、関崎、お前って奴は……!
「関崎、そんなこと考えて俺と今までしゃべっていたというわけか!」
しかも関崎は軽々と上総の予想に反した言葉を返してくる。
「いやそれはない。俺の思考の九十九パーセントは全くそちらに向いていない。たまたまこの前、彼女と再会して話す機会があったので過去の記憶がいきなり蘇っただけだ」
「関崎、そこまで言うか」
「てっきり俺は、彼女がお前の行動がどんなものかを把握できていないのだろうと考えた。だったら教えてやるのが当然じゃないかと思った。それで伝えたら、そんなの良く知っているといった顔で返事されてしまった。そういうことだ。お前の彼女に対する気持ちはとっくの昔にばれているし、お前が必死に隠そうとしてじたばたしても、もう無理だ」
━━本当にこいつはなにもわかっていない。
大きく溜め息つきたくなる。外部生に見えない事情が過去三年間蓄積していて、上総に対する眼差しが非常に厳しい中、同じく嫌われものの杉本梨南が見た目にはお似合いだと決めつけられているだけのことだ。上総が杉本梨南とそれなりのペアとして見られた場合、恐らく九割がたの問題は解決するという自負はある。周囲に迷惑をかけることはほぼなくなるだろうし、杉本をなだめるのはいつものことなので苦にもならない。ただ問題なのはひとえに、杉本の気持ちであって、絶対に受け入れたくない存在の上総に飛び込むくらいなら湖に身を投げるんじゃないか、そこまで思う。
━━周りがそうしたがっているだけで、杉本は一切求めていない。
━━それをなんでしつこく、関崎までが。
一番言うべきではなかった奴は関崎だ。それだけは断言したい。
「知っているのであれば簡単だ。詳しい事情はわからないにしても、中学卒業式を境にもう会えなくなるのであれば、お前はお前なりにきっちり行動を取るべきだろう。将来については向こう側の立場も踏まえて考えねばならないが少なくとも、今までのような男子を見下すような口調は控えるようにとさりげなく釘は刺したつもりだ」
傷に塩をすりこむとはこのことだ。自分が正しいと信じきっている目の前のローエングリン殿をぶん殴ってやりたいのを、必死にこらえる。
「余計なこと、なんで言うんだよ」
「そうでもしないとお前はずっと、俺と彼女をくっつけようとして、疋田を伴奏要員として送りこんだり遠くから見つめたりといった、回りくどいことしかしていない。そういうところもお前のよさだとは思うが、いわゆるその、誰が彼がというようなことについては向いていない。むしろイエスかノーかきっちりけりをつけるべき問題だろう。俺がお前に言えることはひとつだ。もう彼女がここから出て行くのであればきっちりけりをつけるべきだ。人にそれを勧めてきたお前ならば、自分でも習うべきだ」
━━人に勧めていた、な。確かにそうだよな。自分がしたことはちゃんと自分に返ってくる。見事な法則だよ。ご立派だ。
「しつこいようだが、俺はきちんと彼女に、そういう感情が一切わかないことを断言しておいた。もう動かない。同時に今まで彼女がお前にしてきたような振る舞いをし続けることはよくない、断じて排すべしとも。少なくとも俺が清坂にされたような行為を、立村が彼女にしたとしても、露骨に傷つく言葉をぶつけられる心配はほぼない。約束したことは死んでも守る人間なのであれば。どちらにせよお前が彼女のことしか見ていないのは、大げさなようだがお前を知る人間、全員が知っている。ばれて恥ずかしいことではない」
「そういう問題じゃない」
完全に関崎との方向は正反対だった。もう議論しても無駄だということだけは理解した。外部生だから、附属上がりだからという問題ではない。関崎は上総のことを真摯に思ってアドバイスしてくれているのだろうとおぼろげにはわかるけれども、本来考えるべき杉本梨南への想いがまるっきり欠けている。関崎を責めることはできないけれども、今の言い分だと、杉本が耐えられない奴を涙呑んで選び、さっさとどこかにしまいこまれてほしいという溜め息のみ。
━━杉本は、もう逃げ場所どこにもないのか。
上総は立ち上がった。コートを羽織った。
「また、明日」
どちらにしても終業式まで会わねばならない相手には、礼儀で返すのみ。関崎は黙って見送っていた。
━━杉本はもう、青潟から出ていったほうが楽なのかもしれない。




