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96 見守りの期限(11)

 ━━関崎はいつもこうやって見るんだよな。

 心中を覗かれないように上総はゆっくりと話を続けることにした。

 関崎はもともと杉本に興味がないのだから相手が不機嫌であろうがなかろうが、どっちでもいいことだろう。ただ、まあ、確かに言い訳はしておかないとあとあとつっこまれて面倒なことになる。嘘をつくまでもないのでさらりと答えることにした。

「関崎の歌声はもううちの学校で知らぬものないからな。あの時、たまたま帰りの週番が終わって少し他の人たちとしゃべっていたんだけど、わざわざ知らせてくれたんだ」

 嘘ではない。南雲や疋田さんといろいろ話をしていただけだ。さすがに静内さんとの会話については触れないことにしておく。内緒にしてほしいと向こう様から言われたのだから。関崎は特に気にせずに、またぶっきらぼうに、

「じゃあお前なんで来なかった」

 追求してきた。答えは隠すまでもない。

「せっかく杉本が関崎といるんだったらあの伝説の歌声を聞かせない手はないなと思ったし、杉本は音楽へのこだわりが強いから中途半端な弾き手だとまずいかなって。それでたまたま疋田さんもいたことだし頼み込んだわけなんだ」

「疋田もいたのか」

「うん、規律委員だから。お互い貸しを返す機会でいいんじゃないかってことで」

「貸し?」

 別に疋田さんとは貸し借りしているわけではないけれど、なんとなく理由付けできたほうが納得してくれそうな気がした。実際、宇津木野さんとのことについては上総もかなり動いたはずだった。


 やはり関崎は上総の予想通りに反応を返した。はっとした風に口を少しだけ開けて、ほうと、

「もしかして立村、宇津木野のことを言ってるのか。俺も今まですっかり忘れていたんだが、そろそろ時効だろう。疋田とたくらんだのってあのことか」

「人聞き悪いな。たくらんだんじゃないよ。けど意外と関崎、勘がいいよな」

 全くもって嘘ではない。関崎にはへたな小細工をする必要がない。上総も罪悪感感じずに自然と話を進めることができる。

「いきなり俺に歌わせてテープに録音するなんて発想、普通はないだろう。それもプレゼントにするなんて意味あるのか」

「あったよ。関崎にはぴんとこないかもしれないけど、宇津木野さんにはあった。もう気づいてるだろうから言うけど、宇津木野さんは関崎の歌がたいそう気に入ってたらしいんだ。疋田さんから聞いただけだから伝聞だけどさ。宇津木野さんの音楽に対するこだわりは想像以上のもので、めったにおめがねにかなうものが見つからないそうなんだけど、関崎の歌だけは別だったって。それで、なんとしても関崎の完璧な歌と疋田さんの伴奏でもって思い出に残してあげたいってことで、規律委員会の合間に疋田さんと相談していただけなんだ」

 全くもって本当のことばかりだった。


 複雑なのかそれとも照れなのか、ちょっとばかり関崎の表情が紅潮してきている。誉め言葉の嵐で居心地悪いのか。こっちとしてはお世辞を言っているわけではないので、真正面から見つめられても落ち着いて交わすことができる。  

「それならもっと早く言え。あの時いきなり引っ張り出されてびっくり仰天したぞ」

「悪かった。説明すると他の奴にばれてしまうしまずいかなと思って。あとで聞いたことだけど宇津木野さんは大喜びしてたらしいよ。これが俺の言う疋田さんへの貸しってことになるんだ。せっかくだから今度は俺が手伝ってほしい時に頼みたいって前から頼んでて、今回疋田さんも気持ちよく引き受けてくれてさ」

 もっとも疋田さんが、ピアノ出前一丁を目論む実は芸人根性の塊であることは、あえて暴露しないでおいた。これから先まだ、ピアノのミューズのイメージを保っておいたほうがあとあと都合よさそうだ。

 関崎が突然、話の腰を折った。

「あのな、立村、肝心なことを確認してないんだが、お前、なんでそんなことした?」

「だから、お前に歌わせたら」

 あっさり答えるつもりだった。

 すぐに口に出てこなかった。

 なぜだか、また心臓が高鳴り始める。簡単な言葉なのに。なぜこんなにも息がつまるのかわからない。いったん呼吸を整えて無理矢理言い切った。

「絶対、喜ぶと分かっていたからさ」

 ━━喜ばないわけがないって、最初からわかっていたじゃないか。

 ━━杉本のほしいものは、ずっとまえから俺には全部見えていたから。

 ━━ただそれだけだって、本当に。 関崎は上総の言葉を聞き、少し間をおいた。


 いつもの素朴な口調で、

「俺が見た限り、彼女は喜んでいなかった」


 妙にそのことを繰り返すのが気にかかった。音楽、ローエングリンを愛する杉本梨南が心ときめかさないわけなどない。たぶん杉本のことだから、感情をうまく見せられなかったのだろう。ここは誤解を解いておく必要がある。そのくらいは上総にも仕事としてできる。

「それは関崎が杉本のこと知らないからだよ。人前ではうれしいとかそういう感情めったに見せないからな。完璧な音楽のハーモニーと感じれば、ただでさえ関崎なんだから、そりゃうれしいよ」

「だから何度も言ってるが、全く感激してなかった。なんでいきなり俺が本能全開にして歌っているのか謎だという顔をしていた」

 ━━関崎、お前本当に心底、鈍感というかなんというか。

 確かに歌っている時の関崎の表情には、上総から見ても殺気じみたものを感じることがまあないとは言えない。だが、まがりなりにも杉本のローエングリン様なのだから、いやという気持ちはないだろう。そこまで杉本を嫌っているのだろうか。噂通りかの静内さんをひいきにしたくてならないのだろうか。美里の懸命なアプローチに落ちないのもそこが理由なのだろうか。

 軽く茶化してもう少し言い訳しようと口を開こうとしたが、関崎に遮られた。妙に熱い。

「お前が想像しているほど、彼女は俺のことに興味がないと思う。それに俺も、帰り際止めを刺した」

「止め?」

 なんだかいやな予感がするのは、風邪がぶりかえしたからか。

 できる限りの力を振り絞り、平静を装った。

 ━━関崎、お前、まさか、最後の最後でまた杉本に。

 話の内容によっては出方を変えねばならない。

「彼女の気持ちには感謝したが、受け入れられないことはきっちり伝えた。同時に、俺にとって彼女は本能的に受け付けないタイプだということもだ」

「本能的に?」

 ━━なんだ、前と同じことじゃないか。

 ある程度予想はしていた内容だった。まあ関崎のことだから、それなりに紳士な対応をしてやったと信じたい。

 関崎の言葉はひとつひとつ上総の思惑を裏切っていく。

「そうだ。ただ、俺が今まで彼女と接することで感じてきたことを一通り伝えはした」

「まさか」

 ━━関崎、お前、ちゃんとローエングリンとしてしゃべったよな? まさか新井林になりきったなんてことはないよな? さすがにそれされたら杉本だって立ち直れないぞ。場合によっては俺もまたなにか動かねばならないかも。

 関崎は続けた。あの日、杉本が言われたことを、想像する限りの痛みでもって上総は受けとるしかなかった。

「あの、上から見下ろすような口調で話されたら大抵の男子は不快を覚えるということ」

 ここで関崎はちらと上総を見つめ直し、言葉を重ねた。

「だが俺の知る限りひとりだけ、受け入れてくれる相手がいる」


 ━━関崎、お前、まさか。

 この瞬間まで全く予想していなかった言葉。

 杉本が言われたとたん、地獄の淵に叩きのめされるであろう言葉。

 親切ごかした連中から浴びせられつつ、あえて青大附高のローエングリンを思いつつ、必死に立ち続けて生きてきた杉本が。

「関崎、まさかお前」

 上総を心底嘲笑うかのように関崎は言い放つ。

「その相手に彼女が優しく接する事がない限り、俺はこれ以上よい感情を持つことはない。少なくとも今のような口調でそいつに話し続けるのであれば、俺はずっと軽蔑し続けるだろう。まあ、そんなことを一階の階段踊り場で伝えた」

 どう考えても杉本にとって悪夢のひとときだということだけは理解した。

 ━━関崎にだけは、絶対に言われたくなかっただろうに。

 関崎は上総の顔を自信ありげに眺めつつ話を進めた。

「その相手が誰かってことは、もちろん特定して伝えた」

「関崎、お前、なんてこと」

 もう答えはわかっている。杉本がどんな想いでその言葉を聞いたかも。

 卒業式までの一週間生き地獄のような絶望を感じていたかを。

 絶対に、関崎だけは、口にしてはいけない言葉だったのに。

「そうだ、そいつは今俺の目の前にいる。彼女も約束してくれたと思う」


 もう押さえられなかった。気がつけばテーブルを両手で殴り付け立ち上がっていた。なぜ、自分がこうもゆさぶられるのかわけがわからない。わかるのはひとつだけ、関崎が、絶対に話してはいけないことを、杉本梨南に言いはなったということだけだった。

「関崎! よりによってなんてこと言ってくれたんだ! なんで、なんで杉本にそんな約束させたんだ! 杉本が一度でも約束したら、どんなに意に染まぬことだっても死に物狂いで守るんだ。たとえどんなに相手が嫌いでも、どんなに憎んでいても、約束は意地でも守るんだ」

 誰よりも杉本の性格を側で見てきた自負はある。どんなに理不尽で、守る必要のない約束も杉本はかたくなに守る。関崎に会うのは青潟東に合格してからと心に決めていたのも、関崎が二年前に含みを持たせるなにかを伝えたからだ。あれから何度か会わせるよう手はずを整えたこともあったが、上総が反対に罵倒されるはめとなった。一度でも結んだ約束をたがえることは、杉本にとって身を切られるよりも辛いものだろう。

 そんな杉本に、よりによってあの関崎が、

 ━━付き合いの相手として振るならわかる。けど、なぜ、最後の最後で余計な約束させたんだよ! これから先、杉本はどんなことがあっても、絶対に俺に対してなにかしないといけない、そう思い込まされ、青潟を出ていかなくちゃならないんだ。せめて、別の、たとえば新井林みたいな奴とか、そういう風に言えばまだしも、杉本がこの三年間もっとも避けたかった俺なんかにやさしくしない限り、関崎は認めないなんていわれたら、そうせざるを得ないじゃないか。

「だったらどうなるんだ。あるべき形に戻るだけだ。俺はそれを願っている」

 危うく関崎をはっ倒す寸前で、辛うじてこらえた。さすがにここは人目がある。水鳥中学出身の義兄弟には、なぜもこういつも苦汁を飲まされるのか。

 ━━お前らしくなく気を利かせたつもりか、余計なお世話だ!


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