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95 見守りの期限(10)

 一夜明け、上総は追試の結果を確認するためと、まだ惰性で続く授業の消化のため学校に向かった。たぶん、野々村先生の言う通り答えの丸暗記でなんとか乗りきれたような気がするのだが。

「おっはよー!」

 教室に入るとすでに到着していた古川こずえと清坂美里のふたりが手招きしていた。昨日の卒業式ではいろいろと大活躍だったようで、疲れぎみの美里をちらと様子見した。

「昨日の卒業式は大変だったらしいよな」

「まあね。手際悪すぎってのが一番だけどそれはそれでしかたないかな。私たちが卒業する時までにはなんとかしたいなって思うんだけど」

「余興もなにもなかったって話だけどな」

「そう。まあ厳粛な式典だしってのもわかるけど、ひとりひとり受けとる間吹奏楽の子たちがひたすら演奏し続けて、またそれがほんと長いのよ。別にいいじゃないのクラス代表が受けとる形で。来賓挨拶が多いのは覚悟していたけどそれでも十人もよ。話が終わらないったらないの」

 タイミング悪くたちの悪い風邪をひいていた卒業生が多かったと言うのも一因らしい。三月中頃ともなればインフルエンザは収まっているはずなのだが。

「甘い甘い、その頃ってね、せっかく打った予防注射の効果が薄れてきだす時期なのよ。たまたまそれでみんな風邪引きさんだったのもあってね。ばたばたと倒れたみたいよ」

 こずえが補足する。

「どちらにせよ、中学と高校は全く仕組みが違うってことを再認識させられちゃったな。これから先大変よ」

 自分自身の在校生答辞についてはなにものべず、美里は教室を出る前に、

「とりあえずなんだけど、立村くんごめん。例の集まり、終業式あとの日曜日になっちゃったんだ」

 決定事項を伝えて去った。やっぱりな、といった感想のみだった。

 

 関崎が藤沖と現れ、その他吹奏楽集団が朝練から戻ってきて、それなりに会話も交わしているうちに麻生先生が現れた。

「さてと今日も授業を始めるぞ! 大好きな先輩が卒業して第二ボタンもらえなかった奴もこれからまだまだ学校生活は続くんだ。気合いいれていくぞ! ああそれとだ」

 さらに付け加えるように、

「追試控えている連中に告ぐ。今年はまあまあ大目に見てやったこともあるが、来年からは全く方針かわるからな。今の間に気持ちを入れ換えて勉強しろよ。でないと三年半ばで進学先に頭悩ませるはめになるんだからな。よっくおぼえとけ」

 ━━なんで俺をにらむんだろう。

 少しだけ、麻生先生の眼差しが気にかかった。上総も理数系はすべて追試を受けている立場なので口答えはできないが。ただ、なんとかなりそうな気はした。


 追試結果は上総が巡礼しなくても、それぞれの科目の先生たちが教えてくれた。読みどおりなんとかなったというのが結論だったがどの先生もみな、

「今回はな特別に大目に見たけどな、来年はそういかないぞ」

「大学進学のことも考えろよ」

 口を揃えて言うのが妙にひっかかった。

 ━━そりゃ、俺の成績だとなにか言いたくなるのもわからなくないけどさ。

 とりあえず留年せずにすんだことや、春休みの再追試にひっかからないですんだのだけはなによりだった。


 なんとなく過ごしていくうちに午後となり、いつものように帰りの会ののちみなばらばらと教室から出ていく。ちらと後ろにいる関崎をみやった。

 ━━あいつと会ったのかな。

 昨日見かけたどんぐり眼のあいつのことを、ちらと思い浮かべた。

 藤沖、片岡と話しつつもあっさり見送っている。

 ちょうどよくひとりで荷物を片付けている。関崎の場合ひとりでふらふらしていることが少なく、実はあまり声をかけにくい。様子をうかがっていたが別の奴と話をする気配もない。

 上総は立ち上がり、関崎に近づき声をかけた。

「関崎、ちょっといいかな」

 鞄に入れた手を止め、関崎が穏やかに答えた。機嫌は悪くなさそうだ。

「どうした。俺はいつでも大丈夫だが」

 呼吸を整え、上総もできるだけ平静を装った。できればこれからふたりで、余計な連れのない状態で話を聞きたい。ひとつは例のあいつのことだが、もともと関崎と連絡をとっていない可能性もあるので様子見しながらになるだろう。あとは、

 ━━やはり、直接、話した本人と、さしで話だよな。

 関崎と話すのは全く問題ないはずなのに、なぜか心臓が喉もとにて鳴り響いている。別になんでもないはずなのに、だ。

「すぐに終わる」

 春の日差しがあたたかい。コートを着込み上総はできるだけさりげなく関崎を外に誘った。不思議そうに関崎は上総を見たがジャンパーを腕に引っかけたまま、鞄をぶら下げて教室を出た。


 追試の話をしながら生協の食堂へと向かった。高校三年がいなくなり、ついでに中学三年も姿を消した中、席には余裕があった。人気の少ない場所をあえて選んだ。窓が空いているのは運が良い。

「でもなんとか進級できそうでよかった」

 関崎も上総が追試の嵐で苦労しているのを知っていたらしく、ふむふむ頷きながら聞いていた。

「追試乗り切ったというわけか」

「追試一度や二度じゃないからな」

 外部生でありながら追試に当たらずにすむことが奇跡だと言いたいが、今日のテーマはそれではない。上総はもう一度周囲に知り合いがいないかどうか確認した。噂を撒き散らしそうな奴がいれば場所を変えるか無難なところで納めるかしなくてはならない。

「なんとか一段落したところでなんだけど」

 関崎はしっかと席につき、ぶっきらぼうに答える。

「誰もいないから普通に話していいだろう。別にそう声を潜めなくてもいい」

「いや、あまり人には知られたくないことなんだ」

 水を紙カップで持ってきて、関崎の前においた。なぜか下手に出てしまう。自分でもなぜそうしているのかわからない。

 ━━で、何て言えばいいんだろう。

 じっといすくめられ、完全に獲物の気持ち。

 一呼吸置いた。自分でも全く思ってもみない言葉が飛び出した。

「少し前のことだけどさ、杉本のこと、いろいろとありがとう」

 自然と頭が下がった。なにかそうしなくてはいけないような気が不意にしたからだった。何はともあれ、関崎に杉本梨南のことで何年も迷惑かけてきたのは事実だ。これはやはり、

 ━━俺が、立場上、することだよな。いや、しなくちゃいけないことだよな。別に変でもなんでも、ないよな。

 自問自答しつつ、関崎の問いを聞く。

「お前どうしてこなかった?」


 やはり気づいていたのだろう。あの日から一週間経っているし、それまでの間関崎は一切上総に聞きに来なかった。疋田さんあたりから聞いたのだろうか。

 落ち着いてかわすことに専念した。それならたぶん、できるはずだ。

「なんで俺が行く必要あるんだ? 杉本は関崎に会いに来たんだから」

「じゃあなんでいきなり、疋田だけひとり送り込んだんだ?」

「ああそっか、それか」

「杉本と関崎が音楽室に向かったのをたまたま見かけたから、それだったらせっかくだし疋田さんの伴奏で関崎の歌を聴かせたら喜ぶかなと思ったんだ。それだけ、本当にそれだけだよ」

「俺に歌わせてどうするんだ」

「歌ったんだろ、『モルダウの流れ』」

「一番しか歌わなかったので中途半端だが」

「そうか、それで杉本はどうしてた?」

 また心臓のあたりがとくとく言い出す。本当にわけがわからない。

 ━━どうせローエングリン様素晴らしいとか言ってたんだろ。わかってるよ。

 密かに悪態つきつつも、関崎の次の言葉を待った。

 関崎は上総をじっと見据えていた。まっすぐに、ゆっくりと、言葉を発した。


「わからんが、あまりお気にめさなかったようなんだ。それより俺も聞きたいんだがなんで立村、いきなりあんなわけのわからないことやったんだ? 俺にはそちらのほうが不思議でならない。話したいなら直接音楽室に来てもよかったんじゃないか。お前だって『モルダウの流れ』は伴奏やってたんだからな」

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