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9 新生E組(1)

 学校祭が終わると生徒会役員の改選準備が始まる。

 毎年恒例とはいえ、信任投票で決まるのはほぼ確定だ。

 すでに三年の梨南には全く関係のないことだし、現生徒会長の佐賀はるみが親切ごかして、

「梨南ちゃん、元気なさそうだけど大丈夫?」

 声をかけてくることにも慣れた。

「話しかけないでもらえるかしら」

 の一言で弾き返せばいいことだから。向こうからしたら生徒会長という学校内でトップの立場である以上、大嫌いな梨南にもやさしくしなくてはと思っているのだろうがノーサンキューの一言でよし。もう、佐賀はるみには梨南にすべきことをきっちりしてくれたのでこれ以上求めるものはない。それにもう、

 ──卒業までは最低限の接触ですむから。

 梨南は朝のまだ暖房がかかりきっていない廊下を歩いた。一年前は毎日「教師研修室」に通いひとりで問題集を解き駒方先生の側で勉強に励んでいた。あの時と同じ状況になることくらい、ささやかなことだ。

 ──私はひとりのほうが向いているから。


 教師研修室の扉を開いた。少し広々した教室に大きめの机が並んでいる。三年に上がってから足を運ぶこともあまりなくなったせいか、だいぶレイアウトが変わっているよう見えたが気のせいだろう。廊下と違い部屋の中の空気はぬるんでいた。

 席はどこがよいだろう。やはり、教卓のまん前が一番だ。どうせ自分のためにだけ用意された隔離場所。目的は万が一奇跡が起こった時のために備えて受験勉強をすることのみ。そのために父も学校側としっかり交渉してくれたはずだ。どんなことがあっても父は梨南を全力で守ってくれると言ってくれた。たとえ担任にどんな罵倒を成されようとも、いざとなれば学校側を訴えることも覚悟していると断言してくれた。

 もう怖いものはない。

 まだ鐘が鳴るまで時間がだいぶある。梨南はかばんから教科書とノート、青潟の公立高校受験問題集過去五年分を用意した。できるだけ目を通しておく。暗記はとっくの昔に終わっている。でも、忘れないようにしたい。

 扉がいきなり開いた。顔を挙げた時、何かが目の前で凍った。

「おはようございます。杉本先輩」

 ──何、あの人。

 思わず立ち上がっている自分に気づく。この場所に、あの扉に、ありえない人がいる。まだ声変わりをしていない甲高い声に、不気味に整った顔立ち、その輪郭はかつて梨南を心から可愛がってくれたあの先輩にうりふたつ、ただ男と女の匂いだけが違う。

「霧島くん、何か御用ですか」

 梨南が発することができたのはこの言葉だけだった。

 霧島ゆいの弟が意味ありげな微笑みを浮かべて立っていた。


 梨南を絶句させたことに満足したのだろう。霧島は慇懃に礼をしてコートを入り口で脱ぎ、そのまま扉を閉めた。学校の教室では入り口で無理にコートを脱ぐ必要などないし、もっと言うならまだ十一月の半ば、まだまだ制服のみでもいける。さすがに梨南は少し薄めのコートを用意しているが男子では珍しい。

「僕のほうこそ、驚きました。立村先輩から何も伺っていなかったものですからね」

 一応は梨南も霧島にとっては先輩にあたる。それなりの礼儀は保っている様子だ。梨南が席につき机の整理をしていると、霧島もひとつ開けてその隣りに座った。廊下の入り口に近い席だった。

「本当は僕も真ん中の席を取りたかったのですが、レディーファーストですから譲ります」

「いいえ、結構です。譲りましょうか」

 後輩は呼び捨てでもいいはずだが、梨南の価値観としてそれは相容れない。ただでさえ霧島は、かの霧島ゆいの実弟だ。あまりよい関係ではないことくらい承知しているが血縁にあたる相手を邪険に扱うわけにはいかない。

「そんなことしたら立村先輩に怒られるのが目に見えてます」

 ふふ、と霧島は微笑みを浮かべた。改めて観察してみるとやはりこの姉弟はそっくりだと再認識する。姉の霧島ゆいはふわりとしたパーマに気品のある顔立ちを保ち、いつもは校則にのっとってポニーテールに結い上げていた。たまに霧島先輩の友だちだった西月先輩が髪の毛を解いて丁寧に撫で付けてあげていたのを思い出す。童話に出てくるお姫様、不思議の国のアリス、さまざまなメルヘンの世界が繰り広げられる。

 ──霧島先輩に伝えたほうがいいかしら。

 何の用なのかは無理に聞く必要もない。どちらにせよこの教室を統括する教師として菱本先生がそろそろ来るはずだ。この前の学内演奏会でも立村先輩に伝えたことではある。なぜ、隔離教室E組に菱本先生のような年齢の若い先生が割りあてられるのだろう。立村先輩たちを受け持った三年間が終わり一年は担任をはずされるしくみとは聞いたことがあるが、いくらなんでもE組というのは梨南も信じがたい。

 ──立村先輩のように私は非常識な言動を行うつもりなどないけれども。

「杉本先輩、まだ詳細はご存じないようですね」

 無言を通す梨南に、霧島はしつこく話しかけてくる。あの、生徒会役員の発言する時と同じうるさい声で。見た目だけは美形だと言われているが梨南からしたら立村先輩と同レベルの不細工に見える。女子に似合う顔が必ずしも男子に合うとは限らないい例だ。

「何がでしょう」

「僕が、このクラスにこれから通うことをです」

「まさかそんなことはないでしょう」

 鼻で笑った。ありえない。生徒会副会長でかつ学年トップ。もちろん学年トップという点だけは梨南と共通している。違うのは教師たちにつるしあげられていないこと。無実の罪を擦り付けられようとしてないこと。このままスムーズに青潟大学附属高校エスカレーター入学がほぼ確定しているであろうこと。なによりも彼は、

 ──はるみのことを。

 梨南は口を閉ざした。何か梨南の見えないところでさまざまなわなが仕掛けられているようだ。誰一人信じてはならない。生徒会長のはるみに通じるスパイである可能性だって多分にある。なぜか立村先輩に接触している様子だが、それだって心酔しているのか高校の情報集めに利用しているのかもわからない。立村先輩の脳天気な性格だとそのあたりも見抜けていないだろう。必要に応じては立村先輩の鈍感さを丁寧に指摘する必要がありそうだ。そうしないといつだったかのように身包みはがされることになる。

 霧島はひとりで語り続けた。

「もちろん、学籍はクラスにおきます。ですが杉本先輩は高校から大学レベルの高度な授業を通信教育のテキスト利用の上学ばれるそうではありませんか」

「詳細は両親が決めたことですので存じません」

 跳ね返す。どうしてそんなことがほとんど接触したことのない男子生徒……しかも一年後輩……に知れ渡らなくてはならないのだろう。確かに父は梨南のために、学校外の通信講座テキストの利用を求め、必要に応じて教師に手伝わせるなどの提案を学校側にしてくれた。梨南の能力だと青大附中の授業では恐らく物足りなさ残るのみ、それであれば古きよき時代に欧州で行われたといわれる個人教師システムを導入し、テキストは高レベルのものを使用することにより梨南だけではなく学校側も満足行く結果となるのではないか。そう父は桧山先生、校長先生に談判したと聞く。

「生徒会では早い段階で学校内の情報が流れるものなのです」

 耳に響き渡るきんきん声で霧島は語った。黒い紬のペンケースと、共色のブックカバーにはさまれた本を取り出し、最後にノートを用意した。

「そのお話を耳にしまして、僕としましてもぜひ同じ形での教育を受けてみたいと、親経由で頼み込んだというわけです。おそらく杉本先輩も同じことをお考えかもしれませんが、クラスの連中と同じレベルでの授業ははっきり言って退屈そのもの、時間の無駄です。生徒会役員としてはクラスをまとめることもひとつの仕事ではありますが、自分のレベルを高められないまま足踏みする生活が、学業に関しては耐えられなかったというわけです」

 口元に微笑みを浮かべ、霧島はもう一度頭を下げた。ちっともうやまっているようには見えない。

「杉本先輩にはその点、目覚めをいただき、感謝しております」


 ──まさか、どうして。

 危うき時には言葉を出さないのがもっとも安全な策。

 ──この人が知っているということは、当然はるみも知っているということ?

 生徒会副会長が得た情報を、生徒会長が知らないことはありえない。勝ち誇ったように梨南を見下しているのだろうか。知らぬ振りして勝利宣言を高らかに謳っているのだろうか。

 ──機密情報なのに。最悪の場合はお父様に再度抗議させるべきかしら。

 わからない。梨南はただ霧島の、姉にそっくりな王子面をにらみつけていた。

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